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松田樹「場所と/の歴史性」——エッセイ「私と空間/場所」①

 2021年7月から、『近代体操』では「空間/場所」をテーマに読書会を行なってきました。われわれがなぜ「空間/場所」を主題に取り上げるのか、そもそも「空間/場所」とは何か、あるいはその漠然とした主題のどこに関心を置いているのか。それを明らかにするために、『近代体操』メンバーが「空間/場所」を主題とした連作エッセイを発表することにしました。

 本記事は、その第1弾の松田樹による「場所と/の歴史性」です。

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 2017年8月某日、朝早くから天王寺を出る「特急くろしお」に乗っていた。翌日から和歌山県新宮市で行われる「熊野大学」というシンポジウムに参加するためである。中上健次の故郷である新宮の地では、毎夏、彼が始めた企画を受け継ぐ形で文学者や批評家がそこに登壇する。彼の作品を研究しているが、その年になって、ようやく足を向ける気になった。

 前日の朝から家を出たのは、せっかく新宮のようなところまで行くのであるから――和歌山方面には釣りのためによく行くので、時間と距離感はある程度掴める――たいした予定も入れず、新宮市内をブラブラ散策しようと決めていた。そこで、天王寺から約4時間かかる車内でもあまり下調べなどをせずにずっと本を読んでいた。翌週からゼミで卒論指導が行われる予定であった松本清張『点と線』と、適当にブックオフで買い込んだ内の一冊である村上春樹『辺境・近境』が手元にあったことだけよく覚えている。いずれも旅に関わる内容のものだったからだ。

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 枯木灘海岸のある周参見を過ぎた頃から、車窓を曇らすほどの猛烈な雨が降ってきた。太平洋に迫り出した山のふもとのこの地域では、スコールのような雨が降る。雨足がさらに強まる中、新宮に到着する。平日で降りる人もいないので、切符を切る駅員に急かされるように駅から出た。天王寺では天気が良かったので、半袖サンダルで雨具も持っていない。とりあえず、傘を買おうと思い、新宮駅を出て対面に大きく見えたイオンのような、しかしやや古めかしい大型百貨店へと向かった。

 土地勘がないので上空にその建物を見続けながら線路を超えて歩いてゆくなかで、ひっそりとした一角を通る。百貨店でビニール傘を買い、今後の天気を調べつつ回る場所を決めようとフードコートのような場所に座る。そこで、Googleマップを起動して見ると、自分が今いるのが、中上が作中でその過程を繰り返し描いてきた、彼の故郷を潰して建った某スーパーマーケットチェーンに他ならないことに気が付いた。そしてまた、ここに至るまで通ってきた人気のない一角が、彼の生まれた故郷であることを知った。

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 傘を持ちながら来た道を戻ると、たしかに、電柱に記されている地名はそうである。住宅地の一角には中上の顕彰碑がひっそりと建てられ、「「大逆事件」の犠牲者を検証する会」の石碑もあった。その後、周囲をブラブラしていると近隣の民家の一階では、大逆事件が弾圧であることを訴える展示がしてあった。入ると、私一人しかいなかったので、係の方(というより住人?)に展示内容を、あたかも昨日のことのように熱弁されたことを覚えている。

 またそこで、新宮市街から離れた場所に中上の墓があると知り、30分以上かけて雨の中せっせと歩いた。市内から隔離されたようにあるその墓地でも、中上の墓へと辿り着く前に大逆事件の犠牲者の名が続く。平日でしかも豪雨の中ということで、街中でも墓地でもほとんど人にすれ違うことなく、その日一日、中上の作品世界に入り込んだような奇妙な感覚に陥った。大江健三郎の「スーパーマーケットの天皇」という言葉も想起された。翌日からの「熊野大学」にはたしか町田康などの作家が来ていたが、あまり記憶がない。

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 この体験があってからは、文学作品に出てくる場所にはよく足を運ぶことにしている。これも少し昔、批評家の赤井浩太と井上光晴が故郷として偽った長崎県の崎戸島の炭鉱跡に訪れた。海へと迫り出したその土地はもはや炭鉱の活気が失われて更地と廃墟群ばかりとなっていたが――廃墟マニアには「軍艦島」に並んで長崎では有名な廃墟スポットであるらしい。ちなみに、同じく長崎県出身の村上龍の『コインロッカーベイビーズ』には軍艦島とともに崎戸島をモデルにしたような箇所があり、彼の『半島を出よ』もその一部が崎戸島を舞台とする――、飢えた炭鉱夫と売春婦の姿を描く井上の作品とは異なって風光明媚な土地であるように見えた。

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 だが、ふらっと話を聞きに立ち寄った井上が定宿にしていたある宿の主人から、崎戸島に連なる美しい芝生道はかつての炭鉱の廃棄物によってできており、孤島であった時代は人を送り込む過酷な海底炭鉱として恐れられたと伝え聞いた。

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 先月も、左藤青やこの読書会のメンバーと野間宏が舞台とした大阪のある都市部郊外を訪れた。そこもやはり異様なまでに人気がなく、少し歩いていった先ではかつて橋下市政下で財源カットの槍玉に挙げられた「リバティ大阪」がもはや更地になっていた。

 戦後の日本文学を研究している私にとって文学作品が身近に感じられるのは、ある場所との出会いにおいてである。日常的に見知っているモールや廃墟、郊外に、歴史が降り立つこの奇妙な感覚。それよって初めて、われわれのいま・ここで寄って立つ地盤もまた、構造的な搾取と差別の上に成り立ってきたことが理解される。

 ただし、場所との出会いは必ずしも、「観光」という非日常的な契機を必要とするものではない。搾取や差別は、われわれの生きる都市にこそ内在するからである。だからそれは、おそらく我々が見ている風景や記号の配置を変えれば――つまりは「体操」ができればよい。

 例えば、この記事のヘッダー画像は、左藤らと訪れた、大阪湾の埋立地に建てられたゴミ処理場とそれを取り囲むコンテナの集積地である。その都市が作り出した「バックヤード」から、大阪の「表玄関」である、対岸に臨む西海岸的なイメージを周辺に醸し出したテーマパークUSJや中之島のビジネス街を眺めること。あるいは、これは大阪でも長崎でも新宮でも同様であるが、石炭や皮革など都市が要請する生産物のためにそこに埋め込まれてきた労働と流通の網目を追うこと。

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 「非場所」(マルク・オジェ)を鍵語として『近代体操』で行ってきた「空間/場所」企画では、匿名的で非歴史的な現代日本の空間的条件と、ある作品――文学・映画・音楽なんでもいいが――が表象する場所=歴史の、その視差の生み出す奇妙な感覚を深めていきたいと考えている。

(文責 松田樹)


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