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大学生時代 後半の僕

僕の所属していたコースでは大学3年生から研究室に配属され、そこから卒業までの約1年間半研究をすることになる。
そして、その約1年半の間毎日のように研究室に行くわけだから、大学後半の思い出の多くは研究室でのものだ。

配属先の研究室はがん治療、創薬、再生医療に繋がるような研究を行っていた。この大学に進学を決めたのも家族をがんで亡くした経験から、家族のような人たちの力に少しでもなりたいと思ったのが大きかった。だから、がんの研究ができるその研究室を選んだ。

研究室での生活が始まった。のだが、
その研究室が相当ハードモードで動いていることを早々に知ることとなる。

獅子の子落とし

獅子は我が子を深い谷に投げ落とし這い上がってくる者のみ育てたという。

そんな感じだろうか?いや、ちょっと違うな。
深い谷というより、どちらかと言えば底無し沼。どんどん下に沈んでいく。

何より先生が怖い。無言の圧力を感じる。そこら中に地面から突き出した無数の地雷が見える。コミュニケーションが難しい。チクチク刺される。
先生方のレベルが高く、学生に求める基準も高かったからこそだということは分かっていたのだけれど、分かっていてもしんどかった。

気持ちが落ちると結果があまりいいものにはならないことは野球部時代から気づいていたことだったが、いざまたその状況になってみると意外とできないものだ。(当事者って、冷静に判断できない生き物なのね)

怒られたり失敗してしまった時にそれをリカバーできないままズルズル落ちてしまうと、失敗することを恐れてビビってしまったり、自分への自信を失って弱気になる。お叱りをエネルギーに、失敗を教訓にできたら強いのだけれど、落ちた気持ちでした行動がいい結果を生むことはあまりなくて、また怒られたり失敗するといった結果が悪循環を生む。

そんな気持ちで研究を行っていたから、当然、

挫折②:研究活動がうまくいかず

またしても挫折を味わうこととなった。


「環境だ。環境を変えよう」

そうだ、東大へ行こう。

僕は環境を変えるために外部の大学院を受験することにした。
もっと自由な環境と、より良い人間関係のために。

外部へ進学することを先生方に伝えたときの炎上っぷりといったらもうそれはそれは...。同期の2人がいなかったら確実に潰れてたと思う。

そうして、大学院受験のための勉強を始めた。
いつか何かのニュースで〝秋田県の学生の学力が高いのは勉強して一刻も早く県外に出たいからだ〟とかいう話を聞いたことがある。僕もそんなモチベーションで勉強を続けた。

そんな矢先、またしても不幸が襲う。
当時の彼女からの涙の電話。

挫折③:失恋

恋が終わった。
自分を思ってくれている人が1人また1人と僕の周りからどんどんいなくなっていく気がした。メンタルはどん底だった。

それでも、このままの状況は死んでも嫌だった。


・・・


なんとか大学院に合格し、春からの新しい生活が始まろうとしていた。


つづく

 ___
p.s. そろそろ現在に近づいてきた。もう少し。

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