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わたしと祖母とイカと

実家の自分専用の引き出しというものは、まだ残っているだろうか。

わたしの引き出しは、電話台の下の、3段ある引き出しの一番上。幼い頃のわたしは、そこに大切なものや友だちと交換していた手紙、プリクラやシールを溜め込んでいた。
実家の引き出しは、わたしにとって少し特別で、開けるたびに心がキュッとなるような空間である。
それは、ほとんどが懐かしさからくる感覚なのだと思うが、そこに少々の気恥ずかしさや苦々しさなども混ざっていたりする。
引き出しを開けると、一気に幼い頃の思い出とか気持ちが蘇ってくる感覚。
ドラえもんのタイムマシンがのび太くんの机の引き出しであるのもすごくしっくりくる気がした。

先日実家に帰省したときに、十数年ぶりにその引き出しを開けてみた。
今となってはなぜ大事にしていたのかもわからないものもたくさんあったが、その中に101匹ワンちゃんのファイルを見つけた。
これはよく覚えている。
小学生のわたしが101匹ワンちゃんの映画を観に行った帰りに、映画館のグッズ売り場で母にねだって買ってもらったものだった。(こんなことをいうと、年齢がバレてしまうだろうか…)

そのファイルはわたしの大切な物入れとして使っていたのだが、思い出の写真や手紙の混ざって、"折り紙で作ったイカ"が入れられていた。
なんでイカ…?しかも、茶色と黒の地味なやつが2つ…
しばらく考えていると、記憶がぶわぁっと蘇ってきた。

小学校の4年生か5年生の頃のこと。
当時からわたしは筋金入りの負けず嫌い。
自分にできないことがあるとたちまち不機嫌になり、できるようになるまで泣いたり八つ当たりしながらやり続ける、まあかなり面倒くさい子どもだった。
ある夜、わたしは折り紙の本に"難易度高"と書かれていたイカに挑戦することにした。
しかし、どうしてもうまくいかない。
イライラして泣き出したわたしをなだめてくれていた母もあまりのしつこさと八つ当たりに匙を投げ、先に寝室へ行ってしまった。
それでもわたしが泣きながら折り紙を折っていると、そこにもう寝ていたはずの祖母が現れた。
手先が器用だった祖母は、折り紙の本を見ながら一緒にイカを折ってくれた。
綺麗な色を使うのはもったいないからと、自分は黒の折り紙で。
一生懸命折り紙を折っているうちにわたしの癇癪も収まり、そうして無事に完成したのが引き出しに入っていたイカ2匹だった。

イカを折りながら当時のわたしが考えていたことも一緒に思い出した。
祖母がこれから歳をとっていろいろなことを忘れてしまっても、わたしはこの夜のことを覚えていようと思ったのだ。
誰も悪くないのに癇癪を起こして母を責めたわたしを優しくなだめ、一緒に折り紙を折ってくれた祖母のことを。
いつか祖母のできることが減っていっても、祖母がしてくれたようにわたしが祖母に優しくしようと誓った。
それをいつでも思い出せるように、このイカ2匹をわたしは大切な物入れにしまったのだった。

現在、祖母は88歳になった。
身体はまだ元気だが、認知症の症状は徐々に進行している。
何回も同じことを聞いてくるのは日常茶飯事だし、空想上の人物「よしこ」が出現したりもする。
機嫌が悪くなって急に怒り出すことも増えたし、勝手に家族の服を捨ててしまうこともある。

わたしはというと、自分の子どもが生まれてからは特に、そんな祖母に苛立つことが多くなった。
子どもに薄着をさせていると、「寒いから」といってわたしが見ていない隙に毛布でグルグル巻きにする。わたしが与えたくない食べ物を勝手に食べさせる。
時には、子どもに対してのわたしの言動を責めるようなことも言う。
何回やめてくれと言っても、次の瞬間には忘れて何度も同じことを繰り返す。
わたしもイライラが限界に達して、キツい言葉をぶつけてしまうことも幾度となくあった。

あの日のわたし、ごめんね。
あのとき折り紙を折りながら誓ったことを、大人になったわたしはきっと守れていない。
子どもの頃考えていた以上に、認知症というのは手強かった。
でも、あの折り紙を見て思い出す。
これまでわたしが祖母からたくさんの優しさと愛情をもらってきたことを。
そして、わたしの子どもたちに対する祖母の行動の源には、確かに愛があることを。

また、何回でも顔を見せに帰ろう。
もしかしたら、まだ上手には関われないかもしれないけど。
あの日のわたしとの約束を守れるように。

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