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16歳、オーストラリア行って進路が変わった話


高校2年生になって割とすぐの頃、
夏休みにオーストラリアへの語学研修があり参加者募集中と耳にした。

期間は2週間、滞在中はホームステイをして現地の高校に通うというもの。

それまで海外に行った経験は、母との3泊4日の韓国旅行のみ。英語は勉強系のテストで唯一得意で好きではあったものの、日本教育特有のライティングリーディングに特化していて話すスキルなんてものは全くなかった。


海外に強く興味があった訳ではなかったけど、その時はなぜかすごく惹かれて気になるなあ行ってみたいなあと思いつつも、親元を離れて一人で異国の地で生活できる自信もなくて悩んでいた。

そんななか仲のいい友人たちが申し込むことを聞きつけた私は、友達がいるなら安心かも!と、まだ親に相談してもいないのにコアラ抱っこできるかな〜オーストラリアってどんなところなんだろう〜ってまるで行くのが決定したかのように心躍らせてた。笑


猛反対される

家に帰って語学研修に参加したいという話を母にしたんだけど、母がどんな反応をしていたのかを私は覚えていない。

なぜなら、話を聞いていた兄に猛反対され悔しくて泣いていた記憶しかないから。笑

どういうことかと言うと、
私の両親は私が高校に入るタイミングで離婚した為、母と当時大学生の兄と3人で暮らしていた。住居費は父からの支払いで賄えていたものの、その他生活費は母のお給料から出ている状態だった。
兄も私もアルバイトをしていたので、自分の遊びに使うお金や服などは自分で買っていたとはいえ、今思うとよく生活できていたなと思うぐらい母のお給料は3人家族の生計の柱としては充分なものではなかった。


そんななか私が海外研修に行きたいと言った。渡航費は50万ちょっと。


「母さんひとりなんだぞ?そんな遊びに使う余裕ないんだよ、ちょっとは考えろよ」

そんな感じのことを、兄に言われた。


悔しくて悔しくてたまらなかった。
自分でもそんなことは分かっていたし、
でも行ってみたいという気持ちに蓋が出来ずに、母の負担になるのは承知で相談していた。兄も母のことを想って言ってたことは理解してたけど、母のことを考えてないかのように言われたのも、周りの子は行けるのに自分は片親だから諦めなくちゃいけないってこともダブルで悔しかった。


わかってるよそんなの!!!!!でも行きたいんだもん!って説得力のない泣き叫びで訴えて(笑)、最終的にはいくらか私がバイト代から出すことで行けることになった。あとから聞いたら母は一度言い出したら聞かない私に説得は無理だと思っていたらしいけど。笑


念願のオーストラリア、言葉の壁にぶち当たる


そんなこんなで高校2年の夏休み初日から2週間をオーストラリアで過ごすことができた。そして、このオーストラリアへの海外研修が私の人生の転機になった。


オーストラリアに行く前まで、私は高校卒業後の進路を専門学校に行くとしていた。理由は勉強したくないから。(笑)恐ろしく単純すぎる理由だったけど、そんなに勉強したくないし芸能人に会えるかもしれないというこれまた単純な理由で興味のあったメイクアップアーティストになりたいと思っていた。

メイクアップアーティストの方が目にしたらそんな理由で…とお叱りを受ける動機かもしれないけど、当時の私は特に進路について深く考えていなかったんだと思う。


それが渡豪したことで大きく変わった。
英語は好きだったけど日常的に触れているわけではないので、もちろん現地に行ってみたら話を聞き取れないどころか、それにどう返していいのかも分からなかった。

学校に行けば友人がいるので日本語で話したりできるけど、ホームステイ先には自分ひとり。会話をすることがしんどくて、夕飯を食べたら部屋に籠ってしまうように。


そして、あんなに懇願して参加した海外研修なのに気づいたら、早く帰りたいと思っている自分がいた


私のホームステイ先は夫婦2人のお家だった。
一緒に参加していた友人たちは同じ高校生くらい、もしくは小さい子供がいる家庭だった。

「ホームステイ先は子供がいる家庭を選んだ方がいい。」
ホームステイ先を選ぶ上でのワンポイントをこのように聞いたことがあった。

そして私もこの時、「ホームステイ先が違う家庭だったら違かったのかも…」と最低だけど環境のせいにしようとしていた。ホストマミーとホストダディはとっても優しく、たくさん会話しようとしてくれていたし、外に出るときは私にも体験させよう連れ出してくれていたのに。

今はもちろんホームステイ先の家族構成に関わらず相性が大切だと思っているけど、この時は未熟で自分の力不足で上手くいかないことを、誰かのせいにしようとしていた。


1週間くらい経つと少しずつ耳も慣れてきて、何となくだけど相手が言っていることは理解できるようになってきた。せっかくここまで来たのに、殻にこもってちゃ意味ないと思い、夜ご飯を食べた後に自分の部屋に入らずにホストマミーと一緒にTVを見るようにした。
そうするとマミィは色々な話をしてくれるようになった。正直話の内容を理解はできていなかったし、ホストマミーもそれを分かってはくれていただろうけど諦めずに続けてくれた。

それからは犬の散歩や料理なども一緒に行うようになった。


環境のせいにするのは簡単だけど、自分から行動しないと何も状況は変わらない。逆にいえば、何かしら行動を起こせば状況は変化するということを身をもって体験した出来事だった。


進路変更、大学に行くことを決意

オーストラリアでのホームステイ生活は、コミュニケーションを上手くとれず苦労した、どちらかというと苦い思い出ではあったけど、初めて異国の地で生活を送るという経験を経て、もっといろんな世界を知ってみたいという気持ちが芽生えた。


英語を話せるようになって、もっとコミュニケーションができるようになりたい!


そう強く思い始めた私は、それまでメイクアップアーティストになるための専門学校に通うと決めていたけど、「外国語を習得しながら国際的なことを学べるところに行きたい」と進路を大きく変更し外語大を受験することになった。


挑戦してみることで人生が変わるかもしれない

私自身、オーストラリアに行ったことで人生の選択が変わりました。私にとっては、大きな転機になりました。

正直今もメイクは得意ではないし、きっとその道に行っていたらうまくいっていなかっただろうと思っています(笑)結果論ではありますが、、


海外に行くと、まだまだ自分の知らない世界があるということを思い知らされます。個人的には海外に行ったことない人には一度でいいから行くことをオススメしたいくらい、海外への渡航は素晴らしい体験だと思っています。


でも、同時に海外に行くことで誰しも世界が180度変わるとは言い切れないとも思います。
人によって感じ方は違うので、私にとっては進路を変えるほど大きな出来事でしたが一緒に行った友人たちの中には全然違う進路に進んだ人もいます。


要は海外云々ではなく、何かに挑戦することで人生が大きく変わるのかもしれない、そう思うのです。挑戦した結果上手くいかなければ、願った道を諦めるかもしれない。もしくは、そこまで興味はなかったけど挑戦したことでその道を極めたいと思うかもしれない。


どちらにせよ挑戦したからこそ得られる結果なのです。
挑戦するのが恐いことってあるけども、この時の経験を忘れずに幾つになっても挑戦できる自分でいたいなあと思うのです。



参加することを選択した高校2年生の時の自分によくやったと褒めてあげたいし、何より送り出してくれた母に感謝でいっぱい。母よ、いつかハワイに連れて行ってあげるから待っててね〜


とまああんまり纏まらなかったけど、笑
何かに迷っている方に届いて、少しでも勇気になれば嬉しいなと思い今回の記事を書きました。最後まで読んでくださりありがとうございます、またお会いしましょう〜!!


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