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私にとってやりがいって何だろう

ヤリガイ

この四文字の意味はとても難しい。

やりがいは目に見えない。しかも、人それぞれこれが私にとってのやりがいというように違うのだろう。知らんけど笑

なんだか、やりがいというものが漠然としていよくわからない。

やりがいを持てば自分がどうなるのかわからないし、教科書の答えを見て、やりがいとはこうですって言われても納得できないし、自分がそう思えないし心で理解できない。


就活、転職、バイトの面接、就職ガイダンス、部活のキャプテンとか

やりがい、やりがい、やりがい、やりがい

こういう時にやりがいという言葉を使うように私は思う。

普段生きているときは、目の前のことで精一杯でやりがいなんて頭にない。

そのため、やりがいを持って仕事をしなくても別に問題なく生きていけるということなのだろうか。

やりがいを見出だしましょう見つけましょうとか言われると、無理やり今やっていることに意味を見出している感があってなんかやだ

面接の時とか、やりがいを持ってとか、やりがいを感じましたとか言ったけど、その当時はやりがいなんか感じていない。あとからよくよく深く考えるとこれが、やりがいだったんかなと思って言い聞かせている感がある。

あとから振り返って、あれがやりがいだったんだと気づいても、いまやりがいを感じなきゃ意味がないように思う。

私は、あとから振り返って感じるやりがいは、やりがいじゃない気がする。


長々となってしまったが、いまの私が思うやりがいというのは、

自分がやっていることが人の役に立っている。もっと言えば、自分自身が人の役に立っている、だから、生きている意味がある、自分は生きている価値があるみたいな感覚がやりがいというものではないかと思う。

どうして、このように考えたのかというと、
休みの日を家で一日ゴロゴロして過ごした日は、自分は絶対にやりがいなんて感じないからだ。

今日の自分は、誰のためにも役に立っていないから、自分は生きている価値はないのではないかと生きる自信を無くす。

 今思ったことだけど、仕事でやりがいを感じないというのは、

今やっていることが、人の役に立っていないように思うから、自分がやっていることは意味のあることなのだろうかと思うから。もっと言えば、役に立っていないなら自分は生きている意味、価値があるのだろうかという心の声みたいなものが、やりがいを感じないという一言で表されているように思えてきた。

話が大きくなってきて難しくなってきたけど、

やりがいを感じないというのが、自分が生きている価値を感じないというのならば、別に仕事にやりがいを感じなくても、他のことで生きている価値、自信みたいなものは感じられるように思う。

知らない人からの何気ないありがとうで、心がポカポカする感覚、人の役に立って、自分はここにいてもいいんだというように私は思えるときがある


だからこそ、わたしは別に仕事にやりがいを感じなくてもいいんじゃないかと思えてきたし、仕事にやりがいを感じないことが別に悪いことでもないんだと、この記事を書きながらだんだん思えてきた。


仕事で別に役に立てなくて、生きている価値がないのではないかと思っても、仕事をしているときだけが、誰かの役に立っているわけではないだろう。


人生のやりがいというふうに考えが広がったならば、私は別に仕事にやりがいを感じなくてもいいんじゃないかと思えてきた。

私は、仕事に何のやりがいを感じない人になっても、人生にやりがいを感じられるような人になりたい。


仕事にやりがいを感じたいというよりは、人生にやりがいを感じたいのほうが私の心の声なのだろう!




後書き

やりがいというものが、生きても良いという感覚なら、やりがいというのはみんな同じだと思う。
だけど、やりがい(生きてもいいという自信、人の役に立っているという感覚)を感じる方法は人それぞれ違うから、それぞれにやりがいというものがあるのではないかと思うのだろうか。

あたまパンクした笑

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