それぞれの場所のヒーロー(ヒロイン) 為し合うことの中で
先日、トイレのふたと手洗い場の蛇口を修理してもらいました。
どちらも留め具が壊れていて、うまく閉まらなかったり、うまくまわらなかったり。
使えはしますが、ちょっとした「ストレス」を感じ続けていました。
時間や費用の都合で、先延ばし。
ようやく、修理をお願いして、直りました。
修理できたことも嬉しかったのですが、その修理に来た方の言動も気持ちよかったです。たぶん、年齢的にはかなごり高齢かとは思いましたが、とにかく、楽し気に修理されていました。
営業スマイルとかではなく、掛け値なしの本音として伝わってくるものでした。
この仕事が大好きなんだ
修理後に、みんなから「助かりました」「ありがとうございます!」「よかった~」なんて言われて「ヒーローみたい」でしょ。
実際、私自身ではどうにもできないことで、まさに助けてもらったという感じです。
これまで、何となく
「社長だから偉い」
「少しでも儲かることがいいこと」
に、価値があることのように思っていました。でも、
「仕事自体が楽しい」ということが最大の報酬なのかもしれないと、この修理屋さんの姿を見て感じました。
そういえば、先日東京へ観光に行った時も、あちこちで働く人の姿を見ました。
ガッシャン!!グシャン!!
と大きな音を立てて、飲み物のケースを乱暴に積む人がいました。何となく、いらいら、仕事に怒りをぶつけているような感じがして、こちらの気持ちも嫌なものになりました。
しかし、かたや、窓の清掃員の方で、鼻歌を歌いながら綺麗にしている人もいました。1階部分は手持ちのブラシで、3階、4階と高いところは、いろいろと器具をジョントして、機械のアームのようにして窓を拭いていました。その時の姿が、何とも楽し気で、そして、ちょっとした「ショ―タイム」といった感じでした。ひょっとしたら、そういう「見られている」ことを考え、「見せる」ことを意識した掃除をされていたのかもしれません。光り輝いて見えました。
また、神保町の古本屋に立ち寄った時。お客さんに対して、その本の価値を熱弁したり、尋ねられたことに対して、あれこれと答えてたりする店員(店主?)さんの姿を見ました。本が売れるかどうかと言うより、本当に本が好き、貴重な資料だという思い、これまでの歴史に対する誇りみたいなものが言葉の端々に感じられました。
さらに、新幹線の清掃員の方。
あの短い時間で、窓、テーブル、床、椅子のカバー取り換え、トイレ掃除・・・とてきぱきとコンビネーションよく、掃除をしていかれました。まさに「神業」。
何より、掃除のために車内に入る時や掃除後、お客さんに「お待たせしました」というような感じで一礼する姿が
凛としていて、ある種のかっこよさを感じました。
幸せの語源は、お互いに「為し合う」だそうです。お互いにしてあげ合うこと。
でもこれは、「やってもらう」「してもらう」という考え方ではなく。
「(心を込めて)させていただく」「(善意と好意による申し出は、すべてありがたく受けて)させていただく」という、お互いが喜んでしてあげ合う状態が、幸せの本質であり、究極の幸せの姿らしい、と言うことです。
今日もどこかで、人に頼られて活躍している人がいます。
そして、私も、私にできることで、何か、誰かの為にできることがあります。
自分の得意な事、好きなことで「人に喜ばれる」ことは、大きな幸せにつながっている(いく)のかもしれません。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
皆様の心にのこる一言・学びがあれば幸いです。
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