生きるということ①
96年生きたおばぁちゃんが他界した。
おじいちゃんが他界してから14年。
住職さんが
『自分の近くにいる人には
もう会えなくなるとわかってから
あれもしてあげたかった
とか
まだ何もしてあげてない
とか
ようやく目の前の人の大切に思うようになる』
という説法をしてくださった。
この歳になると幾度か別れを経験し
このような話は聞き慣れているはずなのに
心に響くのはなぜなんだろうなぁと思っていた。
その話を聞きながら私が思い出したのは。。。
14年前、おじいちゃんが亡くなって
数年が経った時
おばあちゃんが一人暮らしになり
生活しやすいようにと、
おじいちゃんが生前使っていたものを
片付けることになった。
一度だけ、私もお手伝いに行ったのだが、
おばあちゃんは、
おじいちゃんの生前大切にしていたものを
「これはどうする?」と聞くと
「捨てていいよ」
と、なんの躊躇もなく答えた。
そして、言葉通り
どんどん捨てていった。
「いいの?」
とこちらが何度も聞き返すくらい。
すぐに半分くらいになったと思う。
その時、私はおばあちゃんが
おじいちゃんがいないのに物ばかりあっても
仕方がないといっていた。
そしてそれを
とっても素敵な考え方だなと思った。
そして、それからおばあちゃんは
じいちゃんが座っていた定位置に
座るようになった以外は
いつもと変わらず。
孫の誕生日をしっかりと覚えてくれて
電話をしてくれたり
家に遊びにいくと、
茶菓子とは思えない量の茶菓子とお茶を
せっせと準備してくれたり
年末に親戚が集まることを
楽しみにしていたり
ご近所付き合いもとても上手な
本当によく喋り、
よく動くおばあちゃんだった。
そう、
おばあちゃんはいつでも地に足が着いていて
とにかく自分の目の前にいる人達に
会っている時に
あれもこれもしてくれる
なんでもしてくれる
自分の時間を楽しみながら
何より相手の時間を大切にする
そんなおばあちゃんだった。
ということだった。
人はこの世に生を受けた限りは
必ず死を迎える。
そして、自分の死というものは
感じることができないまま
人は終わりを迎える。
私も長男が中学に進学したあたりから
これまでぐっっと狭かった視野が
少しづつ広がって、
これまでとは少し違う感覚になってきている。
おばあちゃんのようにはまだ出来ないけれど、
生きることって
そういうことなのかもな。
と
ふと感じられた瞬間となった。
②に続く。
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