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Bonheur, Happiness, 幸せとは。

11月8日牡牛座満月の
特別な天体ショーという
ビーバームーンと 重なる
皆既月食の日を終えて、

モントリオールから
約5時間半の高速道路のロードトリップも
途中イーロン・マスク氏も通ったクイーンユニバーシティーがあるキングストンに寄って、モントリオールで食べられなかったプーティーンをマイケルから少し分けてもらい食べて、

トロントに帰ってきた日は、
大きな事故に巻き込まれる事はなくとも
事故直後の2件の交通事故を横目に、

トラックの多さに驚きとモントリオールはアメリカNY州といくつかの橋でも繋がっていて交通が激しいのが伺えました。

前回も道に迷い、
橋やトンネルに慣れておらず、

トロントと比べて運転のスピードの速さと
荒さにハラハラした記憶もあり、

今回も道路工事の多さと一歩通行の道も多くも、自転車レーンが見事にしっかりと確立されていて、羨ましくも思いました。


徒歩の人も多くて、町中マスクをしてる人たちは少なくて、お店の中でもみんなほとんどマスクなしとなってはいましたが、

時折ゴホゴホっと咳をする人の音で、気持ちはウワッとなるところもあったけれど、

なるべく目を合わさず、
サッとその音から離れて、
記憶を消すかのように
無視をして自分の世界に没頭しながら、
音楽のようなおしゃべりのフランス語を聴きながら、

確実に英語よりもフランス語は音を放つ言葉のように思えました。

日本語にもフワフワ、アレアレとかネっ!😉とか、そうそう!とか、キュンとするような可愛い😍とか、ヤバい❗️ようないろんな言葉を発する擬音語というか意味のない無駄な言葉を使うことが多いと思うけれど、

フランス語もそんな感じがしたし、音楽のように楽しそうなやり取りに、意味わからずも、発する音にキューンとコチラも居心地良くなっていたのでした。

もちろんモントリオールの人たちの多くはフランス語話すけれど、もちろん英語も自然にトーン変わらず、ペラペラと交わしてくる彼らの英語は時にグッと刺さり、ストレートに注意されたりもした。😁道路の表示も違って、時々赤で右に曲がってもいいのか、戸惑う場面も多くて、路上駐車も幸いにもホテルのパーキング付きで予約したのにも関わらず、路上パーキングだったのにも驚いたけれど、目の前のシャーブルックは夕方6時以降から翌日の午後3時半まで、無料で止めて良いということもあって、助かったのでした。

マイケルは、モントリオール生まれで10歳まで住んでいたようだけれど、英語しか話さないし、昔フランス語が出来なさすぎて、トラウマになってるようでもあって、そんな彼が日本語に興味を示すこともなかったのだけれど、ワタシにとってもそれはそれで好都合な気持ちもあるのです。ワタシも彼がワタシよりも日本に興味があって、日本語がよくできる人であったら、逆に緊張してコミュニケーションをとることを避けていたかもしれないからです。
マイケルは、英語しか話さないということで言葉をいくつも取り扱う人を尊敬してるようです。

ワタシも昔、スイスで少し習ったフランス語をモントリオールで鍛えようと思ったけれど、英語とフランス語と母国語と言うように3カ国以上の言葉を自由自在に操る人たちと触れる中で、何となく自分自身に劣等感を持ってしまったかのように、それきりフランス語とは縁がなくなってしまっていたのでしたが、今回少し刺激を受けて、以前とは気持ちの持ちようも違って、

もしかして言葉のシャワーを浴びることで、
一つの言語を集中して学ぶよりも、何ヶ国語か同時に学ぶ方が言葉は学びやすいのかもと思えました。

日本にいる時に教材セットを買って、少しだけ接点を感じてグループに参加する機会もあった日本の名古屋のヒッポクラブを思い出しました。

いろんな言葉をヒッポのテープを元に、いろんな国の人たちのホームステイを受け入れたりすることで7か国以上の言葉を学ぶという事でしたが、その当時は、無理だろうと思っていたけれど、

ようやくそのコンセプトの真意が理解できたような気持ちになりました。


いろんな国の言葉を話すという事は、コミュニケーションを取る上でも心がオープンになって、楽しく考えられるようになるのかなと。

『幸せ』とは、
人それぞれ定義も違うと思いますが、

人との交流コミュニケーションを通して、
人の思考理解していく中で
自分のことを知るきっかけにもなっていたりして、

視野が広がるというか
自分の思考が変化して広がりを見せる時、

ワタシは幸せな思考が増えたような気がして嬉しくなるのでした。


ある人が幸せそうに国際結婚をしてる彼女を見て、彼女が引き寄せた幸せと言っていて、

それは彼女の意見でもなく、
その人がそう感じてるだけで、

確かに周りから見たら
幸せな結婚かもしれないけれど、

結婚という形が幸せではなく、
愛する人と出会い、
自分だけではなくて相手を
『幸せにしてあげたい』
思う気持ちが育ったことが幸せだなーと。

幸せとは、

良い大学に行ったとか、
結婚とか、
お金持ちになったとか、

そんなことではないはず、

日常の生活の中で
自分らしく
『今日も幸せだなー』って思えることだと気づいたのも、

年月が経ったからかも知れない。

嫌な人や嫌な事は、普通に日常にも潜んでるけれど、そっちを考えずに、なるべく自分が楽しいと感じることを考える時間を増やしていきたいと思いました。

嫌な人の相手にしない事が、まず大事なのかなと思ったけど、時折、カチンときたり、怒りを感じることも、それはそれで自分自身を守る感情でもあるわけで、

反逆しようと思って、誰か味方になってくれる人に言ったりその人の悪事を公にしようと思うこともあるのだけれど、人生って短いと思ったら、その時間が勿体無いと思って、

そう感じたら、そこから離れて、自分が楽しいことを楽しむように心がけようと思いました。

あっちんさんのおすすめの本
『黒猫』

愛と憎悪の物語を読んでみて、
そこには淡々と普通の日常の中で起きた残酷な事件を話していくのだけれど、

ワタシには日常の中にこそ
幸せはあって、

愛するということと
憎しみは紙一重のようにも思えて、

というのも社会的に多くの人たちが

はじめは
愛して結婚するのだけれど、
いつしか憎しみ合うかのように
離婚する人たちも多い世の中になり、

それには黒猫🐈‍⬛という不運にまつわるとイメージと共に、

何か対象物を可愛がることで得られる満足感を妻と取り合うような嫉妬や妬み恨みは小さな日常から生まれてるということと

それはもしかしたら子供かもしれないし、愛人かもしれないし、とにかく日常の生活の中で、溢れてる感情が動く生き物であるからこその、

人間らしさというか、
人間だから感情が動いて
お酒に溺れてしまうと
人や動物をいじめたりする行為も、

特別な人にだけの行為でもなく、

本当に自分たちの日常の中に潜んでいる
誰しもがそんな感情のトリックにハマってしまうかもしれないという人間の恐ろしさを感じました。

あっちんさんは、もっと深く考えて、彼の生い立ちからイジメという問題点を語っていました。心の殺人鬼を生んだのは、イジメがあったからだと、確かに子供時代のイジメの問題は人の心を歪めてしまうキッカケとなっているように、忘れられない憎しみの感情は自分にとっての毒にもなるのでしょうね。


ワタシも子供時代にイジメ問題にぶち当たりましたが、大人になってみると不思議なことに思い出せない記憶となってしまったようです。知恵がついてきたのか、自分自身が強くなったのもあるのかもしれません。😉


溜め込まずに、ギャ〜って泣いてわめいて
その場で狂うくらいの方がいいかもしれん。🤣

ワタシもイジメに合い、リストカットや登校拒否もして、結局のところ、いじめっ子に反逆した一人でしたが、やったやり返すだといつまで経っても、解決せず、巡り巡って不運に尽きず、
優しいとつけ込まれるというのもあるかもしれないけれど、とにかく、関わらないことが一番かもしれません。

良い恩師に恵まれたことが一番良かったとも思っています。先生も味方になってくれる大人がいなかったら、いじめられっ子もいじめっ子もトラウマを作り出してしまうのかもしれません。

ワタシの時は、先生が道徳の時間にイジメっ子を目の前に、ワタシについてどう思うか?という問いかけに、心の中ではヒヤーッと恐怖で体が固まってしまったけれど、それをきっかけに、クラスメイトがそれぞれにどういう人物かと思うことを口にすることで、
聞きたくない自分のことも知れたし、ワタシもその子のことをどう思ってるか口にして話し合いができたことが、私の運命をガラリと変えてしまったのだから。

この後しばらくは何事もなかったかのようにそれぞれ平和に穏やかに日々が過ぎていたようにも思いますし、子供同士の喧嘩は日常茶飯に何処でも起きていたようにも思います。



イジメっこにも、問題があるからイジメに走るわけで、

誰かも言ってたと思うけれど、
1番のリベンジは、

自分が幸せになること!

大人になれば、関わる人たちを選べるけれど、子供のうちは難しいとは思うし、
自分が勝手に思い込んでるということもあるから、

そういう意味でも
子供の友人相手に集中せず、
まずは自分が楽しいことに打ち込む方がいいのかも、そういう意味でも周りの大人たちが子供の才能を見つけてあげるように、不得意なことをできるようにするよりも、その子の得意分野を伸ばしてあげられる環境を作ってあげられると良いのかなとも思いました。

そういう意味では、変わってる自分を見守り続けてくれた両親にも感謝しております。

そうすると時間はかかりますが、出来なかったことも、いつのまにかできるようになっていくのかな。


ドライな感情になってしまったのかなとも思いますが、

本当の優しさは、
攻撃ではなく、
無視でもなく、
ありのまま
受け止めてあげる!ということなのかなとも思います。

愛も憎しみも、
誰か相手がいるから
溢れてくる感情であって、

人との関係があって、
人生って、

深みがあるのかなと


一つの本から、
いろんな読み方
考え方を学ばさせていただきました♪


今日も幸せだなー!

ありがとうございます♪😊

感謝しています♪






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