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【短編小説】南の島の雪物語

私はいつもと変わらぬスパムのサンドイッチと牛乳の朝食を、いつもと変わらずテレビをつけながら、一人で食べ終えた。シンクにおきっぱなしの食器を横にずらし、開いたスペースでさっとお皿を洗いながら、いつもと同じため息が出る。「また来てる……」
口紅のあとがついたグラスに目をやりながら、大雪のニュースのあとに続くアナウンサーの「辺野古からのリポートです」の声に思わず振り返る。50インチの画面には、基地建設に反対する柵のリボンが風に吹かれている様子がはっきり映っていたけど、一瞬のことで、おばあの姿は探せなかった。

玄関のカーキ色のパンプスを踏みつけて家を出る。相変わらずの曇天の沖縄の冬空に嫌気がさすけど、今日はいつもと違う予感を胸に抱いていた。ううん、そうでなくちゃー、やってられないと思って家を出た。そう、そうでなくちゃーね。

 鞄に入れた盛昌に渡すバレンタインチョコを確認しながら、カードがないのに気づきあせった。
「えー、うそでしょー。あれがなかったら義理チョコって思われるよー」

その時、自転車のベルとブレーキの音が聞こえたと思った瞬間、いつもと変わらぬコザの町の風景が遠のき、小さく見えた。

「いったーい、何よ、ここ歩道よ。自転車は押して歩く!」
「急いでたんだ、ごめん。でもきみも下向いて歩くなんて危ないぞ。ベル鳴らしたろ」

何なの、この男。自分が悪いのに人のせいにして。あー、朝から最悪!

「ところで、この住所ってどこかわかる? 探してるんだけど」
「え、これって私ん家じゃない」
「本当? じゃ、きみ、比嘉みゆきちゃん?」
「何で私の名前知ってんの? あんた誰?」
「あ、俺、本多海。海って書いてカイ。長野出身なのに海なんて笑うけどさ」
「そんな事言うなら私も負けてないよ。沖縄で『美しい雪』なんて一生縁がないのにさ」

いやだ、初対面の男になんでこんなこと話してんだろ私ったら。

「だって東京で雪の降る日に生まれたから。お母さんが付けたんだよね」
「何でそんなこと知っているの? あんた一体だれ?」
「だから本多海って自己紹介したろ。海が見たくて沖縄に来て、自転車旅行してる時に車にはねられて。あ、いや、まあ……」

私は猛ダッシュで走り出した。インターハイの予選でも出せなかったくらいの速さで学校まで一直線に、わき目もふらずに走った。なんなの、へんなやつ。ストーカーに追いかけられるようなことしてないよ、わたしは。
嘉手納高校の正門が見えてきたところで足を緩めた。肩で息を整えながら、もう大丈夫だろうと後ろを振りむくと、あいつ、本多海とかいうやつが追いかけてきた。
「美雪ちゃん、待ってくれよー」
何で学校までついてくんのよ。それにしても凛香も照屋先生も私に声をかけながら、この男に気づかないってどういうこと?

「さっきの話だけど、生まれた日の雪のこと、覚えてないの?」
しつこいなー、何がしたいんだろ、うっとうしいったらない。でも無視してもついてくるだろうから、さっさと切り上げよう。なにせ私が一番のりじゃないとインパクトないからね。
教室に入る前に盛昌にチョコを渡そうとあせっている私は、不機嫌な顔で言った。
「覚えているわけないじゃない、生まれた日の事なんて。それに一歳になる前に沖縄に来たから雪なんて一度も見たことないよ」
「え、本当? 実は僕はきみに『初めてのこと』をプレゼントしにやって来たんだ。こんなにすぐ初めてのことが何かわかるなんてラッキーだな。ね、雪見たくない?雪、雪、雪って目を閉じて三回唱えるだけでいいんだけど」「はあ? 何の話? あ、盛昌だ!」

鞄の中からラッピングしたチョコを出しながら、カードを忘れたことを思い出した。ま、でもいいか、この際。義理チョコじゃないことは口で言えばいいのだし。
「美雪ちゃんが最後の一人なんだ。じゃないと俺、生き返れなく……」
盛昌に声をかけようとした私は自分の目を疑った。沙織が駆け寄ってきて盛昌と腕を組んで歩きだしたから。
え、なに? いつから? うそでしょ、二人、付き合ってたの? 

地面を蹴とばしてやけくそになった私はとっさにこう言った。
「目をつぶって雪って言えばいいのね? 雪、雪、雪」

頬にひんやりとしたものを感じて目を開くと、そこは一面銀世界が広がっていた。盛昌も沙織も誰もいない。校門の看板は長野県立安曇野高校となっている。
へんな男の声が後ろから聞こえた。
「どう? 初めて雪を見た感想は?」

ざくっ、ざくっ、踏み歩く音が気持ちいい。
「見てみて、私の足跡。5秒前、10秒前、わー、透明人間みたいでおもしろーい!」
「初めて笑ったね。じゃ、こんなのはどう?」
と言って男が大の字であおむけに雪の上に倒れ込む。そのまますっと立ち上がって言った。
「ほら、人間型抜き、なんてね」
私は笑いながら、「ばかみたい。私もやってみよう」と、同じようにばたんと倒れ込んだ。

そのまま空を見つめた。雪が降り注ぐ。

「美雪ちゃん、起きなよ、体冷えるよ」
男は手帖をめくり、時計を気にしている。
「きれいだな。空見上げてこんな気持ちになったの初めて。コザで空見ると悲しくなる。夢をのせて飛んでいる飛行機ばかりじゃないもの」
背中がじんじんしてきた。
男に手をとられ立ち上がる。私はその場で両手を拡げてくるくる回りながらつぶやいた。
「人の不幸が自分の幸せになんかなるはずないって名護のおばあがいつも言ってる。ねえ、雪って神様の贈り物? 落し物? 忘れ物かな? 沖縄にも置き忘れてくれないかなー」
あたりをみまわすと男の姿がない。

途端に、いつもと変わらぬ風景が恋しくなった私は、目を閉じ、「雲、くも、くも」と三回声に出してみた。

雪の音が消え、「大丈夫?」という声がする。
ゆっくりと目を開けた。
「あ、カイ。本多海だ」
倒れた自転車の横で心配そうに私の顔を覗き込む男が驚いている。
「え、何で俺の名前を?」
ハッピーバレンタイン!と口にした私のささやきが、頭上を飛び去る米軍機にかき消されていった。

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