鈴木地獄

 鈴木が、地獄に堕ちました。
 作者の想像力の限界から、その縁から落下してしまったのだ。そうなると、彼にとって辛い時間がやってくる。
 来週までそこで過ごさなくてはならず、細い一本の糸にすがりつき地上に戻る。しかし、今は地獄だ。致し方ない。
 地獄はほとんど真っ暗闇で、半径二メートル程度しか見えず、いつ転倒してもおかしくないほど、地面はごつごつとしている。鬱々としている。
 主人公である鈴木の活躍の場を用意できず、暗澹とした作者の怨念と慚愧に堪えぬ雰囲気が、不快な湿度をもって流れている。歩けども悲惨で、留まれども冷たい絶望感に苛まれる。
「おーい、作者よ。恥ずかしくないのかー、おーい」
 鈴木が虚空に叫ぶ。
 残響して露と消える。音がしんなりと降り注ぐ。返答はない。
「なんとか言えーっ。畜生。異世界転生でも、トー横女子に病気移されたっていいじゃないか。弱小野球部の高校生とかさ。よりによって、創作の地獄に落とされるなんて。鈴木シリーズ、書くの簡単って、言ってなかったか」
 完全に独り言で、虚しくなったのか、留まっても仕方ないと覚悟したか、とりあえず鈴木は前進する。
 どこまで行っても同じ、ごつごつとした寂寞感漂う無機質な地面と、暗闇しかないのだ。
 これで無音だから、狂いそうになる。
「誰かいないのかーっ!」
 その大声が響くと、前方に、微かに人影が見えた。
(こんなところに、誰なんだ)
 鈴木はその人影を見失わないよう、必死に転倒しないよう、歩き続ける。徐々に距離をつめて、肩に手をかけたところで、『そいつ』が振り返った。
 それは、鈴木だった。
「お前、俺か?」
「そうだ。見ればわかるだろ、ところで何の用だ」
「いや、こんな地獄に誰だろうと思って、つい、追いかけてしまった」
「お前も、鈴木だろ? どうせ、作者の想像力の限界から落ちてきたんだろ。俺も同じだよ、それで、あてどなく歩いているのさ」
「俺も同じく。どうしたものかな」
 それから二人の鈴木は歩き続けると、さらに、また別の鈴木と出会い、どこか光りはないのかと前進するほかなかった。
 だが、予想を超えて、鈴木が膨れ上がっていった。それはとめどなく、果てしないものだった。地獄は『鈴木』でいっぱいになり、暗黒は独身男性のむせ返るような体臭が濃縮還元され、最早、それは猛毒同然だった。
 最初の鈴木は、無限定に増加する鈴木の上層でなんとか粘っている。
 鈴木で埋め尽くされた地獄を、皮肉なことに、鈴木達を足場として脱出できそうな高さまでやってきた。
「待ってろよ、作者め」
 最初の鈴木は、『想像力の限界の縁』に手をかけた。それに続こうと、鈴木の足を掴む、鈴木、その足をさらに掴む鈴木。それらが人間の鎖のようになり、太い柱が発生した。
 最初の鈴木は、激しく抵抗し、その足を掴んでいた鈴木の手を振りほどいた。連鎖するように、鈴木たちが落下し、地獄の大地に振り注いだ。
 その落下音を耳にしながら、
『想像力の限界の縁』から『想像力の中心』へ、鈴木は走った。どこまでいっても、目につくものはなく、地獄と同じで虚空と暗闇が拡がるだけだった。
「作者よ。来週またあんな地獄に堕としたら、だ。只じゃおかねーぞ! 俺を面白く使え! こんなもの二度と書くんじゃねーぞ!」
 鈴木は、ひとしきり思いの丈を吐き出して疲れたのか、その場に倒れ込んだ。憑き物がとれたように、穏やかな表情になり、目を輝かせて行った。
「俺は、面白くなりてーのよ。そこんトコよろしく頼むぞ」
「解っているよ。来週に期待してくれ」
 作者の声が辺りに響き渡った。
「あぁ、期待するよ。裏切るなよ、絶対な」
 鈴木の声は確かな意志を感じさせた。
 天上の作者は、とりあえず今日という日を凌いだことで笑顔になっていた。それはもう、満面の、殴りたくなるほど純粋な、緩み切った、どこ小説をなめたような顔だった。
 
   

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