「星は日の出に溶けて消える」第七話
「……ごめんなさい、ステラ。貴女から預かった時計、壊しちゃった」
真新しい棺の中、美しい花々に囲まれて眠る人の子に声をかける。神の口付けによって最後の眠りについた彼女はとても美しかった。私は魔女、人の美醜はよくわからない。けれどこの子が、愛しいステラが人の子の命の終わりとして最高の姿をしている事だけはわかる。
ステラ、愛しい人の子、ステラ。貴女はたくさんの人に愛されていたのね。葬儀場は彼女との別れを惜しむ人で溢れかえっていた。当たり前だ、彼女は魔法こそ使わなかったものの腕の良い薬屋として街の人達に慕われていたのだから。老若男女問わず、涙を流して別れを告げていた。泣いていなかったのは私と、星の繭から紡ぎとったような白金色の髪に濃紺の星空を切り取ったような瞳の幼子だけだった。人々の目には私達が奇妙に映るのかしら。
出棺の時間。本当にお別れね、ステラ。でも貴女は私の隣に居る、そうでしょう?
新しく築かれた墓の前、慕う人を亡くした悲しみに涙する人々の群れを遠巻きに見守る。人の子に溶け込もうと彼らと同じ黒を着て来たけれど駄目ね、全然落ち着かない。今日は諦めて、日を改めようかしら。そんな私を見つめる瞳が二つ。
「……何かしら、小さなレディ。貴女、葬儀の間も私の事を見ていたでしょう?」
私を見上げる濃紺の瞳。その目はきつくつり上がってはいるけれど、何処かステラに似ている気がする。
「貴女、お名前は? 街一番の薬屋の嫗の葬儀に共に出ていた小さなレディ、貴女の名前を聞いてもいいかしら」
「……私はロクサーヌ」
ステラの面影を残した幼い女の子。彼女は私とステラ、二人だけの誘い文句を口にした。
「……薬屋の嫗の葬儀に出ていたレディ、貴女の名前を聞いても?」
「あら、これは失礼。私はオリアーヌ」
「貴女は、どうしてお葬式に?」
「今日旅立った人は私の友人だったの」
「大切な?」
「ええ、そうね。何にも替え難い、大切な親友だったわ」
「魔法」
「魔法?」
「その指輪」
ロクサーヌが指さしたのは、右手人差し指に輝く金の指輪。共に過ごした最後の夜、ステラから貰った物。確かにこの指輪はステラの魔法によって紡がれたもの、それを見抜いてしまうこの子は何者?
「それ、おばあ様の魔法」
「ねぇ、一つ聞いてもいい? 貴女と、今日旅立った人はどういう関係なのかしら」
「……ひ孫。ステラおばあ様は、私のひいおばあ様」
だから。この子を見ているとステラを思い出すのね。いつの間に、あの子にひ孫なんて。会いに行こうとしなかったせいだわ。
「おばあ様から聞いている。おばあ様には、魔女の親友が居たって。オリアーヌって名前の、素晴らしい魔女が友達だったって」
「……ロクサーヌ。貴女、時間はある? その話、詳しく聞かせてくれないかしら」
「私も、聞きたいことはたくさんある。おばあ様について教えて」
ロクサーヌに誘われたのはステラの家。主の居なくなった家は、主が若かった頃の面影を残しつつ随分と古くなった。懐かしい。ステラが結婚したばかりの頃は良くここに来て二人でお茶会をしていたっけ。
「お茶、今淹れるから少し待ってて」
「貴女いくつ? 子供が一人で火を扱うものじゃないわ」
「……五つ。でも平気」
「平気な訳無いでしょう。大人達が居ない所で火を扱って、火傷でもしたら大事よ」
「平気だってば」
頑なに私の言葉を拒んだ彼女は、コンロ前に置いた踏み台に立って歌い始めた。違う、歌い始めたのでは無い。これは魔法。火を扱う為の、魔女の呪文。
「魔法の火であれば少なくとも術者は火傷はしないわね……。誰に習ったの、貴女のひいおばあ様?」
呪文を唱えるロクサーヌはこちらを振り返らずにただ一つ、こくんと頷いた。
私は物心ついた時から、あるいは記憶にないだけでその前から魔法を勉強していた。それは魔女の血縁の一人だから。けれどロクサーヌは。元を正せば魔法が使えるだけのただの人の子、寿命だって人の子のまま。この年で火を扱う魔法を取得しているなんておかしな話。現に学校で出会ったばかりの頃のステラは簡単な魔法だって知らなかった。ただ魔女のように己の内に秘める魔力を扱えると言うだけで、それを魔法という形で表に出すことを知らなかった。ロクサーヌが今目の前で魔法を使っていると言う事は誰かが、ステラが彼女に魔法を教えていたという証拠で。ステラ。貴女は自分のひ孫に魔法を教えていたの?
「もうちょっと待ってて」
淹れたての紅茶が注がれたカップ二つをテーブルに置いて、ロクサーヌはお茶菓子を出した。淡い紫色のマフィン、これには見覚えがある。
「……これは、貴女が作ったの?」
「そう。魔法と一緒におばあ様に習った」
「まあ……」
「……レディ。共にテーブルを囲む素敵なレディ。三時のお茶の時間を共に過ごす貴女のお名前を聞いても?」
「驚いた、ステラは貴女にそれも教えていたのね。私はオリアーヌ、日の出の魔女オリアーヌ。私もお伺いしていいかしら。三時のお茶のテーブルを共に囲む素敵な小さなレディのお名前を聞いても?」
「これは失礼。私はロクサーヌ、夜明けの魔女ロクサーヌ。素敵な名前のレディと共に三時のお茶を始めたいのだけれど、準備はいいかしら」
「ええ、始めましょう。私達の出会いを記念して」
熱い紅茶にブルーベリーマフィンのお茶会は真新しい胸の傷を疼かせる。遥か遠き青春の日の思い出よ。どうして貴女はここにいないの、どうして貴女の声が聞こえないの。私の傍に居るとわかってはいるけれど、どうして姿を見せてくれないの。
込み上がる寂しさにマフィンを一口。バターとブルーベリーのジャムをたっぷり練り込んだ生地の甘さと香りが口の中で解けていく。
「……美味しく無い?」
「……まさか。美味しいわ、とっても……」
ステラ、ああステラ。貴女のひ孫はとんでもない事をしてくれたわ。この子が作ったというこのブルーベリーのマフィン、貴女の作ったマフィンと全く同じ味だもの。
「貴女には驚かされてばかりだわ。このマフィン、ステラが作ったものと寸分違わず同じ味」
「おばあ様のレシピだもの、味が同じなのは当たり前」
「同じレシピでも作る人が違えば味が違う方が当たり前よ。貴女のおばあ様が作っていた薬、同じレシピで他の人が作って同じ薬になると思う?」
そう問えば、首を横に振ったロクサーヌ。幼いながらに腕前の概念を理解している様だ。
「魔女の為の学校の薬草学の授業で貴女のおばあ様の右に出る腕前の魔女はいなかった。もちろん薬の出来も一番だったわ、皆揃って同じレシピを再現したのにも関わらず。それは貴女のおばあ様が素晴らしい薬作りの腕を持っていたからよ。お菓子作りにも同じ事が言える、貴女はおばあ様の味が再現出来る程に素晴らしい腕を持っているの。それは誇るべきだし、胸を張って誇れる事」
「私は、おばあ様の作ったマフィンの方が美味しいと思う」
「それも当たり前の事よ。誰かが自分の為にと作ってくれたものを美味しく感じるのは当たり前」
「……うん」
ロクサーヌの淹れてくれた紅茶を飲みながら話し込む。お茶菓子のマフィンが無くなって二杯目の紅茶がカップに注がれた時、ロクサーヌが一つ声を上げた。
「ねぇ。おばあ様の魔法、よく見せて」
「この指輪の事?」
「うん」
「ええ、いいわよ」
金の地金に橙の宝石がはめ込まれた指輪をロクサーヌに手渡す。ステラの魔力によって作り上げられたそれを受け取った彼女はしげしげと手の中の輝きを見つめた。
「……綺麗」
「貴女のおばあ様の魔法はとても綺麗だったわ。今まで見てきた魔女の魔法の中で一番、一番綺麗だった」
「おばあ様は、貴女の魔法が一番だって言ってた。日の出を見た時みたいに、心が暖かくなるって」
「……どうもそうらしいわね」
「これ、貴女の目にはどう見える?」
「これは……」
黒いワンピースのポケット、その中から銀の輝きを放つ指輪を取り出したロクサーヌ。銀の地金に青白い宝石の、ステラの魔力が込められた指輪。この石はきっとシリウス、数多ある星の中で最も輝きの強い星の光を閉じ込めたもの。
「……貴女のおばあ様らしい魔法ね。大事になさい、失くしちゃ駄目よ」
ひ孫の往く道を導かんと願われて、閉じ込められた星の光。その輝きはステラの髪に、ステラの魔法に良く似ている。この指輪を贈る相手の幸せをただ純粋に願って行使された魔法だと言うことがよくわかる。本当に、ステラらしい魔法。
「ねぇ、貴女と同じ学校に通っていた頃のおばあ様はどんな人だったの?」
「どんな人、ね。一言で言い表すにはとても難しい人だわ、だって彼女は人間でありながら魔女だった人だもの。……悪戯好きで、世話焼きで、魔女になるには勿体ないくらい綺麗な心の持ち主だった。どうして彼女に魔法を与えたのか、今でも神様に殴り込みに行きたいくらい」
「人間は、魔女にはなれないから?」
「違うわ。魔女は人間になれないからよ。魔女になってしまった人間は、二度と人間には戻れない。魔女になるべき人ではなかったの、貴女のおばあ様は」
「……おばあ様は人間から魔女になったって事?」
「ええ、そうね。けれど魔女は不老長寿の生き物。心は魔女になった、体だけは、人間のまま」
「私も、魔女になれる?」
「なってどうするの?」
「魔女の学校に行きたい。学校に行って、おばあ様を超える魔女になりたい。おばあ様みたいに、困っている人達を助けたい」
「ステラおばあ様は貴女のお母様やおばあ様が生まれるよりも前に魔法を使う事は辞めた。貴女のおばあ様は魔法を使って悩める人々を救っていた訳じゃない。人々を救うのに魔法なんか要らないわ」
「でも。おばあ様は学校で教わった作り方で薬を作ってるって」
「魔女が人間に混ざるものじゃない様に、人間が魔女に混ざるものじゃない。貴女のおばあ様はそれで酷く苦労したのよ」
「それでもいい! 魔女に混ざる苦労なんかどうでもいい! 私はどうしても魔女の学校に行きたいの!」
どうしたものだろう。本人の話によればロクサーヌはまだ五歳の幼子。そんな彼女が、魔女の学校で勉強する事に固執するなんて。考えられるのはステラから学生時代の話を聞いていた事位。確かに楽しい事は山ほどあった、けれど私達の思い出が年端もゆかぬロクサーヌをここまでに駆り立てるとも思えない。まさか。
「まさか貴女。おばあ様が成し遂げられなかった事をしようとしているんじゃないでしょうね」
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