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読書会に参加しての学び 12~森信三先生の人となりから見えてくるもの         

 月1回、地域の読書会に参加しています。
 現在は「修身教授録」という、森信三先生が講義された内容がまとめられた本を読んでいます。戦前の大阪天王寺師範学校(現 大阪教育大学)の「修身科」の講義をされた記録がまとめられて、本になったものです。

 教育関係者をはじめ、特に経営者によく読まれているようです。それは、「生き方の原理原則」や「仕事に関わる身の処し方」等が書かれているからです。簡単に言うと「人間学の要諦」がまとめられていて、「リーダー」に必要な素養を学べるからです。
 
 修身とは、「自分の行為を正しく、身を修め整えること」です。

 よりよく生きるための方法や気を付けるべきことなどを学ぶわけですが、堅苦しく感じたり、その場限りの「きれいごと」をいうだけの内容と揶揄されたりすることもあります。

 では、実際、そんな修身の授業をしていた森信三先生は、どんな方だったのでしょうか?
 「いいこと」を口にできても、実際に行動が伴わない人は多いですが、森先生はどうだったのでしょうか?
 
 森信三先生自身は、1993年(平成4年)に亡くなられました。
 
 それまでに、森先生に師事したり、食事を共にして話をしたりしてきた人もたくさんいます。そんな方の「思い出」話には、次のような森先生の人となりが語られています。
 
(月間「致知」1996年12月号より) 
 
・焼肉店に道友4名と師(森先生)を囲んで夕食を共にする。
 森先生の食欲は我々以上。ビールは小さなコップで2杯程度飲む。
 顔はやや赤み、にこにこ上機嫌だった。

・森先生は、食後の散歩で、歩道の広くなったところに差し掛かると、散らかっている紙屑を素手で拾い始めた。

・しばらくして、恐る恐る「どうでしょう、限りがありませんが」とお尋ねすると、「もうこれくらいでいいでしょう」と、軽く手をたたきながら、「紙屑は、その国の文化の象徴ですからね」と言われた。

・学校を訪問する際は、校門の手前で車を降り、正面に立つと脱帽して深々と礼をされた。

・玄関までの途中にごみがあれば拾われる。

・雑草が生えていると、「これは貧乏草といって、これが生えだすと必ず学校は乱れてきます。会社でいえば倒産です」と言って、草取りを始められた。

・路傍の物乞いに、誰からとも気付かれず、こっそり投げ銭をしておられた。
 
・森先生は、送られてきた封書は必ず鋏で封を切られた。めったなことでは封の口を手でちぎったりはしなかった。
・・・ 

他にもたくさんありますが、共通して「森先生は、どなたに対しても、いつも丁寧な言葉遣いで接してみえた」と言ってみえます。
相手によって態度を変えられない、一貫していた姿が浮かんできます。

 そんな森先生が「人間透徹」(人間の見方)について次の3つを挙げていたそうです。

1 その人の実行が、どの程度一致しているか否か
2 その人の言うことと行うこととの間に、どれほどの一貫性があるかどうか
3 その人の日常生活における一見瑣末とも見える行動の中に、かえってその人の全一人格の片鱗のうかがえる場合も少なくない

 ある意味、森先生自身の行動に一貫性があり、「修身」で口にしている事が、「身に付いたもの」「生活の中で実践されていた事」に表れているともいえます。
 そういうところからも「すごい方」だったんだなあと改めて感じました。
 
 本からと共に、そんな生き方、人としての在り方も学びたいなあと思いました。
 
ここまで読んでいただき、ありがとうございます
皆様の心にのこる一言・学びがあれば幸いです
 

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