本気

(前回の続き)
推しの笑顔に鳩尾を撃ち抜かれて「まずい」と心底感じたのんにはいくつか理由があって、ひとつには、「この人のことだけはレベチで本当に本気で好きなので、この人間関係を、恋愛にかこつけて現実逃避的に利用あるいは消費することは出来ない」という、なんかこう、人間としての尊厳みたいなところが大きかった。

ちょ、おま、レベチで本気で好きならば、本気で当たって砕けて見せろやというポジションも存在するとは思うのだが、なんというか、天の声がそれを許さない感じがしたんである。

「この笑顔が欲しい」

心の底からそれだけを願ってしまうときに、私は、自分のことを考えていない。自分とは、そういう人間である。それは、まずい。推しは、きっとそういう人ではない。私の推しは、ご自身のことに集中してはる人やから。

それから、「推しが素敵すぎる」というのも「まずい」理由のひとつである。実際には推しも人間、ダークな側面もあるやろうが、そういうことではなく、誰かを「素敵」と思い恋焦がれてるとき、その素敵な人に愛されることで自分も素敵にパワーアップみたいな邪な深層心理が働いてないとはいえないからである。無意識オブ無意識で。

万が一にも、いま、推しがこちらを見てくれはるような奇跡が起こったとしたら、今のわたしは、過去に置いてきた全ての本来の自分を再び置き去りにする気がした。

いまの私は、自分の本来の個性が、ぱっと見の印象と真逆の根暗無頼(なんだそら)だとして、例え推しの好みでは全然なくても、「たとえ誰からも愛されていなくても、いまの自分は心底全ての面において自分らしいから自分は好きだ」「推しと比較したらおそろしく全てが幼いが、自分なりにやれている」という自己肯定のほうが先に立つ必要があると、生まれて初めて自分の意志で思っているんである。

なぜか。
マジでその人のことを好きだから。

これって矛盾した話になりますやろか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?