週刊「我がヂレンマ」<4月8日号>

 今日、我が口座から91,000円が旅立ちました。
 そう、固定資産税です。
 固定資産税の元祖ともいえる「地租附加税」が明治6年(1873年)に誕生。
 その名の通り、土地に課税する税金。その後明治15年に家屋税が加わり、昭和25年に固定資産税が創設された。
 この時の課税対象は、土地、家屋(社屋)、有形償却資産(申告制)。
 この税制の存在意義は、土地の流通量を増やし経済を活発化させるため。他に、土地は「国そのもの」であり、外国の脅威から守るために莫大な資金が必要で、その為に使われる税金ということ。
 らしい。
 だが、痛いことに変わりはない。
 しかし、義務である。歯向かえぬ。
 さーて、今週のコンテンツは、
<メモについて解説と考察>
<購入した書籍の紹介>
<フリートーーク(手抜き)>
 納税は国民の義務、noteはライフワーク兼修行ということで。

<メモについて解説と考察>

「オテル・デ・ザンヴァリッド(廃兵院)」
 通称・アンヴァリッドはパリにある旧・軍医院。廃兵院もしくは癈兵院とも書く。2024年パリオリンピックではアーチェリー会場及びマラソンのゴール地点、自転車ロードレースのスタート地点としても使用される。
 1671年にルイ14世が傷病兵を看護する施設として計画し、リベラル・ブリュアンが設計の指揮をとり1674年に最初の傷病兵が入った。
 なんといっても、名前の響きがカッコよすぎる。

「教祖、猫を咬む」
 ”窮鼠猫を嚙む”のモジりである。それは教義なのか、儀式なのか、単なる趣味趣向なのか。なんにせよ動物虐待である。許されざる行為。
 単なる思いつきであって、使用用途はない。

「重壓(じゅうあつ)」
『壓』は漢字検定準1級。単に、重圧と書けばよい。当然、旧字体である。
 会意兼形声文字(厭+土)。削り取られた崖・口・切った肉・犬の象形。「岩石で押しつぶす」の意味と、「土地の神を祭るために柱状に固めた土」の象形(土の意味)から土で押しつぶすを意味する「圧」という漢字が成り立った。
「圧」は「壓」の略字である。だから何なのか。

「欷泣(ききゅう)」
 すすり泣くこと。欷歔(ききょ)。「――する声が漏れる」
「欷」は漢字検定1級レベル。これも難読漢字。いくら勉強してもしきれない言語の世界。面白い。
『俺は言語を愛してるんだな』
 なんてね。

「形変えてしまうぞ」
 テレビ朝日系の千鳥がメインをつとめる相席食道という番組において長州力が発した言葉で、「形変えてしまうぞ、この野郎!」が原型になっている。顔の形を変えてやろうかという怒りのニュアンスを含んだ言葉です。実際にするわけではありません。
 この言葉には、粗暴さと、自身の腕力に対する絶対的な自信が窺えます。
 非常に恐怖を喚起させ、会話の通じなさに溢れます。

「三和士(みたき)」
 とは、赤土や砂利など消石灰とにがりを混ぜて練り、塗って叩き固めた素材のこと。かつて日本の家屋にあった土間の表面に、仕上げ材として使われました。外と同じ土でも、家の中は外よりキレイにしようと、三和士が仕上げ材として使われるようになった。
 どこで知って、メモしたか不明。響きと字面に魅かれたのだろう。

「栴檀は双葉より芳し」
「栴檀」は白檀のことをいう。白檀は香木であり、双葉のころから非常によい芳香を放つことから、すぐれた人物は幼少時代から他を逸したもの持っていることを「栴檀は双葉より芳し」というようになった。
【例文】
「栴檀は双葉より芳しというのは本当で、彼は小学生の頃から神童として有名だった」
 ちなみに私は小学5年生の頃、描いた絵が入賞し、美術館に飾られたことがあった。今はまったく絵は描いていない。

<購入した書籍の紹介>

「藤澤淸造短篇集 一夜/刈入れ時/母を殺す 他」
                              藤澤淸造
                        編集・校訂 西村賢太
 貧窮と性病、不遇と冷笑の中で自らの”文士道”を貫いて書き、無念に散った無頼の私小説家・藤澤淸造。
 その短くも不屈の活動期間に残した玉石混合の作品群から、歿後弟子・西村賢太が厳選、校訂。
 商業誌初登板の、伸びるか反るかの情熱が作の巧拙を超えて迫りくる「一夜」、抱腹絶倒の借金文学の傑作「刈入れ時」、故郷で危篤に陥った母の死を貧ゆえに切望する「母を殺す」、新発見原稿「敵の取れるまで」等、戯作精神に富む十三篇を収録。

「誰もいない文学館」
                              西村賢太
『文豪ばかりが作家じゃない!』
 藤澤淸造から田中英光、倉田啓明まで、一私小説書き西村賢太の人生を変えた”幻の作家”たち。
「そうだ。確かにこの作は、私の人生を大きく変えたのだ。これを読んでいなかったら、それが幸であった不幸であったかは別として、私は私小説と云うものを書いていなかったに違いないし、今も尚書き続ける意地は持たなかったことであろう。」
              (第一回「藤澤淸造『根津権現裏』」より)

「(霊媒の話より)題未定 安部公房書記短編集」
                              安部公房
『世界を震撼させた安倍文学、その幕開け。』
 処女作を含む19歳から25歳までの初期短篇集。

『この短篇集は、不条理と理不尽に満ちた世界に生きながら、横溢して止まない思考を文字にかえて燃焼させ続けていた、エネルギッシュでナイーブな文学青年の命の軌跡である。(解説より)』
                 漫画家・文筆家・画家 ヤマザキマリ

 太平洋戦争末期、満州で激動の日日を過ごした青年は、その時何を思い、何を未来に残したのか――。
 漂泊民の少年が定住を切望する19歳の処女作「(霊媒の話より)題未定」、2012年新たに原稿が発見された、精神病棟から抜け出した男を描く「天使」、「壁―S・カルマ氏の犯罪」に繋がる「キンドル氏とねこ」。
 やがて世界に名を馳せる安倍文学、その揺籃にふさわしい清新な思想を示す初期短編11編。

「けものたちは故郷をめざす」
                              安部公房
 ソ連軍が侵攻し、国府・八路軍が跳梁する敗戦前夜の満州。
 敵か味方か、国籍さえも判然とせぬ男とともに、久木久三は南をめざす。氷雪に閉ざされた満州からの逃走は困難を極めた。
 日本という故郷から根を断ち切られ、抗いがたい政治の渦に巻き込まれた人間にとっての、”自由”とは何なのか?
 牧歌的神話は地に堕ち、峻厳たる現実がら裸形の姿を顕現する。
 人間の生の尊厳を描ききった傑作長編。

「人間そっくり」
                              安部公房
《こんにちは火星人》というラジオ番組の脚本家のところに、火星人を自称する男がやってくる。
 はたしてたんなるアブナイ人なのか、それとも火星人そっくりの人間か、
あるいは人間そっくりの火星人なのか? 
 火星の土地を斡旋したり、小説を書けとすすめたり、変転する男の詭弁に翻弄され、脚本家はしだいに自分が何者かわからなくなってゆく・・・・。
 数学のトポロジー理論を取り入れた傑作SF長編。

「燃えつきた地図」
                              安部公房
 失踪した男の調査を依頼された興信所員は、追跡を進めるうちに、手がかりとなるものを次々を失い、大都会という他人だけの砂漠の中で次第に自分を失っていく。追う者が、追われる者となり・・・・・・。
 おのれの地図を焼き捨てて、他人しかない砂漠の中に歩き出す以外には、もはやどんな出発もありえない、現代の都会人の孤独と不安を鮮明に描いて、読者を強烈な不安に誘う傑作書下ろし長編小説。

「水中都市・デンドロカカリヤ」
                              安部公房
 ある日突然現れた父親と名のる男が、奇怪な魚に生れ変り、それまで何の変哲も無かった街が水中の世界に変わっていく『水中都市』。
 コモン君が、見馴れぬ植物になる話『デンドロカカリヤ』。安倍短編作品の頂点をなす表題二作に、戯曲「友達」の原形となった『闖入者』や『飢えた皮膚』など、寓意とユーモアあふれる知的な文体の内に人間存在の不安感を浮び上がらせた初期短編傑作11編を収録。

「第四間氷期」
                              安部公房
 現在にとって未来とは何か? 文明の行きつく先にあらわれる未来は天国か地獄か? 万能の電子頭脳に平凡な中年男の未来を予言させようとしたことに端を発して事態は急転直下、つぎつぎと意外な方向へ展開してゆき、やがて機械は人類の過酷な未来を語りだすのであった・・・・・・。
 薔薇色の未来を盲信して現在に安住している現代人を痛烈に告発し、衝撃へといざなう、金字塔と絶賛されるSF長編。

「飢餓同盟」
                              安部公房
 眠った魚のように山あいに沈む町花園。この雪にとざされた小地方都市で、疎外されたよそ者たちは、人間の絶対的自由の実現をめざすユートピア革命のための秘密結社”飢餓同盟”のもとに団結し、権力への夢を地熱発電の開発に託す。彼らの計画を権力者の町長や土着のボスたちが放っておくはずもなく・・・・・・。
 それ自体が一つの巨大な病棟のような街で渦巻く彼らの野望を追いながら生の狂気を描く。

「壁」
                              安部公房
『これ程までに影響を受けた作家はこれからも現れない。』
                    ゲームクリエイター 小島秀夫
 
 ある朝、突然自分の名前を喪失してしまった男。以来彼は慣習に塗り固められた現実での存在権を失った。自らの帰属すべき場所を持たぬ彼の眼には、現実が奇怪な不条理の塊とうつる。
 他人との接触に支障を来たし、マネキン人形やラクダに奇妙な愛情を抱く。そして・・・・・・。
 独特の寓意とユーモアで、現代に生きる孤独な人間の実存的体験に描き、その底に価値逆転の方向を探った芥川賞受賞の野心作。

 怒涛の安倍公房8連発。
 他方、西村賢太関係に関しては少なく、おそらく文庫の再版を待つか古本屋で状態の良いものを探すしかないだろう。
 昨日も書いたが、東大卒と中卒。作風も真逆。
 そんな二人に魅かれるのは、もしかしたら、
 自分の目指す作風がアンビバレントな、
 (相反する感情や考えを同時にもったことで葛藤状態に陥った精神)
 要素を含むモノなのかもしれない。どういうことか、まったく見えていない。そろそろ長篇の構想を固めていかないと、、、、、。

<フリートーーク(手抜き)>

 自由(フリー)。とは、他から強制・拘束・支配などを受けないで、自らの意志や本性に従っていることをいう。哲学用語。自由な行動により生じた結果は本人が引き受けるべきという社会通念があり、自由と責任は併せて語られる事が多い。
 
 トーク。話すこと。お喋りすること。談話。「――ショー」
 
 で、何を話せと。書けというのか。自分から決めておいて酷い態度である。ということで、書き殴っていく。

 私は子供のころから何事も続かず、易きに流れていた。
 小学1年生でスイミングスクールに入ったが、直ぐに辞めてしまったし、勉強もあまり真面目にやらず、ひたすら、絵を描いていた。
 小学4年生でバスケ部に入部したが、すぐに行かなくなり、辞めた。
 小学5年生で吹奏楽部に入部したが、あまり真面目とは言えず、なんとなく2年つづけたが腕のほうはイマイチ。迷惑をかけていた。
 中学に上がって引きこもりになり、児童精神科の院内学級にいきつく。
 と、完全に社会不適合者の片鱗を、幼くしてみせ、悪い意味で順当に順調に一般的なレールから外れていった。
 それでも、通信制高校の一年生のころノートにファンタジー小説を書き、19歳のときに今は無き「新風舎」に持ち込み、編輯者の方に見てもらいながら、約半年ほどかけて約1,000枚のファンタジー小説を書いた。
 あやうく自費出版詐欺(?)あいそうになったが、結局、金は用意しなかった。その後は、22歳あたりで、何故か絵をまったく描かなくなった。
 その後、脚本の通信教育を7万円ほど払ってやっていたが、特に前進もなく終わった。
 そして4年程かけてDVDを500本弱購入し、映画監督を目指した時期もあったが、ついに、カメラさえ買わず幻想で終焉した。ここ数年はノートに妄想やアイデアをメモするぐらいで、作品ひとつ書いていなかった。
 それよりも服に夢中になり、ハイブランド(特にY-3)やアルチザン(職人技)系のブランド(特にCASAY CASAY)、Supremeのようなストリートブランド、その他古着にも手をだしていた。
 創作からは離れており、時間が無為に過ぎているように思えた。
 そして、昨年の4月1日。毎日note生活を始めたのだ。
 無論、自分の文章の「質」を高めるためだ。
 その為には、毎日書く必要があると考えた。一日でもサボればきっと辞めてしまうだろうし、書き続けるためには努力が必要だ。
 そうして、
 この1年で変わったことを箇条書きにする。

・毎日書くことで、それが日常になった。
・完成させることが当然になり、作品(文章)を冷静にみれるようになり、
 幾らか進歩に繋がるようになった。
・インプット(特に読書)の量が飛躍的に上昇。
・常にアイデアについて思考するようになった。
・出来る限り、物事を多面的かつ多層的にみることが増えた。
・蔵書のために部屋を模様替えした。

 ま、こんなものか。
 今後も変貌したい。進化したい。留まりたくない。滞りたくない。
「停滞してしまったら、そのまま死んでしまいそうだから」
 それにしても、最近の『週刊 我がヂレンマ』の三つ目のトピックが浮かばず「フリートーーク」になることが多くなった。
 これは良くない。もっとネタを集めなくては。そんなことを書きながら、行き当たりばったりになってしまう。
 正に、易き流れるだ。悪癖である。
 もう6,000字近くになった。そろそろ終わりにしたい。
 蛇の道は蛇の蛇足、蛇蝎。
 意味不明である。最後に一言。

「女性は抽象精神とは無縁の徒である。音楽と建築は女の手によってろくなものは出来ず、透明な抽象的構造をいつもべたべたな感受性でよごれてしまう。構成力の欠如、感受性の過剰、瑣末主義、無意味な具体性、低次な現実主義、これらはみな女性的欠陥であり、芸術において女性的様式は問題なく「悪い」様式である。私は湿気の高い感性的芸術のえんえんと続いてきた日本の文学史を呪わずにはいられない」
                             三島由紀夫

 今時、こんな発言をしたら大炎上である。
 それにしても、三島由紀夫の言葉は美しい! 憧れる! 終了!

 


 
 
 


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