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若さを失ったらとんでもないことになったはなし

わたしはおばさんだ
高校生くらいの子供がいても
おかしくないくらいには、


おばさんが何歳からなのかは知らないけど
わたしくらいの年齢になると


何歳からという定義がなくても
ちゃんとおばさんだと言えるくらいには
おばさんだ


つまりは、
わたしにはもう若さがない


言葉がもつニュアンスよりも
ポジティブな意味でだ


若さを失って
随分と生きやすくなった


もう若さなんていらないし
なんならずっとおばさんのまま生きて
おばさんのまま死にたいくらい


おばさんの自分は
とても居心地がいい


若い頃、
若さを失うことがとても怖かった


若さしか武器が無かったからだ


誕生日は1年で最も憂鬱な日だった
30歳になる日は死にそうになるくらい辛かった


若さとは最大の武器だと思う


みんなが持っているものなのに
自分が最強で無敵だと思えるくらい


わたしにとって最強の武器だった


でも不思議なことに
いざ、恐れていた30歳になってしまえば


もう若くないのだからどうでもいいやと
開き直れたのだ


32〜33歳になる頃には


若さという武器にいかに自分が
縛られていたのかがわかり


全てから解放されたように
自由になったような気がしたくらいだ


もちろん20代の頃に不自由な暮らしを
していた訳じゃない


夢を追いかけて、バリバリ働き
パートナーにも恵まれ
色々な遊びを覚えて
海外や国内など旅行にも行っていた


むしろ家庭の中に居る今よりずっと
自由奔放な暮らしをしていたと思う
(若いので睡眠を削って遊ぶなどという
無茶もできたし)


しかし、
そんな若さと経済力が1番丁度いいバランスの時期でさえ


わたしは自分に縛られていたのだ


パートナーからどう見られているのか
パートナーといる時自分は客観的に見て
ちゃんと釣り合っているのか
友達の輪にちゃんと入っていたい
毎年ディズニーリゾートに行きたい
流行りの色と反対のものを
身につける事はいいのだろうか
自分の服装は年齢に相応しいのか
家庭を持つ友人達と夢を追いかける自分との差の違和感を出すともう友達の縁を切られるのではないのだろうか
親から見て恥ずかしくないようにしなくては
社会人としてちゃんとしなくては
ちゃんと若さを謳歌しているのかナド、


外側だけじゃなく


無意識のうちに自分を
自分はこういう人間なんだという
型にはめていたような気がする


賛否両論はあると思うが
わたしは30歳を過ぎてからタトゥーを入れた


本当は成人した記念に
入れるつもりだったのだが


なんとなく親から頂いた体なので
母親に一言伝えた際、


大泣きするほど反対された上に
父親にまで告げ口をされて
大反対されたのだ


そして長年憧れていた夢を
もやもやしながらも諦めたという経緯がある


わたしは20代の頃
そういう人間だったのだ


なんとなく周りの意見や決まり事を
なんとなく守りながら
常に上位をキープしたいという
フワッとした自分でもよく分からないものに
ずっと縛られていたのだ


若さを失って、ようやく気付けたのだ


自分に、


気付いたのも
悟りを開くような高尚なものではなく


若さという武器が無くなって


じゃあもう、
逆にどうでもいいわとなり


若かった頃できなかったこと
全部やっちゃえ!


だってもうあと死ぬだけやもん〜


となぜかはっちゃけたのだ、
その最初がタトゥーである


もちろん親には相談しなかった


だってもう30歳を超えているのだから
何をしても自己責任じゃないか!
(とっくに家を出ているし)


ピアスもめっちゃ増やした


髪も人当たりの良い茶色から
黒くしてパッツンにした


カラコンもナチュラルじゃなくて
カラコンぽい色にした


ナチュラルな服から
全身真っ黒にした


化粧もナチュラルから
アイラインガッツリで


まさかの30歳超えてからの
サブカルクソ女である


よく知っている人にすら
誰か気付かれないくらいには顔が変わった


30歳を過ぎたのだから
もうそういうのは卒業しよう?
というような事を入学しだしたのだ


痛いおばさんの爆誕である


でも!でも!


痛くていいという自分になれたのだ


わたしは自由なのだから
わたしを縛っていた自分はもう
居ないのである


若さという最大の武器を失ったことで
ようやく自分に出会えたのだ


自分を探しにシルクロード辺りを
旅する人たちに言いたい


自分は解放されたときに現れると


しかし、それにはリスクがあるとも


わたしの場合、かなり極端ではあるが
解放したことにより


若い頃できなかったサブカルクソ女が
残念なことに出てきてしまったのだ


30代後半の女性が
黒髪パッツンピアスバチバチ
ヘンテコなメイクで
見える箇所にタトゥーが入っているのである


社会的にどうかは
言わずもがなだろう、
(自分で言ってて辛い)


そういう点において
わたしはどう見られているのかを
気にしなくてもいいという環境に
恵まれていて非常に幸運なのだと思う


ここで感謝とか言い出すと
自由だの解放だの
香ばしいのでやめておく


(着地できないがために
どんどん話が長くなるのは
どうしたらいいのだろうか)


自由であるということは
今まで守っていたものをすてることでもある


しかし、


今まで守っていたものの中には
もう必要ではないものも多かったし


それらの多くは
自分を縛る足枷にしか
ならないものだったのだ


楽しいしか無かったはずの20代には
もう戻りたくないし


おばさんになるのは
死ぬほど嫌だったはずなのに


いざおばさんになったら
案外悪くないぞとなったのだ


つまりは


おばさんになって厚顔無恥になった


だから自由になったような
気がしているだけなのだが


わたしはこの解放と自由こそが
老いと経験で得た知恵だとも思っている


若さという最大の武器が無くなって
何が残るのだろうか


若さしか武器がなかったわたしにも
問題があるとはおおいに思うが


おばさんになると
面の皮が厚くなって人生過ごしやすいぞと
若かった頃のわたしに伝えたい。

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