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「コロナ禍で必要なのは「かかりつけ医」登録制度」

TONOZUKAです。


コロナ禍で必要なのは「かかりつけ医」登録制度

以下引用

10月11日の財務省財政制度等審議会財政制度分科会では、欧米と比較して新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の感染者数や死亡者数が少ないにもかかわらず、医療へのアクセスが制限された他、財政支出の規模と経済損失が大きかったことが問題視された。そんな中、日本プライマリ・ケア連合学会理事長の草場鉄周氏が有識者として登壇し、解決策として「かかりつけ総合医制度」の創設を訴えた。草場氏の提案するかかりつけ総合医制度とはどのようなものなのか、また、なぜ制度化する必要があるのか、草場氏に寄稿していただいた。(編集部)



 COVID-19流行の第5波が落ち着きを見せ、社会活動も平常に戻りつつある今、COVID-19に対峙する中で明らかになってきた、日本の様々な社会システムの問題について振り返る機会が増えてきた。緊急時対応の法制度や新興感染症に対する防疫のあり方など、論点は多岐にわたるが、その一つとして医療提供体制の課題が挙げられることは多くの識者が指摘している。本稿ではそのうち、筆者が専門とするプライマリ・ケア総合診療領域に関して論じたい。なお本稿は、筆者が『中央公論2021年7月号』(中央公論新社)に寄稿した「かかりつけ総合医制度で医療の逼迫を防げ」の内容を踏まえ、改変して構成している。

コロナ禍に対峙した日本のプライマリ・ケア

 中等症から重症のCOVID-19患者には、急性期病院におけるICU管理も含む包括的な治療が不可欠となる。呼吸器専門医、感染症専門医、救急科専門医はもちろん、病院で活躍する総合診療医も入院医療に大きな役割を果たした。それも広義のプライマリ・ケアには含まれるものの、本稿では論旨を明確にするために、あえて無症状、軽症、中等症の一部の患者を対象とする医療のあり方に限定して取り上げる。

 2020年6月までの第1波の段階では、ウイルスの情報も少なく、感染疑い患者は全例が帰国者・接触者外来を受診し、PCR検査にて診断が行われ、症状の有無にかかわらず陽性者は全て入院対応となった。しかし、6月から10月の第2波で感染者数が増加する中で、地域の拠点病院は主に救急対応と入院診療にその資源の多くを投入せざるを得ない状況となり、咳や咽頭痛、発熱などの症状を訴える患者の診療はプライマリ・ケア医が担う必要が出てきた。しかし第2波の際は、そういった患者の診療を断る医療機関も少なくなかった。また、持病があり定期通院が必要な患者が、医療機関訪問による感染リスクを恐れて受診を控えるケースも増えてきた。当時はオンライン診療に対応可能な医療機関が少なく、ほとんどが電話で簡易的な診療を行うのが精いっぱいという状況であった。

 そして2020年秋から2021年夏にかけての第3~5波では、診断が確定した軽症・無症状の患者はホテルなどの療養施設に収容された他、自宅で待機するケースも徐々に増加していった。療養施設には看護師が配置されている一方、自宅療養の場合には保健所が電話で安否確認するのみだった。本来、COVID-19のように急速に重症化して死に至る可能性のある疾患では、症状が悪化していないかを注意深くモニタリングし、必要であれば入院要請を速やかに行う必要がある。だが、保健所の業務逼迫もあり、自宅で死亡するケースが相次いだ。自宅療養が開始された当初は、こうした患者のケアにプライマリ・ケア医が役割を果たすことはほとんどなかったものの、第5波では地域で在宅医療に従事する一部の献身的な医療者がリスクを冒して往診や電話診療に取り組んだことは記憶に新しい。

 また、第1~3波では日本各地の医療機関や介護施設でクラスター感染が発生した。小規模の介護施設や高齢者住宅の大半には医師が配置されていないので、感染者が出ると、施設は行政に助けを求めることになる。施設入居者の健康状態を把握し、入院も含めた判断を行うには医師の診療が不可欠だが、そこにプライマリ・ケア医が関わる機会は非常に少なかった。

 このように、専門的な医療が求められる中等症・重症患者の入院診療の前後で、プライマリ・ケア医が貢献できるチャンスはあったわけだが、日本のプライマリ・ケアが十分に機能を発揮したとは言いがたいのが実情であった。

 その結果、何が起きたか。咳や咽頭痛、発熱といった症状を抱えた患者がかかりつけ医療機関に診療してもらえず、患者は困惑して不安を感じ、直接地域の総合病院を受診したり、保健所・自治体に相談するケースが相次いだ。感染者が急増する中で、総合病院や保健所はこうした患者の対応に追われ、本来取り組むべき重症患者の診療や感染経路の追跡などに注力できず、機能不全に陥ることとなった。自宅療養患者のフォローアップも脆弱となり、前述の通り自宅で死亡するケースも増えた。また、クラスターが発生した施設で診療に当たる医師・看護師の確保も困難で、孤独なうちに施設で亡くなる高齢者も続発した。さらに、訪問診療など、急性期治療を終えた患者の受け入れ体制が不十分だったことが患者の入院を長引かせ、必要なベッドが空かず、医療逼迫の加速化へとつながった。

日本のプライマリ・ケアの脆弱性が明らかに

 こうした日本のプライマリ・ケアの限界は、個々の医療者・医療機関のエゴや不作為に起因するわけではない。そこには、医療の構造的な問題が影響している。多くの医療従事者や医療機関は、感染防護具が不足し、自身が感染する不安の中、可能な範囲で懸命に努力してきたことを、間近で見てきた医療従事者の働きぶりや様々な関係者の情報から筆者は知っている。彼らの倫理観は高く、生真面目さも持ちあわせていた。

 しかし、日本が戦後75年以上にわたって構築してきた医療システムでは、これが限界だったのである。まず、日本の一般的な診療所は小規模で、感染防御を目的にゆとりをもってスペースを確保することが難しく、患者同士あるいは患者から医師・看護師へと院内感染する危険性が高かった。また、開業医の多くが一人体制で診療に当たっていることに加え、年齢層が高めということもあり、重症化リスクをより切実に感じていた。オンライン診療はほとんど普及しておらず、在宅医療も十分に浸透しきっていないことも影響した。

 加えて、SARSやMERSなどの新興感染症が海外で流行した経緯があったにもかかわらず、危険なウイルスが国内に持ち込まれた際の備えを十分に整備できていなかった。「感染症は公衆衛生の立場から保健所が管理する」という戦後の伝染病対策スタイルは、長い年月を経ても変わることはなく、「プライマリ・ケア医が行政や保健所と連携しながら、感染予防や感染者診療に取り組む」というあるべき枠組みも未整備のままだった。つまり、医療と公衆衛生のギャップの大きさが浮き彫りになったと言える。

 我が国のプライマリ・ケアの脆弱性には、このように様々な要因が影響しているが、とりわけ大きな影を落としたのがフリーアクセスの弊害だ。フリーアクセスが認められた社会では、国民が医療機関を自由に選択できるというメリットがある。しかし、フリーアクセスが確立されているがゆえに、住民一人ひとりの健康をプライマリ・ケア医療機関が責任を持って管理するシステムが構築されてこなかった。

 結果としてコロナ禍によってあぶり出されたのは、「有事の際には、国民が自らの健康を自身で管理せざるを得ない」事実であった。たとえ症状があっても外来受診を拒否され、自宅療養中も往診してもらえない現実は、“フリーアクセスの裏に隠れたリスク”を残酷なまでに国民に突き付けた。

 これは、ワクチン接種の際に「かかりつけ医での個別接種」が推奨されたものの、「国民が考えるかかりつけ医」と「医療者が想定するかかりつけ医」の間にはずれがあり、個別接種できず途方に暮れる住民が存在した問題と通じるものがある。平時で考えると、かかりつけ医がいても、夜間や休日に状態が悪化した場合には連絡がとれず、救急医療を利用するしかない状況もフリーアクセスの弊害の一つだろう。

 つまり日本のプライマリ・ケアは、平日の日中に受診する、状態の比較的安定した患者に対して効率よく医療を提供するシステムとしては十分に機能しているが、そこから外れた患者については患者の自己責任と急性期医療機関の献身的な貢献に大きく依存しており、パンデミックで求められたオンライン診療や在宅医療の機能も満足に整備されているとは言い難いということだ。平時の備えがない上に、法定感染症患者の診療にプライマリ・ケア医療機関が組織的に関わる仕組みもなかったため、コロナ禍で発熱患者の検査や訪問診療を求められても対応は難しかった。

日本のかかりつけ医の構造的な問題

 コロナ禍の前から、政府や日本医師会は「かかりつけ医」の普及を図ってきた。それなのに、このような事態に至ってしまったのはなぜなのか。日本医師会はかかりつけ医を「なんでも相談できる上、最新の医療情報を熟知して、必要な時には専門医、専門医療機関を紹介でき、身近で頼りになる地域医療、保健、福祉を担う総合的な能力を有する医師」と定義している。「なんでも相談できる」にもかかわらず、今回のようにプライマリ・ケアの対応が不十分になったのには、「なんでも」にどのような症状や疾患、健康課題が含まれるのかが具体的に明記されていないことが影響していそうだ。

 その背景として、かかりつけ医の「標準化」が行われてこなかった経緯がある。我が国のかかりつけ医の大部分を占めるのは開業医だが、彼らの多くは臓器別専門医として大学や市中病院で勤務した後、それまでに培ってきた医師としての幅広い経験に基づいて、研修や認証制度を経ずに「開業」という形でプライマリ・ケア診療に取り組んでいる。日本医師会の生涯教育制度など、プライマリ・ケアの現場で学ぶべき領域は提示されているものの、研修が義務付けられているわけではない。したがって、開業後にどれほど研さんを積むかは個々の医師の意欲と努力によるところが大きく、診療スキルにばらつきが生じやすい傾向がある。実際、コロナ禍でもかかりつけ医による対応の地域格差が取り沙汰されていた。

 こうした状況では、かかりつけ医に相談できる「なんでも」を具体的に挙げるのは確かに難しい。COVID-19診療に関して言えば、感染症や呼吸器疾患診療に経験と自信のある医師、また普段から在宅医療に取り組んできた医師が動くことができたわけである。しかし、繰り返しになるが、これは個々の開業医の不作為や無責任といった問題では決してなく、かかりつけ医の標準化を行わないことを前提とした医療提供体制を許容してきた「医療制度の問題」である。今のかかりつけ医のあり方を是認し、プライマリ・ケアをあえて制度化しない現状を維持する限り、日本のプライマリ・ケアはパンデミックに対して組織化された迅速な行動を展開することはできないはずだ。そして、そのつけを払い、健康リスクを背負うのは国民である。

ウィズコロナ時代に目指すべきプライマリ・ケアのあり方

 ここからは上記の論考を踏まえて、目指すべき日本のプライマリ・ケアのあり方を考えたい。

 最も重要なのは、プライマリ・ケアで提供できる健康問題を明確に定義し、診療の質を公的に保証することである。そこには、平時からの健康増進や予防医療、訪問診療や往診、オンライン診療、地域の病院・診療所・介護施設・介護事業所・訪問看護ステーション・薬局などと連携した地域包括ケアなども含まれる。有事の際には、保健所、自治体、急性期病院、地域の介護施設としっかり連携しながら、全ての国民に対して臨機応変に必要な診療を提供する。これらを志の高い一部の医療者の献身的な貢献によって達成するのではなく、日本全国あらゆる地域で標準的に提供できるようにすることが欠かせない。

 望ましいプライマリ・ケアシステムを整備するために、登録制の「かかりつけ総合医制度」を提案する。患者の幅広い健康問題に対応する責任をプライマリ・ケア医療機関に持たせると同時に、国民もプライマリ・ケア医療機関を適切に利用する義務を有するという双務的な関係性を構築するわけだ。国民の日常的な健康問題を解決するのはプライマリ・ケアであり、対応が難しい場合には適切な専門医療につなげる。プライマリ・ケアを制度化することで、全ての国民は平時でも有事でも必要な医療を確実に受けることができ、医療の質・量はより一層満足のいくものになるだろう。プライマリ・ケアの標準化は、医療資源の地域偏在問題に資することにもなる。

1)かかりつけ総合医の選択と登録
 かかりつけ総合医制度では、国民は自身の健康管理に対応する「かかりつけ総合医」を自由に選択し登録する。風邪や頭痛、高血圧、糖尿病といった頻度の高い健康問題の診療は、このかかりつけ総合医が担当する。加えてかかりつけ総合医は、健康診断や予防接種などの予防医療、改善すべき生活習慣に関するアドバイスなどの健康増進まで請け負う。かかりつけ総合医と患者は長期間にわたって関係性を構築することになるため、おのずと信頼関係は深まっていくはずだ。そうすれば、生活や仕事、家族状況、健康観を踏まえた診療を提供しやすく、患者は安心感と納得感を持って医療を受けられる。もちろん、患者が問題を感じた際などには、かかりつけ総合医の変更はいつでも可能とする。患者がかかりつけ総合医を選択する際に参考となる情報を、公的な第三者機関が提供することも欠かせないだろう。

 本来、かかりつけ総合医は循環器科医や脳神経外科医などと同様に、一定のトレーニングと認証試験で能力を認められた専門医が務める必要がある。欧米ではプライマリ・ケア医の能力を認証するシステムが機能しているが、日本ではプライマリ・ケアを担う専門医の養成が遅れているのが実情だ。「総合診療専門医」として、新専門医制度の中で正式に養成が開始されたのは2018年のことで、2021年にようやく200人弱の専門医が世に送り出される。筆者が理事長を務める日本プライマリ・ケア連合学会は、20年以上前からプライマリ・ケアの専門医である「家庭医療専門医」の養成を手がけてきたが、その数も通算で1100人程度にとどまる。

 こうした我が国の実情を考えると、まずは現在診療所や病院で活躍する開業医や勤務医の中から、「我こそは」という意欲ある医師たちにかかりつけ総合医を担っていただきたい。その際、公的な研修と認証制度を課すことで質の担保を図る必要があるが、様々な医療団体や学会が既に持っているリソースを大いに活用できるだろう。一方で、各地に少数ながら存在する総合診療専門医および家庭医療専門医には、他のかかりつけ総合医と連携しながら、プライマリ・ケア機能の強化においてリーダーシップを発揮してほしい。そして、10年、あるいは20年後には諸外国と同様に、日本でも総合診療領域の専門医がプライマリ・ケアの中核を担っていることを期待したい。

2)登録住民に対して医療機関が果たす役割
 本制度では、医療機関は自施設に登録した住民をリストで把握している。したがって、登録住民に対して、健康に役立つ情報を定期的に送付したり、健康診断の受診を呼びかけたり、放置されている健康問題があればアラートを出すことも可能となる。さらに、コロナ禍のようなパンデミック、あるいは地震・洪水などの自然災害といった有事の際には、リストを基に医療機関側から登録住民の健康状態を確認し、支援へとつなげられる。以下、パンデミックを想定し、かかりつけ総合医の具体的な活動を例示する。

 まず、マスク使用、3密回避など、ウイルスのまん延を抑制するための行動変容を登録住民にしっかり周知することが挙げられる。咳、咽頭痛、発熱などの症状が出たケースでは、かかりつけ総合医が対面あるいはオンラインで診療し、必要ならばPCR検査を行う。検査の結果が陽性で、自宅や宿泊施設で療養することになったら、かかりつけ総合医が引き続き、オンラインあるいは訪問診療で担当する。

 保健所は、かかりつけ総合医と緊密に連携しつつ、感染の拡大傾向を面で把握し、必要な医療資源をかかりつけ総合医に分配する司令塔の役割を果たす。患者の症状が悪化した際は、かかりつけ総合医から急性期病院に速やかに紹介する。これらの取り組みにより、全ての感染者を保健所が直接管理する必要がなくなり、保健所の過剰な負担が軽減される。さらに、急性期病院に患者が直接殺到する事態を避けられ、病院は中等症・重症患者の入院診療に専念できる。かかりつけ総合医が機能することで、今までのようにリスクを背負った国民自身が、行政と医療機関の狭間で必死に生き延びようともがく過酷な状況は過去のものとなる。

3)かかりつけ総合医から専門医療への橋渡し
 かかりつけ総合医が診断・治療を一貫して提供できるのは、健康問題のおよそ90%で、残りの10%は循環器内科、脳神経外科などの専門医療を要する。「紹介すべきか」はかかりつけ総合医が見極め、必要と判断したら、適切な医療機関に速やかにつなげる。基本的な患者情報は、かかりつけ総合医から各科専門医へ事前にインターネットなどで提供しておくことで、迅速な診断・治療が可能となる。同じ診察や検査を何度も行わなくてよいので、患者負担も最小限ですむ。

 専門医療が提供され、患者の状態が安定したら、各科専門医からかかりつけ総合医に逆紹介される。かかりつけ総合医は、専門医療に関する情報提供を受けた上で、他の健康問題とあわせて安定期のフォローを行う。多くの健康問題を抱える高齢者が複数の診療科や医療機関を頻回に受診することも減り、患者の肉体的・経済的負担軽減につながる。

 なお、日本では臓器別の専門医療を提供する診療所が多く存在する。眼科、耳鼻科、皮膚科をはじめ、整形外科、脳神経外科、循環器内科など、標榜科は多岐にわたる。かかりつけ総合医制度では、こうした診療所は専門医療機関の位置付けとし、総合病院の専門診療科と同様の役割を担うことになる。一方、地域の病院がかかりつけ医機能を担う場合もあるので、病院を「かかりつけ総合医の在籍する医療機関」と認定することも当然あり得る。その結果、診療所や病院といった施設の区分を越えて、プライマリ・ケアと専門医療の役割分担を国民に分かりやすく示すことができる。

4)多様な診療スタイルによるケア提供
 今後は外来診療に加え、訪問診療とオンライン診療も標準的な診療スタイルとなっていくだろう。かかりつけ総合医はいずれにも対応する。

 訪問診療の対象となるのは、例えば大病を患って障害を背負ったり、癌で終末期医療を受ける必要があったりと、患者にとって通院が大きな負担になるケースだ。患者の自宅や入居施設でも、手術や大きな設備が必要となる検査以外であれば、血液検査、X線検査、超音波検査、点滴、胃ろうなど、ほとんどの医療行為を行える。さらに訪問看護師と連携しながら、24時間365日対応できる体制を整え、夜間や休日に往診する。

 また、糖尿病や高血圧症といった生活習慣病を抱える働き盛り世代の患者は、仕事の都合上、通院時間の確保が難しいこともあるだろう。そうした際には、対面診療とオンライン診療を組み合わせる。かかりつけ総合医はオンライン診療を提供できる体制を整備し、行動変容を促す様々な取り組みをタイムリーなアドバイスで力強く展開する。

5)多職種との連携
 かかりつけ総合医制度においても、医師と多職種との連携は欠かせない。例えばプライマリ・ケアを担当する看護師は、外来診療で問診や採血といった基本行為だけでなく、生活習慣の相談、簡単なリハビリテーション、予防接種や健診といった予防医療でも力を発揮し、かかりつけ総合医の強力なパートナーとなり得る。

 身体能力や認知機能が低下し、生活支援や本格的なリハビリを要するケースにおいて、ケアマネジャーや訪問リハビリといったサービスへとスムーズにつなぐのも、かかりつけ総合医の仕事となる。他にも、薬剤師(服薬指導など)、歯科医師(口腔衛生など)、ソーシャルワーカー(医療福祉制度など)をはじめ、かかりつけ総合医が連携対象とする職種は非常に幅広い。

6)診療報酬の新たな仕組み
 日本の診療報酬の仕組みは複雑だが、プライマリ・ケアについては比較的シンプルで、一つひとつの診療行為について細かな報酬が都度支払われる「出来高払い」方式が採用されている。たくさんの患者を診察して検査を行い、薬を処方すればするほど、診療報酬は増えるわけだ。一方、健康相談や予防医療を通じて疾患の発症や悪化を抑制すると、その成果として患者の受診頻度は低下し、検査や投薬の必要もなくなるため、診療報酬は減少することになってしまう。つまり、現在の診療報酬制度は、病者を健康にし医療を不必要にするという本来あるべきプライマリ・ケアの姿とは矛盾している。

 そこで、かかりつけ総合医制度では出来高払いに加え、定額報酬で計算する「包括払い」方式を組み入れたい。かかりつけ総合医による総合的な健康管理は包括払いとし、登録した住民数などに応じて報酬が支払われる。包括払いと出来高払いをハイブリッドで運用することで、本制度を担う医療機関は疾患の流行状況や地域の人口動態による収入の変化に影響されにくく、財務的にも安定した基盤を保つことができるはずだ。

 包括払いについては、DPC制度のように、管理する健康問題の数と種類に応じて報酬を設定するなど様々な工夫が求められ、検討を重ねる必要があるだろう。単なる登録住民数だけではなく、その診療の幅広さと手間に対して適切な対価が支払われる仕組み作りが不可欠だ。

おわりに

 以上、コロナ禍で露呈した日本のプライマリ・ケアの脆弱性が、平時から存在する医療の構造的問題に由来することを確認し、今後あるべきプライマリ・ケアの一つの形として、筆者が提唱するかかりつけ総合医制度について説明してきた。

 現在の日本の医療が、戦後75年以上、ひいては明治維新による西洋医学の導入以来150年以上の歴史の上に成り立っていることは厳然たる事実であり、その歴史を否定するつもりはない。日本の医療が国民の健康増進に果たしてきた役割は大きく、先人たちが積み重ねてきた功績には強い畏敬の念を覚える。

 ただどのような制度も、社会情勢の変遷、国民の意識の変化、科学の発展などを踏まえて改良を重ねなければ、制度疲労を避けることはできない。今回のコロナ禍で明らかになった様々な医療の課題は、以前から積み重なっていた医療制度の矛盾や限界が表面化したものと考えてよいだろう。プライマリ・ケアに関する種々の問題はその代表例の一つだ。COVID-19は世界中に大変な災厄をもたらしたが、解決すべき社会問題を明確にした点は、暗闇の中で未来につながる光と言えるかもしれない。

 社会に定着している制度の変更をためらうのは、人として自然なことである。また、制度改革が多くの関係者に多大な影響を与えることも事実だ。しかし、これまでも日本は真の危機に直面した際、他者から学ぶ謙虚さを発揮し、大胆に自らを変革する勇気を持ち、そのあり方をアップデートしてきた。明治維新はその好例である。今こそ、21世紀の日本のために、我々医療者が勇気を持って変革に挑むべきときだと痛感する。本稿がその一助になれば望外の喜びである。

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