かげりとあかり(前編) 【陽キャになれる島・第一話】
小刻みに変化する音程バーは赤線判定が目立ち始める。こぶしもビブラートも40回を超えたので95点以上は確定だろうが、集中力が乱れているのは良くない。かれこれ一時間は一人で歌っているが、脳内は常に明里への執着と怨念で占められていた。
マイクをホルダーに戻し、大きめのトートから記録用のビデオカメラと三脚を取り出しセッティング。今日は会場でリハの時間を確保できない為、カラオケルームではあるがこの場をお借りしてダンスの最終確認を行う。一曲踊る毎に撮影した動画をチェック。やはり笑顔が少ない。間違えないように踊ることだけで精一杯で、表情や表現力まで考える余裕の無い私は他のメンバーよりも確実に後れを取っている。
しかし、それ以上に気にしていることがある。42センチ丈のフレアスカートの動きだ。ターンや腰振りの際にふわりと揺れ、中に履いている黒のスパッツが何度も見えてしまう。内線電話が鳴るまでの一時間ひたすら踊り続けたが、この問題も解決できないまま2時間の個人練習は終了。まあ、今日の私の衣装はキュロットなので気にしなくても良いのだが。
会計はセルフレジかつPayPayで手短に済ませ、非常階段を駆け下り、早足で会場のライブハウスへ向かう。集合時間の17時ギリギリに楽屋へ。
「ほら写真見て。渋谷の『くまちゃん温泉』って店の鍋がめっちゃ映えるの!」
明里だ。他のメンバー3人と雑談をしている。本番一時間前とは思えない緊張感の無さ。既に1組目のグループのパフォーマンスが始まっており、歌声と歓声が漏れ聞こえるにもかかわらずだ。
「あ、影里だ。おっはよー!」
開けたドアのノブを握ったまま棒立ちの私に、いち早く気付いた明里が元気に挨拶してきた。私は小声で「お、おはよう……」と返す。メンバーは既にステージ衣装に着替えており、明里はフレアミニスカートを履いている。それを見るだけでも妬みが増幅する。
「あのさ……皆で……合わせようよ」
急いで着替えた私の小声の提案により、ようやく4人は立ち上がる。楽屋でストレッチと、セトリ順に踊る簡易リハも行う。これも撮影していたが、映像の確認をしたのは私だけだった。4曲だけでも気は抜きたくない。ただ4人が映えグルメの話で盛り上がっているので、邪魔をせぬよう声出し練習は諦め、お手洗いで歯を磨く。
18時、本番。私たち5人は円陣さえもせずに舞台袖からステージへ。ゲネプロ無し、楽屋で軽く合わせただけなのに全員ノーミスで歌い踊る。あれだけ個人練習をしていた私は皆の動きにギリギリ追いついてはいるものの、表情は相変わらず硬い。歌唱力だけはメンバーの誰にも負けないと自負しているが、踊りながらのマルチタスクではそれさえも発揮できない。
客席のファンたちは声援を送りつつ、ブレード片手に合いの手を入れ、中には振りコピまでしてくれる人も。「ウインクして」「投げチューして」などと書かれたうちわを掲げてファンサを求めるファンも最近は増えてきたが、明里は踊りながら彼等への爆レスもしっかり行う。何故そこまで余裕でいられるのか。
「皆さんこんばんはー、Vamos!でーす!」
1曲目の後にMC。仕切るのはいつもリーダー兼センターの明里だ。
「17時から始まった対バンライブも私たちで4組目ということで、皆さん疲れていないですかー?」「うおおおお」「まだまだ盛り上がっていけますかー?」「うおおおお」
これも陽キャの特性なのか、巧みな話術で観客を煽り、コーレスで盛り上げていく。
「今ハマっている美容法は?」「ハイドラ!」「ファスティング!」「ティラピス!」
3曲目の後のMCでは、明里がその場で思いついた質問に私以外の3人が即答。「ティラピスじゃなくてピラティスでしょ?」「否、ヨガだったかな?」「どっちでもええわ!」「アハハハ」と続く。そして、
「影里は?」「えっと……ヨー、グルト」
明里はちゃんと、話の輪に入れない私にも振ってくれた。それでも彼女に対する憎しみが消えない私は、目すら合わせず俯いたまま小声で微妙なレスポンスをし、「ヨーグルトって腸だけじゃなく美肌にも効果的だもんね」とフォローしてくれるまでが毎回のテンプレである。
その後の4曲目も無事に歌い終わり、Vamos!の出番は終了。15分の休憩を挟み、ロビーにて特典会が開かれる。正直これが一番苦手だ。ファンとのツーショチェキ自体は慣れてきたが、それを現像してサインとメッセージを書き入れるまでの約一分間を会話で繋がねばならないのだ。マネージャー曰く、その時の私も笑顔が足りないのだそう。私のレーンに並ぶファンが少ない現状にむしろホッとしてしまう。列が途切れたら他のレーンにも目をやる。一番人気は明里で、チェキのポーズはファンの要望にしっかり応え、会話も終始笑顔で円滑に、それを止め処なく続けているのだ。
「それでは集計結果を発表します」
約一時間の特典会を終え、楽屋に戻った私たちにマネージャーが真顔で話し始めた。ここからが他のアイドルには無い、Vamos!特有のシステムであり茶番でもある。
「1位、明里」「やったー!」
誰もが予想していた一番人気の明里は、次回のライブもミニスカを履いてセンターで踊る権利を獲得。2位以下は残った衣装から選択することとなる。
「2位、里美」「じゃあ次回もパンツで」
長身の里美はパンツのほうが映えるので、何位だろうとそれを手に取る。その後は3位の貴子がキュロット、4位の夏希がショーパンを選択。最下位の私は2着目のキュロットに必然的に決まってしまう。
そもそもこの人気ランキングをどうやって決めているのかというと、実はライブ中、観客の振っているブレードの色の数をステージ袖からマネージャーが双眼鏡片手にカウンターで計測していたのだ。ファンは通常、推しのメンバーカラーのブレードを振るので明確な指標となる。ただ、箱推しのファンは曲ごとに色を替えたりもするので、1曲ごとに計測し直している。4曲それぞれの色の数を足し、更に特典会でチェキを撮った人数も加算した合計ポイントでランク付けされる。
結果的に明里の1位と私の5位は毎回固定となっている。そんなのマネージャーに言われなくても分かっている。歌い踊りながら客席を見渡すと、いつも明里の赤が圧倒的多数で、私の緑は数本しか見当たらないのだから。
「ただ明里。今日のライブ、2回ほどスパッツが見えていたわよ。次回は0回を目指してね」
「ハイ! サーセン!」
Vamos!のコンセプトは『見えそうで見えないアイドル』。昨今のアイドルはパンチラをしようものならどこかの団体が騒ぎ出す。そんなご時世を逆手に取り、パンツが見えそうで見えない絶妙な塩梅で踊ることを売りにしているのだ。それはそれでオタク需要が高いらしく、結果的にVamos!は地下アイドルでありながら来月Zeppで初の単独ライブを開催できるまでに成長した。
しかし、そのコンセプトを実現するには、ターンや腰振りでスカートがふわりと揺れてもその下が見えないようにする微細な動きが求められる。保険としてパンツの上にスパッツを履いてはいるが、それが見えてしまうとファンはむしろ冷めやすい傾向がある。見えそうで見えないほうが妄想の余地、ひいてはロマンがあるのだろう(?)。とても難易度が高いので、ミニスカでのパフォーマンスに挑戦できるのはセンター1名のみと決められているのだ。
***
56メートルのシャネルビル。黒と白のパネルがランダムに配置され、白いほうには壁画みたいな模様。ギャップ、コーチ、ヴィトンにプラダのショーウィンドウに並ぶエレガントな洋服やバッグを見る度に、これらを身に纏う未来を夢見ていた幼少期を思い出す。あの頃思い描いていた成人には程遠い、ミシェルマカロンのリボン付きレースブラウスにリズリサのフリルミニスカート姿で夜の銀座を歩く私はどこからどう見ても浮いている。
「影里ちゃん! こっちこっちー!」
GINZA PLACEのショーウィンドウには赤色のスカイラインとか言う高級車。その前で手を振る長谷川さんのディオールのドレスも赤。150を切る低身長を8cmのピンヒールで補っており、かつて秋葉のTwin Boxで歌い踊っていたのが嘘のように大人びて見えた。否、25歳ならこれくらい当然なのだろうか。
「お久しぶりです」
「お久~。西永福とか良く分からん地名言うから何時間かかるのかと思ったけど、早かったねー」
「意外と40分くらいで着きました」
今から銀座に来られる? 電話でそう言われた時は困惑したものの、ライブの打ち上げをドタキャンしてまでここに来た。ディオールとミシェルマカロンが並んで歩くこと5分。その間だけでも「絶対に店の名前や写真をSNSに上げないでね!」と3回は忠告された気がする。辿り着いた場所は9階建てのビルだった。
「ちょっと待ってねー」
暗証番号を知る人しか入場を許されないのだが、長谷川さんは慣れた指使いでインターホンのボタンを押し、いとも簡単に自動扉を開ける。壁も床も大理石のエントランスを経て、最新式なのに速度の遅いエレベーターで最上階へ。銀色の看板に『Bar Rencontre』と、聞いたことの無い店名が刻印されている。
「会員制のバーよ。影里ちゃんは私の紹介ってことで入れるから安心して」
長谷川さんはそう言うと、戸惑い躊躇う私の手を引き、もう片方の手で全面漆黒のドアを押した。カランコロンの音と共に眼前に広がる光景は何もかもが新鮮だった。オレンジ色のシャンデリア、色とりどりの洋酒瓶、逆さまのワイングラス。シェーカーをシャカシャカしている口髭と顎髭を生やしたバーテンダーを横目に、賑やかな声が聞こえる奥のVIPルームへ。
「戻りましたー!」
「お帰り長谷川ちゃん。おやおや、若い子もう一人連れてきちゃって」
少なくとも一回り以上は年上の男性が3人、その中で最もイケて見える人だけがこちらに気付いた。語彙力が失われるほどに格好良かった。ビシッと決まったスーツはもちろん、黄金に輝くロレックスにも視線が向いてしまう。
「こちら影里ちゃんです!」
「は、はじめまして。西山影里です。バ、Vamos!っていう、アイドルグループやっています……」
ただでさえ初対面での会話は緊張するのに、相手が格好良い異性だと尚更だった。
「田中丸雅之です。Vamos!は知っているよ。ジワジワと来ているよね」
インターネット放送局、BIOS TVの敏腕プロデューサーも居ることは長谷川さんから事前に聞いていた。ここで気に入られれば念願のソロ仕事を貰えるかもしれない。それに伴いVamos!の知名度も上がり、あわよくばメンバー内人気最下位からも脱出……。元アイドルの長谷川さんも業界人とのコネを作ることで舞台の仕事を増やし、小劇場メインとはいえ女優という本当の夢を叶えている。だからこそ私も意を決して来たのだ。ここまでイケおじだとは思わなかったので結局動揺しているが。
「ライブとか定期的にやっているの?」
「ハイ。今日もやりましたし、来月はZeppで初の単独を……」
「おお凄いじゃーん。頑張ってね」
「ハイ……頑張ります……」
会話が止まった。このままでは自分の強みどころか、名前すら覚えてもらえない可能性もある。
「そう言えば田中丸さん。私、ティラピス始めたんですよ」
10秒もしないうちに長谷川さんが話題を変えた。「ティラピスって何?」「まあヨガみたいなもんですよ。舞台仲間の間で流行っていて」と続く。正しくはピラティスだが、突っ込む余裕なんてあるわけがない。私は盛り上がる二人の会話を聞きながら無言でファジーネーブルを口に運ぶことしか出来なかった。いくら業界人と接触できる貴重な場に招待されたからと言って、チャンスをものに出来るのはコミュ力を持つ者、ひいては陽キャのみなのだ。
「おっはよーございまーす!」
一時間は過ぎただろうか。その挨拶は聞き覚えのある声だった。まさかと思い個室の出入口に目を向けると……。
「明里!? 打ち上げは?」
「途中だったけど来ちゃった。だって田中丸さんに会いたかったんだもーん」
長谷川さんは明里も誘っていたのだ。もうアピールなんて無理でしょ。陽キャ女子が二人も居て勝てるわけが無い。この先の消化試合をどうやり過ごすかに思考を切り替えた。いっそのこと遠慮もやめて高い酒でも頼もうか。
「明里ちゃんもVamos!だよね?」
「ハイ。今日も真ん中で歌いましたよ」
「アレまだやっているの? 『見えそうで見えないアイドル』」
「そうなんですよー。お陰で変なオタクが増えちゃって、特典会に来る人たちヤバイっすよ」
どうやら田中丸さんは以前から明里と顔見知りのようで、二人の会話は花を咲かせ、途切れなかった。
「じゃあグループで一番歌が上手いのは、やっぱり明里ちゃんなの?」
「実はねえ、影里なんですよー」
それは突然だった。ブラックニッカの辛みが喉を襲い、胃も熱くなっていた頃、隣に座る明里がこの場で初めて私の名を発し、左手を私の右肩に置いてきたのだ。
「絢香さんの『にじいろ』で99点出したことがあるんですよ。ね、影里」
「……う、うん」
「へぇ、凄いじゃん。ちょっと歌ってみてよ」
明里のキラーパスに田中丸さんもアシスト、あとは私がシュートを決めるだけ。千載一遇のアピールチャンスは突然到来した。しかし、
「ず、ずみまぜん……飲みずぎぢゃっで、声が……うだえない……」
カベルネ2杯にウィスキーのロックですっかり出来上がってしまった私は呂律も脳も回らなくなり、両手、おでこの順にテーブルへ勢い良くぶつかった。振動でグラスが右にずれ、カランと鳴らす氷の音を耳だけで感じる。そこから先の記憶は無い。
***
何という偶然の巡り合わせか、成人の日がちょうど二十歳の誕生日だった。しかし、あのウイルスが5類に引き下げられる前だったことを理由に、式典にも同窓会にも出席しなかった。本当は同期の誰とも会いたくなかっただけ。代わりに家族3人で写真館に行き、自分のメンバーカラーである緑をベースにした花柄の振袖に着替え、「可愛い」「素敵」「似合っているよ」と口々に褒められる被写体になった。
夜は初めての居酒屋。大人への第一歩は幼少期からの憧れである赤ワインと決めていた。ぶどう果汁なのに辛い、喉から脳まで刺激する熱さ。「美味しい?」と父に聞かれ「良く分からない」と答える私。その後に寄ったカフェで頼んだ銀ジョッキのアイスコーヒーのほうが何倍も美味しかった。
コメダ珈琲店に来る度に、そんな一年前の思い出が蘇る。今日も例外では無かった。安心の銀ジョッキを持つ右手は、しかし震えていた。
『10分ほど遅れます』
SMSの通知が画面上部に表示された。数日前の会員制バーで私が寝てしまっている間、エアドロップで連絡先を交換してくれたらしい。私の鞄から勝手にiPhoneを取り出し、寝顔に向けてロックを解除した明里の行動を責めるつもりは無い。結果的にこうしてあの人と再び会うチャンスを掴んだのだから。
「お疲れーっす。遅れてメンゴ」
田中丸さんはやはりイケおじで、私が酒を苦手だと悟り、この店を選んでくれる優しさも兼ね備えていた。用件を全く知らない私は未だに緊張しているが、先に言わねばならないことがあった。
「せ、先日は、ご迷惑をおかけしてすみませんでした」
「いいっていいって。俺は何もしていないから。それより家まで送ってくれた明里ちゃんに感謝しなよ」
「もちろん彼女にも言いましたし、タクシー代も払いました」
緊張が少しずつ解けてきたところで本題へ。田中丸さんはレザーのビジネスバッグから20枚はあるであろう企画書の束を取り出し、テーブルに置いた。一枚目には極太の創英角ゴシック体で『陽キャになれる島(仮題)』とでかでかと印字されている。
「BIOS TVで無人島企画を立ち上げるんだけど、君を是非キャスティングしたいと思っている」
青天の霹靂。3年間待ち望んでいたソロ仕事。よもや本当の夢への入口。しかし、チャンス到来の喜びよりも疑問のほうが勝っていた。バーでの手応えを微塵も感じなかった私が何故。
「お気持ちは嬉しいのですが、私なんかより明里のほうが向いていると思います」
そもそも田中丸さんと繋がるきっかけをくれたのは長谷川さんで、連絡先を交換できたのは明里のお陰だ。チャンスを逃すのはとても悔しいし、元来の憎しみもまだ僅かに残っているが、ここは彼女に譲るべきだろう。
「いやいや、俺は君にこそ相応しいと思っているんだよ。確かに無人島脱出が表向きのテーマだけど、この番組の真のコンセプトはね……」
右手の人差し指を立てた田中丸さんは口元を緩め、間接照明でも反射するホワイトニングされた歯を見せながらこう続けた。
「陰キャが陽キャになるまでのドキュメントさ」
(つづく)
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