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読書会に参加するしあわせ②~仲間がいるからチャレンジできる、世界が広がる

読書会に参加するようになって10年以上がたちます。
地域の中での会だったので、参加メンバーの職種も年齢、性別も多様で、得ることがたくさんありました。
人見知りで、会の中では若手の部類に入っていた私は、なかなか発言できませんでしたが、それでも、本や本に関わるその人の人生経験を毎回聞けて、それだけで満足でした。
 10年以上たち、メンバーや参加人数、テキストもかわりましたが、続けて通っているのは、自分にとって居心地がよく、そして、自分厭ってプラスになっている思いが強いからだと思います。
 ここで、、私が感じた読書会の良さについて振り返ってみたいと思います。

 今感じている読書会の良さは次の通りです。
➀ 本をきっかけにして、人とつながれる
② 普段は手にしないような本に挑戦できる
③ 仲間の発言を受けて、興味関心が広がり、自分の読みが深まる

④ 自分が感想や意見をアウトプットすることで、より自分の考えが明確になる
⑤ 語るのが気恥ずかしい分野や内容について語れる
⑥ 本を通じた、新しい楽しみ方を知れる
⑦ 仲間との交流による心の安定、高揚感が得られる
 

② 普段は手にしないような本に挑戦できる

各地で読書会が開催されるようになっているそうです。
会の流れ、形式も様々。

私が参加している読書会では、森信三先生の「修身教授録」、二宮尊徳(二宮金次郎)の「二宮翁夜話」が共通テキストになりました。

「修身教授録」は、500ページ以上ある大作で、内容もなかなか難しく、1、2講ずつ読んでいったので、読み切るのに5年以上かかりました。
ただ、その分、最後まで読み切った時の達成感は半端なく、ものすごく高い山を登り切った時のような高揚感、最後まで行けたという自信みたいなものも得られました。

これは、読書会の仲間の力があってこそです。

普段、一人の読書では、絶対と言っていいほど、手にしません(笑)。
難し過ぎるし、500ページもあったら、途中で挫折。読まなくなって、本棚の奥にいって、目にも触れなくなっていたと思います。
 
他の読書会の様子を見聞きすることもありますが、やはり、けっこう古典文学や長編の本を共通テキストにしているところが多いようです

古典は、ずっと読み継がれてきていて、きっと、自分にとっても大いに学べることが書かれていると感じつつも、なかなか読めません。
敬遠して手にしないし、手にしても読み通せないことが多いです。
だからこそ、読書会で取り上げる価値があるのかもしれません。

そういう意味で、読書会は、難しい本にチャレンジするきっかえを与えてくれます。
そして、仲間とともに、その本を読破していけます。
それが大きな自信を生み、次の難しい本に挑戦する意欲を高めてくれます。

③ 仲間の発言を受けて、興味関心が広がり、自分の読みが深まる

同じ本(テキスト)を読んでいるのに、参加者の感想や意見は多種多様になります。

それは、年齢(年代)や職業、性別、人生経験が多様だからこそです。
そして、参加者の意見によって、自分では思いつかない、あるいは、スルーしていた事実や新しい視点を得られるところも読書会の醍醐味と言っていいと思います。

もちろん、時に、参加者の意見に共感できない時もあります。
しかし、それはそれ。
会議や公の発言の場ではないので、そのまま流してしまえばOKです。
むしろ、参加者の意見に共感できず、流せない、こだわってしまう時は、自分の中に、何かその意見にひっかかる要因~コンプレックス、学び損ねたこと、自分のネガティブな側面~が隠れているときがあります。
それを、後から丁寧に解きほぐしていくと、また違った世界が開けます。


自分一人では、何となく分かったつもりで読み流したり、重要な事と気づかなかったりして、学べる内容を取りこぼしていることがたくさんあります。また、意見の中で、別の本や仕事に生かせそうなスキルの紹介があったりして、本の内容以外の学びをたくさん生まれてきます。そこから、自分の興味、関心が広がります。

実際、自分が参加している読書会は平日の夕方6時~8時に開催されることが多いので、感想交流や紹介された本を忘れないうちに、帰宅途中の本屋で探したり買ったりします。
その場でアマゾンの注文ができないわけではありませんが、やはり、間をとって、実際に手にして内容を見てから買うのも楽しみの一つではあります。こうやって、仲間のお陰で、自分の「世界」を広げてもらえます。

次回に続く・・・。

皆様の心にのこる一言・学びがあれば幸いです。


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