週刊「我がヂレンマ」<5月27日号>

 マンネリを打破したい。そんな思いを携えながら、もうすぐ六月。その壁をちょっとづつ、毎日、突っつく。そして風穴をあけて、そこを潜り抜けて次の段階に移行する。それが叶わなければ、奈落に真っ逆さま。地獄行き。
 幾ばくかの危機感、目を反らさず、恐れおののきながら。
 ともかく前進しよう。そう言い聞かせている昨今。なんとも重苦しいですが、今が耐え時。忍耐、忍耐で。
 月曜日から暗すぎるので、気分を上げていこう。
 と、いうことで今週のコンテンツ。
<メモについての解説と考察>
<購入した書籍とおススメの紹介>
<妄想を垂れ流す>
 の、三つです。風呂に入ってきます。 
 入ってきました。四つ葉牛乳、美味いです。

<メモについての解説と考察>

「宿痾(しゅくあ)」
 1.兼ねてから患っていて、いつまでも治らない病気。
・そうして母が独りになり、年をとり、淋しくなって私にもっと直接な、もっと明瞭な、もっと熱情的な愛の表示を求めるようになったときには幾十年の[宿痾]はすでに膏肓(こうこう)に入って、もはや如何ともすることができなかった。(中勘助『母の死』)

 2.(比喩的に)長期間続いている弊害。長期間に亘って解決のできない
    困難。
・元来、紀州の統治は、信長すら手を焼いた[宿痾]の癌だった。
                     (吉川英治『新書太閤記』)
・イングランドの財源を枯渇せしめている目下の[宿痾]は、アイルランドの反乱であるが、それを完全に掃蕩する唯一の望みは、スペインとの講和に存している。
  (リットン・ストレイチー 片岡鉄兵訳『エリザベスとエセックス』)

「飛脚」
 は、信書や金銭、為替、貨物などを輸送する職業またはその職に従事する人のことである。佐川急便の商標でもある。単純な使い走りとは違い、事業が組織化されているのが特徴である。
 言葉としては「速く走る者」「手紙を運ぶ者」というのが元々の意味のようです。どの時代でも、連絡や通信の手段は必要となりますので、何かしらの方法は使っていたようです。
 律令制度の時代にあった「駅制(えきせい):主導道路の30里(約16㎞)毎に「駅」を置いて補給用の人や馬を配備する交通制度」や、鎌倉時代の「鎌倉飛脚(六波羅飛脚):京都と鎌倉を騎馬や人が行き来していた制度」などが知られています。
 しかし、全国的な組織として、というほどではなく、各権力者の下で行われる『使い走り』のようでした。
 その後、江戸時代になって、五街道や宿場など交通網やその周辺が整備されることにより、「飛脚」という全国的な通信と輸送の手段として制度化していくことになったのです。

「ミルグラム実験」
 とは、閉鎖的な状況における権威者の指示に従う人間の真理状況を実験したものである。アイヒマン実験・アイヒマンテストとも言う。50年近くに渡って何度も再現できた社会心理学を代表する模範となる実験でもある。
 アメリカ、イェール大学の心理学者、スタンレー・ミルグラムが1963年にアメリカの社会心理学会誌『Journal of Abnormal and Social Psychology』に投稿した、権威者の指示に従う人間の心理状況を実験したものである。

「人がゾンビを襲う」
 想像してみよう。ゾンビ禍を乗り越え、残ったゾンビ狩りをひとつのアクティビティとして確立。かつて人だった相手を容赦なく屠る。それを見て熱狂する人々。娯楽化し、スポーツ化していく。しかし、ゾンビの供給が間に合わなくなって、、、
 怖いな。いやー、人間の方が怖い、そんな小説になりそう。

「薫陶(くんとう)」
 自分の徳で他人を感化すること。すぐれた人格で教え育てること。これはただ教育するのではなく、人格面を含め道徳的な教育をし、また指導をせずに自分自身の徳の力によって人を感化し育てることです。
「薫」は「香を焚きこむ」、「陶」は「陶器をつくる」という意味があります。陶器を、香の薫りを染み込ませたり土をこねて形を整えて作り上げるように、「人に対して徳を染み込むように感化させて人格がより良く形成されるよう整える」という意味合いが込められ、「薫陶」という言葉が使われています。
 ただ教育をすることや指導するだけはなく、道徳心や優れた人格に感化・影響され教え育つことを喩えた表現です。

「70歳を超えるとゾンビ化する」
 またゾンビ関連。
 70歳を超えるとゾンビ化する別次元の世界。殺すわけにもいかず、ある区画に押し込まれて、監視される。息絶えたゾンビは回収され、焼却処分される。悲惨なのは、ゾンビに成りかけで連行されてしまう。まるで姥捨て山のような場所。切ない。

「先輩と荒廃」
 荒廃は、勿論、後輩のもじり。純文学のような題名。後輩が、先輩の荒廃ぶりを間近で観察をつづける。尊敬でも、友情でもなく、ただの興味本位で荒んで廃人に近づくその姿を、凝視する。趣味が悪い。一線をひき、自分は関係ないと密かに見下している。嫌な奴。
 先輩が最悪の事態になって、観察を終えると、見捨てていた自分に対して嫌悪感を抱く。これは想定外のこと。これがフリとなって、後半、それが罪悪感となって主人公を襲っていく。
 先輩は、まるで亡霊のように付きまとう。恐ろしい。

<購入した書籍とおススメの紹介>

「スピリチュアルズ「わたし」の謎」←おススメ
                                橘玲
『自分のことも、嫌いな人のことも、わかる!』
『性格と心理の謎が解けた――。脳科学・心理学・進化論の最新知見で、人  
 間に対する理解が180度変わる。大ベストセラー『バカと無知』の原点』

 人間の性格・資質は(意識ではなく)「無意識(スピリチュアル)」が決定し、たった8つの要素で構成される。
 それは①明るい/暗い②楽観的/悲観的③同調性が高い/低い④相手に共感しやすい/冷淡⑤信頼できる/あてにならない⑥面白い/つまらない⑦知能が高い/低い⑧外見が魅力的/そうでない、で、この組み合わせでしかない。驚くほど人間理解が進む画期的一冊!

「ドグラ・マグラ 上巻 下巻」
                              夢野久作
「ドグラ・マグラ」は、昭和10年(1935年)1500枚の書き下ろし作品として出版され、読書界の大きな話題を呼んだが、常人の頭では考えられぬ、余りにも奇抜な内容のため、毀誉褒貶が相半ばし、今日にいたるも変わらない。
〈これを書くために生きてきた〉
 と著者みずから語り、10余年の歳月をかけた推敲によって完成された内容は、著者の思想、知識を集大成する。これを読む者は一度は精神に異常をきたすと伝えられる、一大奇書。
 小栗虫太郎『黒死館殺人事件』、中井英夫『虚無への供物』と並んで、日本探偵小説三大奇書に数えられる。
 作中、「ドグラ・マグラ」の原義は切支丹バテレンの呪術を指す長崎地方の方言とされており「戸惑う、面食らう」や「堂廻り、目くらみ」がなまったものとも説明されているが、詳しく明らかになっていない。

 見知らぬコンクリートの一室に目覚めたわたしは、自分がだれでなぜここにいるのか分からない。
 そこに現れた若林という法医学者の説明によれば、ここは九州帝国大学の医学部精神病科の病棟で、今は大正15年11月20日、ひと月前に自殺した正木博士なる奇人天才型の精神医学者が、わたしが生まれたときから、わたしをある実験台にしているのだという。
 わたしは、隣室にいるわたしの従妹にして婚約者だという美少女と会わされるが(その娘を半年前の式の前日にわたしは絞殺したのだという)、それでも何も思い出せない。
 正木博士の遺志を継いでいると自ら語る若林教授は、わたしが何者か思い出させるためだといって、正木博士の部屋で、正木博士の残した文書をわたしに読ませるが―――

「TOKYO STYLE」  
                              都築響一
 1956年、東京生まれ。76年から86年までポパイ、ブルータス誌で現代美術、建築、デザイン、都市生活などの記事をおもに担当する。89年から92年にかけて、1980年代の世界の現代美術の動向を包括的に網羅した全102巻の現代美術全集『アート・ランダム』を刊行。以来現代美術、建築、写真、デザインなどの分野での執筆活動、書籍編集を続けている。
 
 豪華な写真集や分厚い雑誌に出てくるようなインテリアに、いったい僕らのうちの何人が暮らしているのだろう。でも小さい部屋にごちゃごちゃと気持ち良く暮らしている人間ならたくさん知っている。
 マスコミが垂れ流す美しき日本空間のイメージで、なにも知らない外国人を騙すのはもうやめにしよう。僕らが実際に住み、生活する本当の「トウキョウ・スタイル」はこんなものだ! 話題の名著文庫化!

「くるぶし」
                               町田康
『諦めろおまえは神の残置物祈りとしての恥を楽しめ――』

 町田康、初の短歌集。書き下ろし全352首を収録。

●戀人を山に埋めて音樂は四日前から村に漂ふ
●花活けて横に巻き寿司現代詩捨ててしまつた夢の置き床
●突き指が趣味だと言うたあのひともいまは入間のゴミを食べる
●気い狂てアキレス腱をわがで切り這うて行こかな君の近傍
●阿呆ン陀羅しばきあげんど歌詠むおどれは家でうどん食うとけ
●迷惑か? 俺は男だマンナくれ夏場体調崩すかもです

 装幀がとにかく美しい。紫に、輝く緑の波か、波紋か、指紋のような模様。緑文字で右側におおきく「くるぶし」。左側におおきく「町田康」。
 バックに短歌が並んでいる。帯はなし。
 はー、美しい。もうコレ、モノとしてサイコーですよ。
 肝心の内容は、短歌なのに笑える、視点が独特、一貫した感覚、心にスッと入り込むようなさり気なさ、魂の温度の高さ。
 町田康作品、買おうかな、買い足そうかな。積読増えることこの上なしであるし、夢野久作も気になるし、うーん、いや、悩む。安倍公房作品も読んでいかないと、あ、三島由紀夫先生の『豊饒の海・四部作』も読んでる。
 時間が足らねー、いくらあっても、足らんのです。
 読書と執筆と取材だけで生きていけたらなー、所詮、妄想ですが。

<妄想を垂れ流す>

 森閑とした闇が広がっている。
目覚めれば盲目とは、唐突で、受け入れ難い不安と絶望が心臓に残響する。 
 どうやら壁があって、それを伝って、扉、ドアノブに辿りつき、さぐりさぐり回す。ギギギと頭に響くような音をたててひらく。いっぽ、いっぽ、踏みしめて、安全を確かめながら外へ出る。
 また、壁。ひんやりと、すべすべとしたテクスチャー。手の平で確かめながら、進んでいく。
 黴の饐えたにおいをひんやりとした重い空気が支配し、私の管という管を伝っていく、闖入していく、絡み合っていく。また、扉に辿り着き、音をたてて開くが、また、そこは漆黒の闇。
 違いは、外界であること。夜気を感じる。虫の音や、風の音が四方にある。飛び交う。
 自分が知る世界はまだあるようで、幾ばくかの安心感を得る。そしてそれはあっさりと裏切られた。
・・・・・ひょー・・・・ひょー・・・・ひょー・・・・ひょー・・・・・
 風の音ではない。
 人の、人か、人のような、これは声か。近づいてくる。近い。
 走った。
 手探りで。
 追ってくる。獣のような足音だ。いや、獣の声には思えない。得体のしれない何かが私を追ってくる。徐々にミゾオチに痛みを感じ、息は上がり、心臓は早鐘を打つ。呼吸が乱れる。
 意識が朦朧としたところで斜面に差しかかり、滑り落ちた。
・・・・・ひょー・・・・ひょー・・・・ひょー・・・・ひょー・・・・・
 あの声は一定の場所で停止し、しばらくすると離れていく。
(諦めたのか)
 暫しの安堵感とともに、また、手探りでとりあえず落ち着ける場所をもとめる。また、状況を把握したいとの思いもあった。
 何せ、盲目になる前の記憶がない。
 まるで記憶のテープがごっそり削除されているような、空白感。そもそも自分の名前さえ思い出せない。頭を掻きむしっても、まったくの無駄で、とにかく落ち着きたい。
 私は、おそらく山小屋であろう建物に辿りつけた。さぐりさぐり進んでいくと、スコップやロープ、ヘルメットにグローブ。これは倉庫として使われているものか。奥にもう一つ部屋があり、床を触ってみると畳で、よっつんばいで進むと畳まれた布団に突き当たった。
 やや黴臭い感触に身を預ける。
(もう、寝てしまおうか)
 その時。足音が響く。崖上まで追ってきた奴じゃない。
「誰だ。誰なんだ、助けてくれ」
「人がいるの? まともな人だよね」
 それは若い女の声だった。
「まともだよ。ただ、目が見えないけど」
「私も見えない。変な建物で目覚めてから、ずっと」
「もしかして、記憶喪失?」
「あなたもなの?」
「そうだよ」
 彼女もおそらく、よっつんばいでこちらに近づいてくる。
「あなた、名前は?」
「分からない。君もか」
「そうね。何もかも分からない。手探りでなんとかここに辿り着いたから」
 二人は、山小屋の出入口と休憩室の戸を閉めて、周辺の棚を利用してバリケードをつくった。
 おそらく夜であるから、とりあえず、朝を待つことにした。二人が眠りに入り始めたころ、外から、何か、声のような音が響いてくる。
・・・・・ひょー・・・・ひょー・・・・ひょー・・・・ひょー・・・・・
 そして、壁を打ちつける音が二人を強制的に覚醒させる―――

 はー、妄想の垂れ流し、終了。
「国民保護に関する情報」「Jアラート」も出ていることだし、そろそろ終ろうかな。あ、非難の呼びかけ解除された。北朝鮮とんでもねーな。
 黒電話。ミサイルやらロケット打ってないで、飢えてる国民をちゃんと食わせろよ。そう思いながら、今週号は了とします。
 

 
 


 
 
 
 

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