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ソクラテスの教え

おはようございます。
気温は22℃、
雨☔️。

昨日は久々にチャイナタウンでの
Dim Sumになりました。

その後、歩いて
ボールドウィンのロールアイスクリーム屋さんに行きました。

今日
日本食屋さんに変更になりました。


昨日は一日中予定変更が相次ぎ、

天気もコロコロ変わりやすく、

日本の地震のニュース速報を見て、
家族との連絡も


日本列島に不安が走っていますが、
実際のところ
準備万端ですか?


対策って言っても
どういうことをすればいいのか?

どうすることもできない自然災害、🐦‍⬛🪿🪼🫏🪻🪽はキャッチしてるのかな。


今 ココ


目の前のことに取り組むしかないよね。


哲学者ソクラテスの言葉が
最近よぎり、


『無知の知』にも

わたしは何も知らないということに
気づいていないことと

無視して気づかないふりもいけない

やはり問答は続いて、
ただ生きることよりも

に生きること

よりよく生きようと努力すること


“Be kind, for everyone you meet is fighting a hard battle.”


みんなに親切に、
その人の見えない部分でみんな何処かで闘ってる部分があって、それは見えないところでかもしれないし、
それぞれの人生の問いは全て知らないということでもあって、

だからと言ってそれを無視するわけにもいかない。

関わった人、全てに最後まで責任持って全うする生き方を大切にしたいと思ったわけです。

【善に生きる】って
難しいね。


言葉にすると
簡単なんだけれど。

トロントでも
アメリカ人は自己肯定感あるっていうけれど、
オーバーコンフィデントしてるアジア系中国人多いなと思って、

自分のそのままを受け入れるということで体系とかも気にせず、堂々としてるんだけれど、そういうのもいいんだけれど、

行き過ぎると
病気を生みがちというか、

体の異変に気付けず、
やはり体重のコントロールや
体型を気にしたりすることって健康を維持するにも必要なことだとは思うんだけれど、

行き過ぎるとどっちにしても
危険だと思うし、


明らかに態度は
どうなの?というのはあって、

オリンピック選手でもそうみたいで、

そういう態度問題あるあるなんだけれど、


タイ🇹🇭でも日本企業がダメ押しみたいに中国人が政府にお金でコントロールしちゃってるみたいね。


タイ人にも日本かわいそうって言われちゃって。


とにかく、
自己肯定感って、日本語は
どういうふうに定義されてるのか、

もう一度考えさせられたところでした。


本当の強さって、
自分であることで、

環境とか他人とかとは関係ないところというか、

親が子供を信頼してるという人の方が

善に自信があるというか、


自己肯定感があるっていうように
私は捉えてる。

何処か勘違いしている部分もあるかもしれません。


アジア系特に中国人は、
オーバーコンフィデントしてる人が多いと思うのは
わたしだけではないようです。


なぜかというと
親から教育にうるさく言われて、結局のところ、完全には信頼されて肯定的な言葉で励まされてきていないから、誰かといつも競争させられてきてるからじゃないかなと思うのです。

My parents believe in me!
って言える人が

多分まともな自分の中のコンフィデントが育っている感じがする。

自己肯定感とは、その言葉の通り「ありのままの自分を肯定する感覚」のことです。 他者と比較することなく、自分自身が「今の自分」を認め尊重することで生まれる感覚であり、物事を前に進めるための原動力となります。

ある辞書によると


日本人が高く評価されるのは、
真の強さがあるから、

武士道精神というか、
汚れなく真っ直ぐな道を歩く
(コレも深い意味合いがどっちにしろ二つ以上にあるじゃない。)


最近の戦争の映画で

日本とアメリカの違いは、
日本人は戦争で負けて捕まると自殺していく人が多かったらしいんだけれど、
(海に呼び込んでいく日本人の姿が映し出されていて、悲しくなったよー。アメリカ兵士は何もできず、子供と一緒に降参した日本人を讃える人もいれば、

日本ではそれは許されない行為と思う人もいるだろうし、

敢えて捕虜にされた時に
負けを認めて、

生命を維持して生きていくっていうのも
芯の強さであって、


潔く
命を断つ
のと

潔く生きるというのも


考え方一つの違いというか、


根本的な教えの違いというか、


その人の生き方


なのかなあー。


【善に生きる】とは。。。

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