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棚経にまつわるエトセトラ

今年も棚経の季節がやってきた。
わが家は本家で先祖代々のお仏壇がある。
お盆に入るまえにお坊さんが
御出でになり、お経をあげられる。


この行事には個人的に
いくつか因縁がある。
憂鬱である。



【因縁1】
普段掃除などしない父が張りきって
「掃除せんとな!」とか
言い始める。
(どの口が言うとんか。)


もちろん掃除するのはわたし。
父は号令だけかけてスッといなくなる。


自分はシキビ担当と勝手に決めているらしく、
畑に生い茂ってるのを
必要以上に切ってくる。
供えられたものはよいが、
余ったシキビの片付けもわたし。
いらない手間。


掃除が完了すると誰よりドヤ顔で
「こんなもんかな。」
とか言う。
(お前が言うな。)


【因縁2】
掃除で骨折をしたことがある。

今年も気をつけて掃除をせねばならない。

ちなみに普段、仏間は仏さんに
チーンする時くらいしか使用されない。
ゆえに軽く物置状態が発生する。
今年は弟や母の収納を替えたので
その時溢れでたものが一時的に
(といいつつ数ヶ月)放置されている。
これもうまく収めないとならない。

毎年の事なのに、リバウンドする散らかりは
わが家の収納不足が原因なんだろうか?

謎は深まるばかりだ。
(片付け下手なだけじゃない?)



【因縁3】
時間通りにお坊さんが来た試しがない。

お忙しいのも暑いのも承知の上だが、
通知のはがきに書かれてある予定時刻から
1時間くらいは平気で遅れる。

何年か前、予定は10時頃だったのに
例のごとくなかなか来ず、
仕方なくお昼ごはんを食べ始めた途端に来た。
間の悪い人だなと思った。

わたしと同じくらいの年齢のそのお坊さんは
お経も途中で途切れたり、声も張ってない。
なんだか貫禄もなくてありがたみが薄い。
ちゃんと読経の修行されてるのかなぁ?


先代は立派で重厚感のある、
子どもが聞いてもそれと分かる
綺麗なお経を唱えるお坊さんだった。
わたしが小学生の頃は教頭先生をされていて、
いつも弟(ダウン症)の事を気にかけて
くださっていた。
弟も先代の事は大好きだった。
優しく温かい、お坊さんらしいお坊さんだった。
もちろん時間も守られていた。
先代が立派だったな。
比べてしまうんだろうな。



というわけで(どういうわけ)
来たる棚経の日までには
なんとかせんといかんのじゃけ(なぜか広島風)
おじいちゃん、おばあちゃん、
見守っててね!
わたしが!(笑)
掃除するからね〜!

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