早く書き終えたい夜もある

 ぶっつけ本番でこの文章を書いている。
 一切の準備をせず、蒙古タンメン中本の『悪魔の北極』の麺大盛、北極煮卵、僕の角煮(久しぶり)、おまけにライスで腹いっぱい。
 その状態でキーボードを叩いている。当然、着地点を考えずに跳躍しているわけで、空中でコントロールできる範囲は限定される。故にあらぬ体勢で地面に叩きつけられ、再起不能に陥る可能性がある。
 それは大袈裟として、
 タイトルの『早く書き終えたい夜もある』はそのままの意味であって、一秒でも早く「公開に進む」をクリックしたい。
 だからといってやる気はある。
 やる気がある事と、書けるかは別の次元だ。
 これでも500日以上連続で記事を投稿しているので、当然、書けないことがある。いくら考えても、いくらメモ帳を見ても、本をパラパラめくってみても、なんなら近くのファミマで甘味を買っても無駄。そんな日もある。
 しかし考えることをやめない。
 すると、ある瞬間に「ぽーん」とアイデアが出てくるので、あとはでっち上げるのみである。クオリティは安定しないものの、約1年5カ月ほど投稿を欠かしたことはない。
 本日は特に書きたいようなテーマもなく、出来事もなく、何も浮かばずに今に至っている。「ぽーん」もない。
 YouTube動画の『6 minutes of brutal anime gore』をちらちら見ながら、なんとか文字数を稼ぐ、息も絶え絶えな状態であって、荒野を腹這いでゆく思いである。
 肩の力を抜いてリラックスしてしまえばと思えど、その瞬間にあっさり崩れ落ちそうだ。本当に早く書き終えたい。
 こんな時に魔法のように、湯水のように文章が紡がれはしないだろうか。もしくは、三島由紀夫先生の霊がのりうつって気がつけば『豊饒の海』とはならないか。
 文豪版だから『ヒカルの文学』か。
 取り憑いたのが三島由紀夫先生なら、まずは筋力トレーニングに剣道、武士道、葉隠れ、古今東西の文学やら叩き込まれそうで怖い。今時、武士を目指し、大和民族としての誇りを携え真の右翼として赤門をくぐる。
 いや、自分でいい。思考と思想を支配されるのは死んだも同然であって、それでいくら名声と富を手に入れても、がらんどうの心では風が吹いたらば、急転直下で地面にダイブである。
 そもそも、戦争にいけず消化不良のままの貧相な身体のイイトコの子が、武士と贅沢な死に憧れ、頭脳明晰な誇大妄想を具現化した切腹による死を求める。現実から乖離した現実を疾走したような印象である。
 人間らしいコンプレックスに振り回され、一方でそれこそが作品をつくりだす原動力となったのだろうか。
 そんな人に憧れる一方で、失った要素を埋め合わせるようなことはしたくない。欠けた部分も、それが自分であるから、その歪な形をそのまま作品に活かしたいと、突然思った。
 三島由紀夫先生について偉そうに書いたが、作品を読破したわけでなし、文学に詳しいわけでもない。何となく「カッコいい」と浅薄な憧憬を抱いているだけだ。
 
 そんなことだから、わたしのあたまはがらんどう。
 ふってもなにも、おともなく、かぜのおとしかきこえない。
 めくりめくめぐるしこうのうみ、おぼれてしずんでひかりがきれい。
 こきゅうこんなん、ひらがなにいみはありません。
 そんなことだから、わたしのあたまはがらんどう。
 ゆびがとまって、まっしろになって、こころふわふわ。
 てんくうのしろらぴゅた、いつみてもどきどきわくわく。
 すぐにだっせん、ぶんしょうほうかい、つねにこうかい。
 そんなことだから、わたしのあたまはがらんどう。
 そんなことだから、わたしのあたまはがらんどう。
 そんなことだから、創作地獄。

 唐突の詩。
 よく文字数を稼げました。
 もう終えよう。1500字も超えたことだし。
 きっと明日は興味深いテーマがあって、意味のある、読む値打ちのある文章がかけるだろう。
 願ったり叶ったりな明日を望んで、夜に抱かれて眠りますよ。
 
 


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