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35歳のNZ留学【ケンカではない、しかし】


事の発端は午後にあった授業である。
そのせいで気まずい思いをしている。
授業は3人組で行うグループワークで、一人は自分が抱えている問題について相談する、後の二人はその相談についてアドバイスをするというもの。
”抱えている問題”というのは、既に各グループに渡された数枚の紙切れに書かれている。少し前の授業[問題と解決策]では、主に社会問題について架空のカンパニーや団体を作って解決策を考えたが、今回は個人レベルの問題についてである。これがまた留学生には非常に起こり得る問題が書かれている。
例えば、「ホストファミリーと合わない」「ルームメイトがうるさい」「ルームメイトが部屋を片付けない」等。おそらくこれは実際の問題を例として使ったに違いない。こういう話は日常茶飯事である。
さて、私のグループでも「ルームメイトが部屋を片付けない」問題について話すことになった。アドバイスをする側にも、解決策が書かれた数枚の紙切れが渡されていてそれを伝えるはずなのだが、何しろ問題がリアルすぎるのでそれぞれ自分の現状やら、自分ならどうするかの方へと話は進んでいく。
「部屋に相手のゴミ落ちてたらどうする?」
と聞かれ、私は「拾う」と答えた。他のふたりは「なんで?相手が掃除するべきじゃん」と言う。「私はずっと落ちてる状態の方が嫌。」と答えた。そして「私の部屋はよくゴミ落ちてるけど毎回私が掃除してる」と続けた。
これが気まずい空気の始まりだった。ふと後ろを見るとハビエラ(ルームメイト)のグループだった。
ハビエラは私と目を合わせず、悲しい顔をしているように見えた(いつもなら目配せする)。

まずい…

そう思った。授業が終わるとハビエラはいつもチリ人たちの輪に混ざって過ごすのに暫く教室の隅に座っていた。これはまずい。ハビエラを傷つけたかもしれない。だけどハビエラの悲しい顔の原因が自分なのかは確信がない。ディスカッションの間、彼女の名前は口にしていないし、彼女のグループも同じワークをしてるわけだから、隣のグループが何を話しているかなんて正直聞こえないと思う。だけど。だけどあの表情を見るに、私かも知れない…
そう思った。
家に帰る間中もずっと気に掛かっていた。

先に謝ろうか…

けれどそのことが原因でなかったら余計にややこしくしてしまうようで、謝るかどうするかと私の頭の中はぐるぐるしていた。ぐるぐる悩むくらいならいっそ言ってしまえばいいのにそれもできなかった。
ハビエラが帰ってきて、「Hi…」とお互い愛想笑いする。なんともぎこちなく居心地の悪い空気が漂う。
彼女は怒っていない。ただ悲しそう。
こういうの、苦手だなぁ…

その夜は殆ど何も話さないまま終わった。

翌日、一緒に登校する。
無言の登校。気まずい。完全にあの授業のことを話すタイミングを失ってしまった。その日は同じクラスで受ける授業はなく、休み時間も彼女を見なかった。学校から家に帰ると、いつもは夜10時頃に帰宅する彼女が先に部屋にいた。それで、何をしているかというと、部屋の片付けである。
…部屋の片付け?!

うわ〜、やっぱ聞かれてたなぁ。

ベッドの上を埋め尽くしている洋服や色々なもの、タンスの上のごちゃごちゃ、引き出しからマンガみたいにはみ出している靴下など。

それを彼女が片付けている……!

思えば初めの頃、よくこの状態には気が狂いそうになったものだ。私は自分の生活空間がこの様な状態(服や靴が散らかっていて、こまごましたものが溢れている)であることは本当に耐えられない。発狂しそうになって、自分にも怒りの感情エネルギーがまだあったのかと久々に思い出したほどである。しかし最近はこの状態を、彼女を、受け入れていた。
"可愛いさ"として捉えていた。
それに自分の安全領域はまだ保たれているのだ。
だが今彼女が部屋の片付けをしている。初めて見る光景である。これはもう前日のあの授業が原因であることに他ならなかった。何より私はこれ以上気まずい空気が続くなんて嫌なのだ。
私は「Sorry…」と謝った。すると彼女は「No,No,I am dirty.」と悲しげに言った。

…気にしてるじゃん!

No,You're not dirty, you just messy.
(違う。汚いんじゃない、ただとっ散らかってるだけよ)

そんな言葉が浮かんだが飲み込んだ。あまりに直球すぎる。でも他に何と言えば良いのか、何も言葉が思い浮かばない。そして結局「No…」と首を横に振ることしかできなかった。
(そんなことないよという思いで。)
お互いに英語が十分ではない二人の会話はそれで終わってしまったが、それでも気持ちは通じた気がした。その証拠に、彼女にはいつもの笑顔とあのヒャッヒャッという笑い声が戻った。

その夜はハビエラと一緒に夕食を食べた。

ときどきこの家が恋しくて帰りたくなります。
ほとんどホームシックと言ってもいい。


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