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わたしのエトセトラ

初めての投稿、自己紹介では
好きなものや好きな事を
書いてみました。

本日はわたしを取り巻くいろいろを
ご紹介します。



アルコール中毒

わたしの父は物心がついた頃には
すでにアルコールを手放せず
アルコールに飲まれるタイプの人でした。

当時はタバコも一日に一箱では済まず、
居間は濛々とし白い家具や襖は
ヤニで黄色っぽく変色していました。
畳は寝タバコで何ヶ所も黒いこげ跡。

お酒の飲み方も楽しいお酒ならまだよいのですが
顔を真っ赤にし、鬼の形相で怒鳴り散らして、
お風呂で寝てしまい、やっとあがって寝付くと
今度は雷のようないびきを一晩中かき、
別の部屋で眠っていても目が覚めるほどでした。

怖くて怖くて叱られないようにしようと
いつもビクビク怯えていました。


ダウン症



そんな中、弟が産まれダウン症だと分かります。
当時のわたしには兄弟が生まれた喜びしかなかったのですが、両親の注意は弟に注がれるようになりました。

父は毎晩のように前出の在り様でしたが、
我に返っている時は弟を
それは特別に可愛がりました。

母は弟の障がいにショックを受け
弟を連れ海に身を投げようかと思った事がある
ほどだったと随分後で聞きました。

おじいちゃんは毎晩一緒にお風呂にいれていましたし、おばあちゃんはいつも体調を気遣っていました。

オムツがすっぽ抜けるほど細くて
歩き始めるのも遅く
危なっかしいよちよちあるきでした。
しゃべり始めたのもかなり後だったと思います。

家族みんなは弟を割れ物を扱うかのように
心配し大切にしていましたが、
わたしからみれば最強の生き物でした。

なぜなら弟はめちゃくちゃ可愛かったのです。
キョロキョロした丸い目に真っ赤なほっぺの
クリクリボウズでした。

電車で病院に通っていた時の出来事です。
「きゃ~!可愛い〜!!」
少し目を離した隙に車両をよちよちと歩き回り
高校生のお姉さんたちに
黄色い声援を浴びたかと思えば、
「えっ。それどうしたん?」
母は戻ってきた弟がちっちゃな手に飴を
握りしめているのに気が付き
少し向こうに座っておられたおばさんが
こっちに手を振って、それに弟は天使の笑顔で
手を振り返していました。
母は申し訳なさそうにぺこりとした後、
「ほんまにこの子は。」
といいながら少し嬉しそうでした。

車両に居合せた乗客達は
一様に優しい表情でこの出来事を
見守っていました。
一瞬の隙に電車1両の乗客達を虜にし、
飴までゲットした弟。
わたしは子供心に「勝てん」と思い知ったのです。


おばあちゃん子



そんな感じでしたので父方のおばあちゃんと
過ごす時間が多かったです。

おばあちゃんは手芸が好きで縫い物、編み物をよくしていました。
わたしも教えてもらいましたが、
針が手にぐさぐさ刺さり、
毛糸がグチャグチャからまり、
あまり向いていませんでした(不器用なだけ)。
ピアノを勧められ長い間習いましたが
芽が出ませんでしたし、
そろばんも苦手でした(本当に不器用)。
今思えば教育ばあちゃんだったかもしれません。

おばあちゃんには寝る前に「日本昔ばなし」を
読み聞かせてもらっていました。
小·中学校の間、得意な教科が国語だった事や
高校卒業後文系に進む事もこの読み聞かせに
起因するのかもしれません。

昭和のおばあちゃんというと
「ぽたぽた焼き焼いてる優しいおばあちゃん」
的なイメージが浮かぶ方もあるかと思いますが、
主張しておくべきはおばあちゃんは父の母。
戦争を生き抜いた気の強い昭和のおかん。
スイッチが入ると猛烈な戦闘モードへと
切り替わるのです。
父と毎晩のようにバトルを繰り広げていたのは
他ならぬおばあちゃんだったりするのです。
母にとっては厳しい姑、かなりキツい言葉を浴びたこともあるようでした。

それでもわたしには頼れる大切な大人でした。



ちょっこと長くなりました。
次回に続きます。



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