読書紹介⑬「ルビンの壺が割れた」
感想
ルビンの壺とは
デンマークの心理学者エドガー・ルビンが考案した図形。
見方によって、壺に見えたり、顔(向きあった二人)に見えたりする不思議な絵です。
1枚の絵の中に2つの「現実」があるのですが、脳の認知機能には限界があり、いわゆる盲点があって、1つのものを認知することで、他のものが目に入らなくなるという感じ。
話は、まさに、この「ルビンの壺」のように、読み進めていくうちに、どんどんと見え方が変わっていきました。
雰囲気はありますが、事件解決?や謎解きというミステリー作品ではなさそうで・・・、でも、最後の最後で、大どんでん返し?「真相」や「別の顔」が見えてくるという面白さがありました。
はっきり言ってしまえば、内容は二人の往復書簡・・・手紙ではなく、現代風にメールのやり取りが続くだけです。ただ、その内容に出てくるいろんな登場人物や「事件」が、メールを重ねるたびに「見え方が変わる」体験をします。別の顔が見えたことで、これまでの顔が錯覚だったと気づきます。
ラスト2通のメッセージにびっくりしました。
乾くるみさんの「イニシエーション・ラブ」を思い出しました。
ラスト2行によって、自分が騙されていた?全てが覆ったあの衝撃に似ていました。
「イニシエーション・ラブ」と同じように、読み終わったら、また初めから読み返してしまいました。すると、それぞれの人物の見え方、あるいは行動が別の意味をもっていることに驚愕しました。
タイトルは「ルビンの壺が割れた」です。
これは、「すべてが錯覚だった」と明らかになったという象徴だったのかなと思いました。
壺の絵が割れたことで、より互い(二人)の顔が認知できるようになったとも読めるし、逆に、つぼが割れたことで、より壺が目に入り、互いの事が見えなくなった、さらに理解できなくなったともとれるし。
この話を通じて、書くということは出来事の一部を切り取る事、「すべてそのまま」は表現できないということを考えさせられました。
たとえ映像であってもカメラアングル、どちらの角度からとるかで視点も変わり、それに伴い見え方や印象が変わります。
マスコミとの付き合い方も、人間関係でも、自分はいつも「一つの現実」、一面しか見ていない(見えていない)と言うことを忘れずにいたいと思いました。
皆様の心にのこる一言・学びがあれば幸いです