精神科と傾聴。日記



 つくづく不思議だなと思うので最近の精神科通院で感じた事を書く。

 素人である私が調べたところでは精神科医の認識としては殆どの原因を物理的な体と環境に求める事が多いらしい。発達障害なんてのはまだ分かり易い方かもしれないが、それ以外も同じ基準ならかなりの病院が連携しないと患者が病院を変えまくる問題などが起きそうな気もする。

 話を戻す。2つの病院で同じだったので面食らったことの中に何かトラブルを愬えても「事情を訊かない」というものがある。家族が同伴するか否かで変わるのかと思ったがネットに上がる話を見ているとそうでもない印象。確かに全て脳や神経や遺伝子や家庭の思想が病気の原因なら信じ切っている事や虚言を聞くなど無用の長物かもしれない。

 最近は「認知の歪み」というワードをよく見るようになった。それも興味津々に調べたらさぞ当事者は辛かろうという内容が海原の如くに満ちていた。しかし患者は、少なくとも私はある種の権威を医者に感じている。

 何故なら生命線を握られていると言っても過言ではないから。薬代や書類の手伝いが頼める補助への料金も阿保ほど要るのに年金を打ち切られたらIQ平均未満の能天気な私を除いた周辺の人間はお通夜ムードへ直行する羽目になる。

 だから医者の言う事を真っ向から否定し辛い場面も有ったし、支えてくれる周囲の人が詳細な事情を汲んで貰えずに落胆した事も有る。

 正直病的なコミュニティが通院で拡大しちゃったんじゃないかと思わないでもないが、脳とか認知の歪みのせいらしいので素人は下手に動くべきでもないのかも。

 社会的事情も当然物理的な病気の原因の1つにカウントされるらしい。裁判でさえ情状酌量とかするのにそこに精神科医を挟まずに弁護士と検察と裁判官だけ入れて人間の一生を左右するのはどうなんだろうか。これも認知の歪みかもしれない。全員病的な思想で異常な事をやってるのかも。人間の脳さえグラデーションらしいから強ち無理筋でもないと思える。

 要は事情を訊かずに一般論振り回して時間厳守の様子見されても何がしたいのか解らないから患者側がめっっちゃ困りがちという大雑把な話。

 基準点が曖昧な事さえグラデーション・スペクトラム。なんでも認知の歪みが原因。自然な人間像はなくて良い。問題と思うから問題。後は野となれ山となれ。という主張が有ればまだ分かり易いのに。

 私のアンチ学問がどんどん進行する。

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