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正しさは危うい

皆さまこんばんは(*^^*)
ご訪問くださりありがとうございます

先日ツイッターを見ていましたら
「帝王切開」がトレンドに上がっており

妊娠中の私は
思わず引き込まれてしまいました

発端となったツイートは…
帝王切開で出産した事を
パートナーに馬鹿にされた
というもの

その声に呼応するように
他の方々も…

・帝王切開なんて楽な出産だよね

・(痛みに耐える)自然分娩でないと
 →  母として一人前じゃない
 →  根性の無い子供に育つ

などという
傷つく言葉をかけられた事があると
レポートなさっていました(>_<)

各ツイートを熟読した結果…
「どんなお産も命がけで尊いもの」

という意見が大半を占めていたので

今後はこの考え方が
主流になっていくのかな

と嬉しい気持ちにも
なったのですが(*^^*)

一方で
このような「相手を傷つける言葉」は
なぜ生まれてしまったのでしょうか?

一連の発言の
共通点を考えてみたのですが…

・「自分の経験の無い事」に対して
  想像や思い込みで言葉を発している

・自分の想像や思い込みが
 「正しい」と思っている

・「自分の発言で他人が傷つくかも…」
  という想像をしていない
 
 (なぜなら自分は「正しい」から)
 
あたりが思い浮かびます


人は自分の経験の無い事については
・想像したり
・人から教えてもらったり
・本を読んだりして
 学ぶことができます

ただ
自分の経験から学んだ事と
間接的に学んだ事とを比較すると

やはり
経験からの学びは圧倒的に濃く
自分の血肉になっている

実感があるのではないでしょうか

それほど
「経験」はかけがえのないもの
 だと感じています

人間にはどんなに頑張っても
経験できないことがありますよね

例えば…
100mを10秒で走るのは
私は一生かけても無理です(笑)

でも世界には
それが出来る人がいるのです

自分の経験できない事を
成し遂げた方を賞讃し
謙虚に学ぶ
のが

経験できない者の行動として美しく
個人的にはそうありたいと考えています

少なくとも
経験できていないからには

自分の想像や思い込みが
経験者の経験内容と比べて
相当低いレベルだと自覚すべき
だと思うのです

激しい言葉を連ねてしまって
ごめんなさい(>_<)
ものすごく自戒を込めて書いてます(笑)

ここまで自覚していれば
自分の想像や思い込みが
実は「正しくないかもしれない」


と考えるようになるのでは
ないでしょうか

そして
経験者に尋ねるなどして

正しいかどうかを検証する
ことができるようになるのかな
と思うのです

・自分の考えは絶対じゃない
・自分は間違っているかもしれない

と考える事はすごく大切
だと考えています

お客様相談室で働いたことで
正しさは人の数だけあるのだと
思い知りました

お客様は「自分は正しい」と思って
それに合致しない製品・サービスへ
意見を出してくださるのですが

正反対の意見を頂くことだって
日常茶飯事でした

案外「正しさ」ほど
個人によって違って
あやふやな物は無いんじゃないか

と感じているのです

経験のないことを
「こうじゃないかな?」と想像するのは
もちろん良いことだと思います

何を検証するにも
仮説が必要ですもんね(*^^*)

ただ
正しさの危うさを知り
「この想像は間違っているかもな…」
「本当のところを学びたいな…」

という謙虚な姿勢を持って
コミュニケーションが出来たら

お相手を傷つけることも
ないと思いますし

お相手自身も
喜んで経験をシェアしてくださるのでは
ないでしょうか

「正しさは危うい」を
心に刻みたいと思います

本日もご覧くださり
ありがとうございました‼


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