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人生の封書を開き、自分の役回りを見つける~森信三先生、小林正観さんの話から   

    月1回、地域の読書会に参加しています。
 テキストは「修身教授録」。教育哲学者の森信三先生の、今でいう師範学校(教員養成学校)の学生に向けた講義記録です。
 教科書はなく、その時々に森先生が学生に必要な事、気になっていることなどを話題にして講義されたものですが、生き方の原理原則や教育者としての心構え、日常生活における様々な「雑事」への処し方などの多岐にわたる内容です。そのためか、教員関係者にとどまらず、経営者にもよく読まれているようです。
 
 そんな森先生が、亡くなる前のインタビューで次のようなことを話されています。 

・・・われわれは、ある意味では、神からこの世へ派遣せられたものといえる。
したがって、いかなることが課せられた使命かを突きとめねばならぬ。それがある程度わかりだすのは、人生もほぼ二等分線を超える頃のようです。つまりね、35歳を中心とする小十年間で、遅くとも40までには、かなり、はっきりとその見当をつけねばならぬといえましょう。
(平均寿命が延びている現在であれば50歳までに、かもしれません)
 
・・・ご縁というものをかたじけなく思うておるっていうことでしょうな。
自分でつくり出したものじゃなくて、与えられたものだからね。ですから自分でやることは与えられたご縁をどこまで、大事にするかと言うこと以外にないですから。

現代の覚者たち  致知出版社

 この内容を読んでいたら、私は小林正観さんの言葉が思い浮かびました。
正観さんは、ご自身の経験や数多くの人の人生相談、事実を積み重ねての検証から、どうやら
 
「人生のシナリオは決まっているらしい」
「魂が存在するらしい」

 
という考えに行きついたそうです。
 そして、魂に関してこんなことを言っています。

人それぞれの困難をくぐり抜けて生きています。
 人には各々の修羅場が人生の中で用意されています。
 ちなみに「修羅場」の数は、輪廻転生の数に比例しているらしい。魂が何度も生まれ変わりを繰り返してきて、だいぶレベルが上がってきた、そういう人ほど、「修羅場」の数も増えているという構造になっているようです。

人生のシナリオを輝かせる言葉

 また、森先生の「封書を開く(使命の自覚)」に近い話として、次のようなことを言っています。

頼まれごとが次から次へ来ている人は、それだけで人生が流れているということです。
 頼まれごとを笑顔でこなしていると、同じことを頼まれるようになる。
 同じことを3年間頼まれていると、「私はこういう人生なのかな」と思う瞬間が来る。これが「立命の瞬間」。きっと、その人の今生での「役回り」なのでしょう。

人生のシナリオを輝かせる言葉

 

人にはテリトリーがあり、そういうことしなければならない立場の人は、自然にそういう、はめになるようです。その人が努力したわけでも、無理をしたわけでもないのに、ひとりでにそうする状況が生まれてくるそうです。

 なので、すべての事は必然で、一つでも欠けていたら、今、ここにはいません。
 ひょっとしたら、パワハラ上司がいて、会社を辞めたとしても、その上司のおかげで、違う人生(自分の今生の役回りの流れ~別の職業、仕事、頼まれごとを引き受ける流れ)に入れたという見方もできるかもしれません。
だから、すべてのものが感謝の対象にもなります。
 (私自身は、まだまだ、そこまでの気持ちにはいきませんが・・・・)
 
 これまでの私は、「お金持ちになる」「出世する」「記録を残す」「有名人になる」・・・などができた人が「成功者」だと思っていました。
 しかし、これらのことも、ある意味、他者の価値観が刷り込まれて、「成功者」と思い込んでいただけだと気が付きました。
 
 森先生の言葉を借りれば、人それぞれに「封書」があります。
 正観さんの言葉でいえば、「今生の役回り」があります。
 

その自分ならではの使命、役回りを見つけ、自覚し、そして、目の前の人やモノ、ことに念を入れて生きることが「ご縁を大切にする」生き方につながるのではないかと思いました。逆もまた然り。ご縁を大切にしている(頼まれごとを淡々とこなしていく)と、自分の役回りも見えてくるのかもしれません。


 
 みなさんは、ご自身の「封書」を開きましたか?
 
 
ここまで読んでいただき、ありがとうございます
皆様の心に残る一言・学びがあれば幸いです
 
 

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