見出し画像

年齢は、言い訳にならない

この前、日本の友達と久しぶりにテキストをして、ふと年齢についてすっかり感覚が変わった自分に気がついたので、記事に残してみる。

年齢の捉え方

日本にいると、年齢を聞かれる事が本当に多い。そこに失礼と言う感覚があまりないのは、年功序列のカルチャーからだけれど、社会の構造上その人のステータスを知るのにちょうどいいのだと思う。しかしこれが、もう◯◯歳だからできない、と言う言い訳を作り出すのに都合がいい。それに、同年代で同じ行動を取るべきだと言う同調圧力の文化も加わっている。何歳で何をしているべきだと言うテンプレートに沿って生きることが、日本では正しさだ。

一方でアメリカは、年齢を聞く事がまず失礼だし、相手をフィルターを通して見て何になると言う考えがあると思う。履歴書に年齢を書く事もない。Age is just a number とは言ったもので、カレッジで私よりも明らかに年上の生徒を沢山見てきた。自分が何かに取り組みたい時がその人のタイミングであり、情熱がある時に行動すべきと言う風潮があるように思う。年齢に沿ったテンプレートは、かなり曖昧だと私は感じている。

大学に行く事の意味

大学は勉強したい人が勉強しに行く場所だ。

そんな事はみんなわかっている事だけれど、日本語で「大学」と聞くと自然と18-22、もしくは24歳くらいまでの人達が通う場所と言うイメージがあると思う。私もそうで、20歳頃に大学へ行きたかったなと思っていたけれど、もう今からでは遅いと思って、誰にも相談すらしなかった。

私は24歳の終わりにアメリカに来た。日本でそれを言っても正直ばかにされると言うか、変わり者としか見て貰えない事はわかっていたから、ほんの数人にしか大学に行く事を話していないし、これからも特に他に話すつもりはない。その数人ですら、今から大学とかすごいね、の様な何だか冷めた反応ですごく寂しかった。

しかしアメリカのカレッジでは、上述した通り、私より年上の学生に何人会っただろう。幼い子供がいる母親で、フルタイムで働きながら学生をしている人、キャリアチェンジのために学生をしている人、まだまだ知りたい事があるから興味の赴くままに学生をしている人、みんなそれぞれだし、勉強したいからする、と言う真っ直ぐさが私は本当に好きだ。教室内に違う世代の人がいても、別に誰も気にしないし、普通に会話をする。

年齢を理由にやらない言い訳を探すのではなく、自分自身を信じているし、周りも挑戦する程評価してくれる。

この価値観こそが正しさだと私は思う。日本も、年齢と言う摩擦を感じずに、新しい事をしたいならできる社会になってほしい。

まとめ

日本だけでなく、東アジアの年齢に対する文化を変える事は難しいし、そんなにすぐには変わらない。だけど、今の時代に生きるアドバンテージはやはりインターネットだと思う。もしも以前の私みたく、もう遅いから、と思ってやりたい気持ちがあるのに動けずにいる人がいるのであれば、日本だけの価値観に押し潰されずに、そのインターネットを使ってもっともっと外を見てほしいと思う。あなたが見ているのは本当に目の前だけだったのだと気がつくし、まだまだ自分は今から何でもできると言う気持ちで生きていないと、せっかくの人生がもったいない。年齢は、言い訳にならない。


英語学習用:https://twitter.com/learningish00
旅先フォトグラフィー:https://www.instagram.com/trip.pics00

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?