偶然の出会いとヨナコンプレックス
先日、こちら界隈(LGBTQ)の方と初めてお会いする機会があり、ほんの数分だけではあるのですが、少しだけパーソナルなお話をしました。
その方は、地方に住んでいらっしゃって、今現在の仕事、生活、環境がおつらい様子。
セクシャリティの問題もあり、閉鎖的な地方では出会いもないようです。
でも、私から見ると、とても魅力的な方で、姿勢もよく、すらっとしていて、とてもかわいらしくかっこいい。きっと、然るべきところに行けば、たくさんの魅力的な出会いに遭遇できそうな感じです。
清潔感もあって、素朴で感じもいい。ね? ここまで読めば、「もったいない~!」と思う方も多いのではないでしょうか。仕事もきちんとされていて、別にその地方に限定しなくても、その経験があれば、きっと職もどこかしら見つかるのではないかと思います。
部屋もきっと審査が通ります。だってそのくらいしっかりした経歴ですもの。年齢も収入も申し分ないでしょう。
ね? もったいないでしょう。そう、客観的に見て、「もったいないな」と思ったのです。だって、県外に出れない、生まれ育ったその場から出るなんて、そんなことを思ったこともないような感じでしたもの。
アメリカの人間性心理学の大家、アブラハム・マズローが説く、「ヨナコンプレックス」ってご存じでしょうか。
聖書に登場するヨナという気弱な商人がいたのですが、彼は神の声が聞こえる能力がありました。神が彼に重大な使命を与えようと呼びかけるのですが、ヨナはそれを遂行することによって起こるだろう出来事に怯えて、自分の使命から逃げるのです。
能力があるからこそ、神に求められているにも関わらず、です。マズローは、私たち自身が自らを「何も特別な能力や才能を持たない、平凡な人間」だと思い込み、大きな夢を敢えて抱こうとしない姿を「ヨナコンプレックス」と呼んでいるそうです。
「私たちが心の奥底で恐れているのは、自分が不十分だいうことではない。自分に想像以上の能力があるということだ。自分は優秀で、器量もよく才能があって、立派だ。そんなことがありうるのか?実際あなたがそうであってはならない理由がどこにあるのか?」と。
※参照・引用
「自分は平凡」と諦める人と突き抜ける人の決定差 「環境」と「自己」の受け止め方がすべてを左右する | リーダーシップ・教養・資格・スキル | 東洋経済オンライン (toyokeizai.net)
人間は環境が変わることを恐れるという脳の癖があります。環境がかわらないということが安心なのです。ただ、それはただの脳が見せる”幻”。
本当は、「今いる場所」がこの世のすべてではないということ。
実際つらい状況にある方もいるでしょう。置かれた場所で歯を食いしばっている方もいるでしょう。どうにもならない理由がある方もいるでしょう。でも、それは、「本当に?」。
そこからもし、「出ていくとしたら?」そう思うだけで、人生は変わっていくかもしれません。
目の前の上司は本当に「ひどい人なのか?」、自分は本当に「能力がないのか?」
本当に「心が弱いのか?」。本当に今は「不景気なのか?」本当に自分は「お金がないのか?」
さて。疑ってみると、面白い発見があるかもしれません。
なぜ自分はその環境にいるのか?その環境に居て、その扱いを受けることで、何かメリットがあるのか?
私個人としては、冒頭お話した彼女が、自分の魅力や能力に気が付いて、思い切って飛び出してくれたらいいなと、ひそかに願っています。だって本当に素敵な方でしたから。
人生は短いです。本当にあっという間に終わります。
きっとなんだってできるはず。小さなことだけでもいい。
ただ、住んでみたい土地を思い浮かべるとか、やってみたかったことを少しだけやってみるとか。そんなことだけでいい。
映画マトリックスでは、「この世の全ては創りものだ」と主人公が気づきます。
結構この世って、自分の思い込みでできています。さて。人生は一度きり。
思うに、この世すべての人は、基本的に真面目で善良であるがゆえに、考えすぎてしまう傾向があるのだと思うのです。
もっと気楽に、フットワーク軽く、やりたいことをつまんでみたりして、そんな感じで生きていけたら、もっと人生は美しく楽しく、軽やかに。
そんなふうに感じられるのではないかなと思ったりもします。
これは、自分に対して言い聞かせているのもあったりして。
よい一日を!
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