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北川景子、SEVENTEEN撮影から第1子出産まで~本人のブログで振り返る14年半(5)

 女優として虚構を演じ続ける一方で、web上に文字と写真で残す本来の姿。北川景子の人生をブログのみで追いかけた先には何が見えてくるのか。シリーズPart5。

(過去の記事はマガジンにまとめてあります)

(前回はこちら)

第8章 2011/再会/Seventeen

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 2011年4月21日。また一つ、北川景子のブログに記事が増えた。

ここ最近の私はというと、お仕事でしばらく広島に滞在したり、
Paradise Kissのプロモーションで
怒濤のファッション誌取材を受けたりしていました。

卒業以来なにかある度に取材にきてくださり、
ずっと暖かく見守りつづけてくださっている
SEVENTEENのみなさんにも、取材でお会いしました。
(あ、いまはSeventeen表記ですね。私がいた頃は大文字でした。)

 昨年の夏から秋にかけ、怒涛の撮影スケジュールによって完成した映画『Paradise Kiss』。そのプロモーションにおいて、ティーン向けファッション雑誌『Seventeen』のスタッフと再会。

 振り返れば北川景子のブログは、挨拶となる1本目の記事を除けば、『SEVENTEEN』の撮影から始まっていた

(2006.2.9)
今日は雑誌『SEVENTEEN』の表紙撮影と取材でした♪
いや、やっぱりプロのメイクさんは素晴らしいですねぇ。笑
普段の何倍にもキレイにしてくれます。
…なんて言うとなんだか普段がヒドいみたい。笑
今日は久々の雑誌なのでちょっと緊張気味でしたが…
こんな感じで撮影しました!(写真参照)
これぞチームワークですね。
カメラマンさん、ヘアさん、メイクさん、ライターさん…
大勢のスタッフさんが力を合わせて雑誌は出来上がるのです。
すごいですよね…しみじみ。

 当時まだ19歳。その年の夏には専属モデルを卒業した。

 そして5年後の2011年。

“あぁ、みんなも私も変わってないなぁ~、
私もまだまだ気持ちはティーンエイジャーのままなんだわ”と、
悦に入っていたのに、カメラマンさんたちの
「大人になったねぇ…北川くん。もう、25かぁ…」という言葉で
バッサリ切られました。(笑)
えぇ、わたくし25になります。今年。
学校の制服のままスタジオに行ってたのに…早いものですね。

Seventeenでお世話になった方々にお会いする度に、
メイクページの直前だというのに、
体育で肌をウッカリ焼いてしまった私を叱ってくださったこと、
うまくポージングができなくて、
「先輩たちをちゃんと見なさい。服をきて、立つだけがモデルじゃない。
動けないなら、北川くんのカット数を減らすことになるよ」と諭されたこと、
「見た目が綺麗ならそれで良い訳じゃない、
中身を磨いて魅力的な女性になりなさい。
不摂生、学校の勉強をおろそかにすること、
約束を守らないことは許しませんよ。
あなたたちは、学生でありながら、社会人であり、
プロとして扱われる立場です。」と、
常々わたしたち若いモデルに言ってくださったこと、
スタジオからの帰り、
「こんな風に叱られるばっかりのために東京にきたんじゃない。
もう神戸に帰りたい。」と、弱気になって泣きながら
駅まで歩いた最初の一年間のこと・・・
いろんなことを思い出して懐かしく思います。
若かったなぁ、と。

愛があればこそ、厳しくするのであり、それが本当の意味での優しさなのだと、
大人になった今、痛感する瞬間が増えました。
あの頃、厳しく教えを説いてくださる
Seventeenのみなさんがいらっしゃらなかったら
きっと今の私は居なかったことでしょう。

早くに親元を離れた私にとって、
厳しく、暖かく育ててくださった、周りの大人たち、
“親御さんから預かっているから、東京の親だと思いなさい”と
育ててくれた会社の人たちは、本当の家族のようだと思います。

我が子のように皆さん私を育ててくださったなぁ、と振り返るたびに、
人は自分だけの力で成長していくことはできないのだと、感じます。
いつか自分自身が、誰かの示しになれたら、と思います。

 映画はクランクアップして終わりではなく、そこから実際に公開するまでの長いプロモーション期間も大事な仕事。北川は雑誌取材のみならず、あらゆるバラエティー番組にもゲスト出演し、宣伝に宣伝を重ねていった。

 そして6月4日、その時は来た。

ついに、Paradise Kiss公開初日を迎えました!
今日だけで丸の内、横浜、新宿と
5回の舞台挨拶を行いました。

最初の舞台挨拶では、向井くんが100本の青いバラを
プレゼントしてくださるサプライズもあり、
「プロモーション活動も大変だったけど、お疲れ様」
という言葉をかけていただき、とても感動しました。
撮影の準備期間から、プロモーションも合わせると
長い間この作品に携わってきたので、
今日で終わったんだなぁと思うと感極まって涙が出そうでした。

これまでたくさんの宣伝活動をさせていただきましたが、
今日からこの作品は私たちを離れ、皆様のものとなります。
これからParadise Kissが多くの方々に親しまれ、
大きな作品に成長していくことを願ってやみません。
これまで応援してくださった皆様、ありがとうございました。
そして、これからもParadise Kissをよろしくお願いします。

「作品がお客様のものになる」という表現に、北川の想いが詰まっていた。『Paradise kiss』は興行収入13.9億円。2011年公開の邦画の中では23位という記録になった。

 北川の女優仕事は止まらない。その後もドラマ『この世界の片隅に』『謎解きはディナーのあとで』で主役やヒロインを演じ、アニメ映画『マジックツリーハウス』では初の声優にも挑戦。加えてCMにも多数出演した。


第9章 2011/別れ/2人

 震災によって多くの人や物が失われた2011年。北川には更に2つの別れがあった。

(4月22日)
田中好子さんの突然の訃報を聞いて、眠れぬ夜を過ごしました。

一昨年の暮れにご一緒させて頂いた時の田中さんは
いつもにこにこしていらっしゃったので
全くご病気の事を私は気がつくこともできませんでした。

「こうやって、芸能界にどんどん息子や娘が増えていくの。
とってもにぎやかでしょう!」と、田中さんが笑っていらしたのが
たった一年と数ヶ月前のことでしたから
今はまだ、あまりに突然すぎる、そして悲しすぎる訃報に
ただただ呆然とするばかりです。

私にとっての田中さんは、いつも笑顔でいらして
周りを優しく暖かく見守り、
気遣っていらっしゃる方という印象でした。
こんなに早く逝ってしまわれるなんて
悲しすぎて
嘘だと、信じたいですが

最期まで日本中から愛され
人生を全うされた田中さんのご冥福を
心よりお祈り申し上げたいと思います。
(12月21日)
今日の午後、森田芳光監督の訃報に接し愕然といたしました。
あまりもの驚きと深い悲しみに、今もなお胸のふさがる思いです。
偉大な監督を失い、多くの人々が哀しみに暮れていることと思います。

18の頃に映画「間宮兄弟」のオーディションで森田監督と出会い、
緊張していた私に「監督の森田です」と暖かい笑顔で自己紹介をしてくださったこと
「女優をやめずに続けて下さいね」とクランクアップの日に言ってくださったこと
「わたし(モリタ)(いつも北川景子)出すわ」と書いたTシャツを下さった日のこと
「お元気ですか」と時折メールをくださったこと
在りし日のお姿が鮮やかに思い出され、
そのお姿を振り返り偲ぶたびに涙が溢れ出てきます。

いつもゆったりとした穏やかな佇まいで現場におられ、
優しい笑顔がとても印象的な方でした。
いつも笑い、ユーモアを大切にされ
森田監督にしかないユニークな感性が私は大好きでした。
お会いすると、なぜかほっとする、不思議な魅力のある方でした。
もう一度お会いしたかったです。
本当に本当に残念です。

何も知らなかった私に、映画、そしてお芝居というものの面白さを教えて下さり、
夢と目標を与えてくださり、導いてくださった恩師でした。
心の底から、「ありがとうございました」とお伝えしたいです。

日本中の人々から愛され、親しまれた森田監督のご急逝を悼み、
謹んでお悔やみ申し上げますとともに、
心よりご冥福をお祈り申し上げます。
北川景子

 映画初出演作品となった『間宮兄弟』は、北川にとって思い入れの深い作品。監督との突然の別れから立ち直るまでには時間を要した。


 その一方で、1年という月日はあっという間だった。

(2012.3.11)
今日ロケの途中、関ヶ原から14:46に黙祷を捧げました。
今日で東日本大震災からちょうど一年たちます。
もう一年、なのかもしれませんし
或いは、まだ一年、かもしれません。
皆さんお一人お一人に様々な想いがあることと思います。
一年という月日こそ流れてはゆきましたが、状況は未だ深刻であり、
被災地の皆様にとってはこの一年は心の休まることのない一年だったと思います。
眠りにつく時、東北の皆様の瞼に浮かぶ光景が
一日も早く明るい未来に変わりますことを今日はお祈りいたしました。
実際に直面していない人々にとっては
震災の記憶というものはどうしても薄れていくものですが
大切なことは、まだまだ苦しんでおられる方がいるということ、
まだまだ復興が必要とされる土地があること、
まだまだ日本中の力を合わせ、手を取り合い、
力強く進んで行かなくてはならない状況にあるということを、
日本中が忘れないことだと感じます。
皆で記憶を風化させず、願い、歩んでいきたいです。
私も直接的な復興支援はもちろんのこと、お仕事の方にも一層打ち込み、
皆様を少しでも笑顔にして差し上げられるような作品を作っていきたいと思います。
日本中の人々の心が休まる時が来ますよう心から願っています。


第10章 2012-2013/安定期/10周年

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(2012.5.8)
昨年の下半期、いつものペース配分で働いているはずなのに
体力不足、気力不足でだんだんと息切れをするようになり、
抜け殻のようになってしまいました。
はぁ…そろそろインプットが必要かなぁと感じたのが昨年の秋。
そんな空気を感じ取ってくれたのか
粋な神様の計らいで今年の春は小休止が出来ました。

何年ぶりだろう?と数えてしまうほど、久しぶりの小休止。
自分からはなかなか休めない質の私にとって、
たまたま空いた期間はありがたく感じられました。
そんな訳で4月は「次にまとまった休みが出来たら〇〇をしよう!」と
ずっと思い描いていたことシリーズを順番にやってリフレッシュし、
うわ、まだ休みが残ってる!暫くぶりのゴールデンウィークは何をしよう!?
と浮かれていたら風邪をひき、一週間寝込みました…。
昨日、やっと復活したばかりです。
まとまった休みがあると、気が緩み体調を崩してしまう悪い癖、
すっかり忘れておりました。

私が寝込んでいる間に母は明日海りおさんのディナーショーに行って
とってもいい席(超間近!)で明日海さんの御尊顔を拝したそうです。
悔しい!うらやましい。私だって明日海さん見てみたかった。
…と、お休みの締めくくりは風邪でしたが、
それでもヨーロッパ旅行もできたし、映画も見られたし、
本もたくさん読めたし、良い小休止でした。

好き放題するだけでなく、風邪で寝込みながら
人生のこともちょっとは考えたりなんかして
友人たちには婚約、結納、結婚、出産などなど
おめでたいニュースが飛び交っているというのに
私ったら仕事と宝塚(特に蘭寿さん)のことばかり…
こんな私でいいのかしらと一瞬、ほんの一瞬迷ったりしましたが
何度考えてみても、私は結局仕事と男役のスターの皆さんが
大好きみたいです。
最近は男役スターの皆さんが好きすぎて
私もだんだん男役になりたいと思うようになり
色々とインターネットで調べていたら
宝塚大劇場に行けば男役スターの方々と同じ
舞台メイクをしてもらえて衣装も着付けてもらえると知り
今ではそれをやりたくて仕方がなくてうずうずしています。
同じ衣装とメイクができるなんて考えるだけでも楽しくなってしまいます。
私はベルバラのオスカルかアンドレになろうと目論んでいます。

(中略)

女性は特に働く自分と女性としての自分、
母としての自分と妻としての自分、
様々な事柄の間でバランスをとることを常に強いられていて、
いくつになっても取捨選択を迫られる生き物です。
だから悩むし、その都度乗り越えなくてはならないから、強い。
私もたまに、こんなワーカホリックな自分でいいのかと
周りを見渡して一瞬不安になることもありますが、
結局今を生きるしかないのもまた、女という生き物だと最近よく思います。
正しいことばかり選択できないし、待ってもくれない。
近道もできないし、無料お試し体験もできない。
わき目をふらず、自分を信じてやっていくしかない。
それが女の人生なのでしょう。

(中略)

私も二十代後半ですし、この先の人生さらに、
色々な天秤に揺れ、優先順位をつけなくてはならないことが増えてゆき、
取捨選択がさらに難しくなってゆくと思いますが
聖書の言う”置かれた場所”で精一杯、輝いた生き方をしたいものです。
(2012.8.26)
ドラマ「みをつくし料理帖」は無事にクランクアップしました。

太秦の撮影所での一か月は、本当にあっという間でした。
伝統のある東映京都撮影所で撮影をさせて頂けたこと、
太秦のスタッフの皆さんの職人の業を傍で見て学べたことは
私にとって、とても貴重な経験でした。

東映京都撮影所で撮影することは初めてだったので
一か月前、京都へ向かう新幹線ではとても緊張した私でしたが、
撮影所の門をくぐった瞬間に感じたのは、意外にも”懐かしさ”でした。
どこかに似ている…と想いを巡らせてみると
そこは私がデビューをさせていただき、14ヶ月、
ほとんど「住み着いていた」と言っても過言ではない(笑)
東京撮影所に醸し出す雰囲気がそっくりでした。

「なるほど、やっぱりここは東映なのか!」と気づいた瞬間
初めてなのに、帰ってきたような不思議な居心地の良さを覚え
特撮出身で良かったと、今回もまた、改めて感じました。
こうして節目節目で振り返り、「あの経験があって本当に良かった」と
深く感謝するのは、やはり一年以上、素人の私を
根気強く、時に厳しく育ててくださったデビュー作の現場の皆さんです。

今回の「みをつくし」のスタッフの皆さんも、深い愛情を持って
私たち俳優部に接してくださいましたし、
時代劇の経験が少ない私に、時代劇というものを
手取り足取り教えるのではなく、信じて見守り、本人に学ばせる、
という愛のある方法で成長を促して下さいました。
一か月はあまりに早くて、もっと京都の皆さんと撮影がしたかったし
もっと色々皆さんから学ばせて頂きたかったです。

共演の松岡さんもいつかおっしゃっていましたが
京都で撮影をしていると「やっぱり時代劇っていいな」
「時代劇がずっと続いていってほしいな」と思います。
映画村はずっと伝統として受け継がれていってほしい場所だと
今回心から思いましたし、その伝統を受け継いでいくための力に
自分も微力でもなれたらな、と思いました。
今回感じた事や、学んだことを糧に、成長して大きくなって
また京都に帰りたいです。
(2012.10.2)
一つ、また一つと作品を終え、務めを終え、
ちょっとした寂しさを感じつつも、それをさらってゆくように
また新しい風が吹き込み、現在は新しい務めを全うしています。
空気も、心も、いい方向へ循環していると思いますし
10月に入り気候が落ち着いたことも相俟って
とても清々しい気持ちで日々を過ごしています。

「悪夢ちゃん」は私にとって、とても久しぶりの連続ドラマの主役です。
主役の時と、そうでない時と、取り組む姿勢や意識に
差をつけているわけでは絶対にないのですが
やはりどうしても主役ということに対する
妙に張り切る意識が今の私にはあるようです。
毎回主役をやらせていただくたびに
「主役をいただけるのは今回が最後かもしれないなぁ」と思いますが
今回もまたそういう思いで日々、撮影に臨んでいます。
もちろん、それはネガティブな意味ではなく、
それだけ主役とは恵まれたポジションなのだと思いますし
自分のような者が主役を頂くのは、
信じられないほど有難いことだと思えばこそです。
これが最後になっても後悔がないようにやりきろう、という思いで
すごく真面目に(あたりまえですが。笑)やっています。

(中略)

今回の作品は、脚本の先生の筆のスピードが恐ろしく早く、
もう今の段階で8話まで台本が上がってきています。
台本が先々まであるのは、きっとどの部署のスタッフさんにとっても
とても助かることなのですが、準備をする時間が与えられているだけに
それはそれでプレッシャーでもあります。(笑)

(中略)

長々たくさん書きましたが、私は今、
新しい場所で、新しいことに挑戦し、とても充実した日々です!
と、いうことが言いたいブログでした。


 2013年以降のブログは公式サイトから閲覧可能となる(これまでの記事はコピーサイトより引用させていただきました)。

 その2013年は、北川景子の女優デビュー10周年イヤーでもあった。

(2013.5.18)
とてもハードでしたが、古巣の東映大泉での撮影でしたので
懐かしい方に沢山お会いして楽しい日々でした。

先日はデビュー作のセーラームーンでお世話になった白倉プロデューサーや
田崎監督にお会いし「あれから10年、早いですね」等とお話しました。

白倉さんは映画「Dear Friends」で東映大泉でお会いして以来、
田崎監督は昨年太秦東映で「みをつくし料理帖」を撮影していた時に
田崎組と撮影時期が重なりよくお会いしていて、その時以来でした。

どなたとお会いしても、いつも決まってセーラー時代の思い出話に花がさきます。

忘れもしない10年前、セーラー戦士役の最終オーディションで
歌や踊りなど何か一芸を披露する、という審査があったのですが、
ごくごく普通の冴えない高校生だった私は何も一芸を持ち合わせておらず
オーディション前夜まで何を披露するか決められずにいました。

就寝前、私はとうとう思い詰め、サツマイモを半分に切ってラップで包み
彫刻刀と一緒に鞄の中に入れました。
そして当日のオーディション会場では容姿端麗で、
歌やダンスやバレエ、新体操など才能豊かな少女たちに紛れ
もうどうにでもなれと惨めな気持ちで審査員の前で黙々と芋版を彫って合格しました…

田舎から芋を持って上京した17の私は現実に打ちのめされ
神戸までの帰りの新幹線では「落ちるなら芋で落ちた。」と何度も強く思いました。
今では、芋があったから今の自分がいる、と強く思っています。
芋版で合格にして下さったお心の広い白倉さん、田崎監督には今も頭があがりません。(笑)

そんな思い出深いオーディションから、デビューさせていただき
1年と数か月を特撮に生きたので、東映は私にとってとても思い出深い場所です。
大泉学園の駅の周りも、スタジオも、すべてに思い出が詰まっていて
駅からスタジオまで15分、皆で話しながら歩いたなぁ、
ここの化粧前は沢井さんがよく使っていたなぁ、
この控室を昔は5人で使ってたなぁ、などと
自然と戦士4人の姿が浮かんできて、楽しかったな、と懐かしく思います。

久しぶりに撮影所に立ち、10年続けてこられて本当に良かったと思いました。
ここからスタートして、色々な方に出会い、助けられ支えられ
御縁が繋がり、10年経ち今の私がまたここに立っていられるのですから、
なんと自分は人に恵まれてきたことかと、ひしひしと感じます。
めぐり合い、奇跡、そんなことについて考えていた今日この頃です。

 そして8月22日。自身の誕生日でもあり、初の写真集『27』が世に出た日でもあった。

本日で27歳になりました。

まだ一つ歳を取ったという実感はありませんが、ファンレター、ファンメール、Facebookなどを通じ
皆様から沢山の温かいお祝いメッセージを頂き、今私は幸せな気持ちでいっぱいです。

今年の誕生日は、誕生日というよりも初のオリジナル写真集『27』の発売日という認識が強く
無事に念願の写真集の発売日を迎えられ、安堵しています。

週末の24日、25日は限られた方々とではありますが
直接ファンの皆様とお会いできるということで、こんなに嬉しいプレゼントはありません。
10周年記念のイベントで皆様と過ごせることを心より楽しみにしています。

すでに写真集を手に取って下さった方々、本当にありがとうございます。


第11章 2013/テレビ制作の在り方/北川景子の答え

 ドラマや映画のみならず、北川はNHKのドキュメンタリー番組にも出演した。昨今、やらせや過度な演出で炎上することの多いテレビ番組。嘘偽り無しでも面白い作品にする為に、作り手はどのようにして向き合うべきか。北川景子は7年前に一つの答えを出していた。少し長いが、あえてノーカットで引用する。

(2013.9.8)
昨日で無事に『北川景子×地中海 女神たちを探して』前篇、後篇の放送を終えました。
ミロのヴィーナスの神秘のルーツをさぐる地中海の旅ということで
二週に渡って放送されましたが、いかがでしたでしょうか。

ドキュメンタリー番組は今回で二度目の挑戦となりましたが、やっぱりとても難しかったです。

ドキュメンタリー番組には「こうしなくてはならない」という正解はありませんし、
ハプニングは常なので、怖がらず、自然に起こることを楽しんでやってください、と
事前に伺ってはいたのですが、やはり地中海へ向かう飛行機の中ではとても不安でした。

せっかく行って、もし、聞きたいようなお話が出てこなかったら
もし、収穫がなかったら。そう考えると恐ろしかったです。

ロケが始まって何日間かは、「これでいいのだろうか」「尺は足りているのだろうか」などと
番組の構成を考え出す度に怖くなり、いやいや集中、集中、と雑念をかき消すことに精一杯でした。

毎晩ホテルに戻り、もっとうまくお話を引き出すことが出来たのではないか、
あの時自分はこう切り返すべきだったのではないか、などとロケを振り返ると後悔と反省ばかりで、
明日こそうまくやろう、と思うのに、結局次の日も打ち砕かれ(笑)
自分がやっていることが正しいのか自信の持てないまま、漠然と旅の半分が終わってしまいました。

なぜ、うまくいかないのか。なぜ、満足できないのか。
とことん考えて一周した時に、ふっと「何が起こるかわからない。こう返してくるだろう、という予想通りの答えはもちろん返ってこないし、
ハプニングもある。文化が違うから、通訳さんがいても会話が噛み合わない時もある。でも、それがドキュメンタリーなんだよ」と
各場面で常にディレクターさんがおっしゃっていた言葉が蘇りました。

そして、「ドキュメンタリーとは何か。どう動き、どう表現することがドキュメンタリーなのか?」と、
頭で考えながら必死に進めてゆくのがドキュメンタリーではないんだと、気が付きました。
考えるのではなく、感じるべきであり、ドキュメンタリーは正解を探すことではない。
真実をありのままに歪曲せずに残し、伝えることである。
そう気が付いてからは、その確信をもって、旅の後半は”今この瞬間”を楽しめました。

今自分はどうするべきなのか、視聴者に今は何を一番にお伝えするべきなのか、と色々と拘っていた旅の前半よりも、
その時、その瞬間にしか感じられないこと、そこでしか出会うことのできなかった方との出会いに対する感動、
その瞬間にしか出てこない感情、言葉、表情を恥ずかしがらずに、頭で考えずに残すこと
が大切なのだと思い、
そのように行動した旅の後半の方が、本物の今という瞬間を残せた気がしました。

この旅で、その時、その場所で、その人としか生まれないドキュメンタリーを撮ることの素晴らしさを感じました。
ひとつとして同じものはないわけですし、かけがえのないものを作っているんだという
責任感と緊張感を感じるお仕事でもありました。

ついつい正解を探そうとしてしまったり、こうあるべき、という概念にとらわれてしまいがちな
自分の価値観を壊す良い経験にもなりました。
もしかして人生も、お芝居も、こういう自分の捉われた概念や価値観によって
自分が難しく、複雑にしてしまっているのかもしれないなと思いました。

もっとシンプルにあるべきなのかもしれない。
頭でっかちな私は、もっと素直に感じたままに生きられたり、お芝居ができたらもっといい。
そう思えるようになったのは、この旅のおかげです。
(そういえば、シカクいアタマをマルくする、なんて教材があったな…。)
もちろん、そう思ったからといって、すぐに性格を変えられるわけでも、明日すぐに自分が変われるわけでもありませんが
そう思えたことが私にとっての大きな変化です。

10周年という節目の年に、このような機会に恵まれて、本当に良かったです。
一緒に旅をして下さった、プロフェッショナルで、心温かいクルーの皆様に心から感謝しています。

オンエアを改めて見たら、あまりに自分の語彙と表現力が少なくて赤面しましたが、
初めての地中海、見るものすべてが新鮮で、壮大で、どこへ行っても何を見ても、
第一声に「すごい…」と、ため息を漏らすしかなかったも真実のようにも思います。
これまた初めてのことでド緊張して、冷や汗をかきながら吹き込んだナレーションも、随分拙かったですが
その時の自分のできる精一杯のドキュメンタリーだったのかなと納得することにしました。

見てくださった皆様、ありがとうございました。

もっと人間として大きく、深くなれたら、良いドキュメンタリー番組が作れそうです。
ドキュメンタリー、とても興味深いです。またいつか挑戦できますように。
その日まで、日々精進です。


第12章 2014/追憶と前進

 2014年。気が付けばブログを始めてから8年もの月日が経っていた。

 ご存じ『HERO(第2期)』のヒロイン・麻木千佳役を経て、北川景子にとって思い入れの深い出来事は10月に明かされた。

(2014.10.20)
映画『の・ようなもの のようなもの』に出演させて頂くことになりました。
私の尊敬する森田芳光監督のデビュー作であります『の・ようなもの』のその後を描いたもので、
松山ケンイチさん演じる出船亭志ん田を主人公に描く、落語をテーマとした青春、人間ドラマです。
『の・ようなもの』から森田作品の助監督・監督補を務めた杉山泰一監督がメガホンを執られ、
『の・ようなもの』に出演されている伊藤克信さん、尾藤イサオさん、でんでんさんが同じ役柄で登場されます。

映画『間宮兄弟』のオーディションで森田監督に夕美役に選んで頂いて以来、
私が一方的に恩師と仰いできた森田監督の作品のオマージュに出演させて頂けるということで
お話を頂いた時は本当に嬉しかったです。
忘れもしない10年前、間宮兄弟の夕美役を頂いた際に、森田監督は私に『の・ようなもの』のビデオを手渡し、
「ぼくの撮りたい世界がここに全部入っているんです。これを観てくれたら、ぼくがどういう監督かわかると思います。
これを観て、感じたままに夕美を演ってください」こうおっしゃいました。
恥ずかしながら森田監督の作品を見たことのなかった私は、『の・ようなもの』で森田作品のファンになり、
監督の撮りたい映画がどのようなものなのかを知りました。
初めて見た森田作品が『の・ようなもの』で良かったと思っています。
『間宮兄弟』がスクリーンデビューとなった私は、何かヒントが得られないかと
何度も何度も『の・ようなもの』を見ては現場に向かいました。
そんな思い出深い作品の続編に、森田組のスタッフの皆様と、信頼する松山さんの相手役で出演させて頂けて本当に光栄でした。

今回の『の・ようなもの のようなもの』の私の役どころは、『間宮兄弟』の夕美からイメージして杉山監督が作られた役で、
夕美が大人になったような設定になっています。
撮影にあたって、『の・ようなもの』と『間宮兄弟』を改めて見て、やはり森田監督は素敵な方だったなぁと思いました。
監督が亡くなって以来、しばらく力が入りませんでしたが、今回の現場で何度も監督の懐かしい気配を感じました。
もしかして傍にいらっしゃるのかなぁと思うほど、温かい現場でした。
ひょっこり監督が姿を現すのではないかと期待してしまうほど、森田組の皆様は全く変わっていませんでした。
少しは成長したところを見せなければ、とついつい力みそうになるのを抑えつつ、
最初から最後まで楽しんでのびのびと撮影をできました。完成が楽しみです。
11周年を迎える時期に、このような作品に出会えたことに感謝します。

 時には後ろを振り返りながらも、北川景子は前に進み続ける。

(Part6につづく)


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