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旧15区巡り その1〜神田区〜

東京23区になる前の東京市だった頃。

その中でも15区(麹町区/神田区/日本橋区/京橋区/芝区/麻布区/赤坂区/四谷区/牛込区/小石川区/本郷区/下谷区/浅草区/本所区/深川区)は東京最初の区になります。

今回は旧神田区(千代田区)にスポットを当てて、神保町から東へ向かい、現在に残る旧神田区時代の建物や飲食店等を見ていきましょう。

矢口書店/昭和3年竣工


個人的な神保町のランドマークは矢口書店だと思っています。

まだセメントが貴重だった時代なので砂等を混ぜて造られた昭和初期、震災復興を象徴するようなモルタル塗りの建物です。

本棚に手をやり適当に本を取れば、大きく社外秘と記された台本や、撮影機材の本など、演劇関係の本が多かったです。

道路に面した本棚


神保町には明治から営業している飲食店もたくさんあります。

明治42年創業/ビヤホールランチョン

明治42年に創業したビヤホールランチョンでは日替わりランチを食べる事が出来ます。

土曜・日曜・祝日は行列も出来て、僕も15分程度ですが並びました。

日替わりランチ/チキンと白身魚

古くからある洋食屋の好きなところは1プレート、または2プレートに前菜、副菜、主食が乗っているところです。

丁寧に1皿ずつ提供するスタイルも良いですが、昔ながらの飲食店、洋食屋ではこのようなスタイルが似合うなと勝手に思っています。

ランチョンのすぐ真下には大正13年創業の日本唯一のスマトラカレーのお店共栄堂もあるので迷います!

ポークカレー
山盛りのご飯

苦味が見え隠れする不思議なカレーでした。

ホロホロになった肉がとろけて大満足の味でした。

大正時代は洋食が一般にも広がった大きな変換点でもあります。

その中でライスカレーは人気を博していたと思いますがその中でも珍しい、いや現代人にもまだ馴染みの少ないスマトラカレーを提供していた事に驚きました。

山本歯科医院/昭和3年竣工

神保町を抜けて靖国通りから逸れた小道に立っている現役の歯科医院です。

建物を見上げると旧字体の看板がかっこいい。

東京には戦前の歯科医院が建物そのままで割と残っているイメージがあります。

特に山本歯科医院は当時の面影を色濃く残し、ひっそりと佇んでいます。

旧神田区の街区表示板


そして山本歯科医院は旧神田区巡りで個人的に一番の見どころとも言えます。

旧字体で書かれた貴重な街区表示板を拝む事が出来まして光栄です。

万世橋/昭和5年竣工

いよいよ万世橋まで来ました。

手前の親柱と奥には万世橋駅遺構を再活用したエキュートが見えます。

謎の小部屋

万世橋の下にある人気エリア謎の小部屋(トイレ跡地)も健在。

そしてエキュートの中はちょっとした博物館になっていて見ずにはいられないですよ!

1935年の階段
張り紙とタイル
全盛期の万世橋駅と広瀬中佐・杉野兵曹の像

万世橋駅は僕の好きな建築家の1人、辰野金吾が設計をした煉瓦造りの豪華な建物です。

駅前に立つ2人の像は戦後に戦犯として処分されてしまいました。

丸石ビルディング/昭和6年
正面口

最後は神田駅を抜けて丸石ビルディングにてゴールです。

立派なロマネスク建築が迎えてくれました。

日本式の木造建築が多かった神田区ですが完全に欧州の技術を取り入れたは丸石ビルディングは圧巻。

近くに三越もあるのでこの辺りは異国感が漂いますね!

今回は旧神田区エリアを東西に歩いて見ました。

ありがとうございます!




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