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読書紹介27 「悪意」

あらすじ
人気作家が殺された。逮捕されたのは第一発見者で親友の野々口修。彼は犯行を認めたが、決して動機を語らない。やがて部屋から大量の未発表原稿や被害者の前妻の写真が見つかり、意外な動機が浮かび上がる。観念した野々口は全てを手記として書くが、それは、あらゆる人間関係を根底から、覆すものだった。

感想

構成は、記録者となる二人の人物(犯人と主人公の加賀恭一郎)による手記と記録とが交互に出てきます。
その中で、真実と嘘が入れ替わり、自分がミスリードされたくやしさと、「あは体験」を味わうことになりました。
 
内容的には、早い段階で、犯人が見つかり逮捕されます。
その後の展開を考えると、犯人捜し、犯人あてではなく、「動機探し」をするミステリーでした。これまで、読んだことがないようなタイプの作品で、驚きました。

アリバイやトリックを見破って、真犯人を見つけるのではなく、どうして事件が起きたのか、今ある動機では「説明はできても、納得はできない」ことから、「真の動機探し」をします。そこが、今までのミステリーと一味違いました。

最後の解決編?、動機が解明されていく文章の中で、ここまで読んできた自分も、初めの犯人による「手記」の記述、内容によって、ある人物のイメージをミスリードされていたことに驚愕しました。
「人は見た目が~」など、第一印象の大切さを謳う本は結構ありますが、自分も、記述による初めの印象付けによって、その人物の言動を「悪く」とるようになっていました。
この人なら、こんな行動も「ありうるな」・・・みたいな感じです。

雑誌やニュースでも同じです。
よく、間違った報道があった時、後から訂正やお詫びがありますが、最初に印象付けられたイメージはなかなか覆らないことも多いです。ある意味、「悪意」をもって、印象操作をされていないか、普段から気をつけようとも思いました。

今回の被害者、加害者はともに「作家」でした。
なので、モノを書くことにまつわる作家ならではの視点、思いも表現されていて面白かったです。
東野さんが感じられたこと、あるいは考え続けてこられたことかもしれません。次のような言葉がありました。

執筆というのは機械的な作業じゃないから、アイデアが浮かびそうにないと、何時間でも机に向かったままで何時間も机に向かったままで一枚も書けないということがある。

整然と描かれたものは、説得力を持ちがちである。

作品を書き写すことで、その文章のリズムや表現方法と言ったものを学ぼうとしたんだ。

その作家の作品であるかどうかを知る手掛かりは、言葉遣いや表現ですからね。

「人間を描く」
その人物がどういう人間なのかを読者に伝えること。それは説明文ではない。ちょっとしたしぐさや台詞などから読者が自分でイメージを構築していけるように書く。

日本人はメモや日記を数多く残している稀有な民族」と言われることがあるそうです。書かれた文章は、書いた人の「主観」「思い」が入るので、事実を違うことが多々あります。あくまで、その人にとっての「真実」と言う言い方もできます。
ひょっとしたら、日本人特有の同調圧力が高い中で生活する時、そのガス抜き、あるいは、「本心」をメモや記録として吐露したい思いが強いのかもしれません。

著書情報
「悪意」東野圭吾
発行所   講談社文庫
発行年月日 2001年1月15日

皆様の心にのこる一言・学びがあれば幸いです

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