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【6/3~6/9の週記】「幻影の書」ポール・オースター めっちゃ面白い

・劇場版ぼっち・ざ・ろっく。音響が大事だろということで、わざわざ立川シネマシティまで行って観てきた。

入場者特典は虹夏だった。うれしい。

・内容は……まあ普通に総集編なので特に言及することもないけど、普通の総集編なら「それから私たちは練習に励んだ」みたくナレーションが被さるところで、楽曲が流れてきて無声で進行するのが印象的だった。

・ラストはまあ、前後編の劇場版にするならあそこしかないよね、という終わり方。まあ予告編でも何回も見ていた気がするが。ライブでのぼっちちゃんを劇場のでかいスクリーンと音響で観られたのは背中がびりびりと痺れました。

・せっかく立川に来たので一蘭で委員長メニューやってみようかなと思ったら死ぬほど並んでいて諦めた。

・前同じ店舗に来たときは空いてたのに、まさか委員長効果だったのだろうか……(たぶん違う)。

・仕方ないのでラーメンスクエア行って味噌ラーメンを食い、なぜかラーメンスクエアの隣に移転してきていた献血ルームで献血をして帰った。以前の立川献血ルームは地下にあって、なんか変なにおいというか正直おしっこ臭い場所にあったので、こっちの方が断然広くてキレイで良かったですね。

・献血は血液検査の結果をすぐ送ってくれるのが良い。無料健康診断みたいなもん。今朝早くも来ていたので見たら、γ-GTP(酒を飲みすぎると上がる。正常値は30~60とか)だけ100を超えていてあとは正常といういつもの結果だった。

あらすじ
大学教員のジンマーは、飛行機事故で妻子を亡くした失意の最中、偶然見たテレビで無声映画時代の喜劇俳優ヘクター・マンの映像を見て、事故いらい初めて自分が笑ったことを発見する。それをきっかけに彼について調べはじめ、彼が謎の失踪をとげたこと、失われたと思われていたフィルムが近年各地の資料館に匿名で届けられていることを知り、ジンマーは各地をめぐってそれらのフィルムを見るうち、彼についての研究書を執筆することを決心し、その執筆を通じて壊れた自分を再生していくこととなった。
完成した本が出版され、次に得た翻訳の仕事に没頭していたジンマーのもとに、驚くべき手紙が届く。ヘクター・マンは生きており、ぜひ会いたいというのである。簡単に信じる気にはなれないと返事をすると、一ヶ月後彼の家に突然アルマという女性が現れ、自分に同行してヘクターに会いにきてくれという。偶然の疲労と混乱からアルマと言い争いになり、危うく命まで落としかけるうちに二人は互いの精神を通じ合わせ、一夜を同じベッドで過ごしたのち特別な親密さで翌朝ヘクターの家へと向かう。その道々で聞かされたヘクターの失踪後は、自分の無思慮でひとりの女を死なせてしまい、罪から逃れながらも自分を罰し続けた男の人生であった……。

・そしてこれ。ポール・オースターってめちゃくちゃ面白いんだな……。

・オースターは最初に「ガラスの街」を読んであんまりピンと来ず「難解どすなあ」ぐらいの感想で、次に読んだ「ムーン・パレス」はぶっ飛ぶぐらい面白かったものの、オースター自信が『ムーン・パレスは自分が書いた唯一のコメディだ』みたいなことを書いていたとかなんとか聞いたので「じゃあムーン・パレスは例外なんだな」と思ってその後読んでなかったのだが、最近亡くなったとのことで手に取ったこの「幻影の書」がすごい凄かったので、「やっぱりオースター面白いんかい!」ってなってる。

・↑なんて中身がないうえにわかりづらい文章なんだ。これいる? いらないね。

・ムーン・パレスでもそうだったけれど、絶望と似ているけどちょっと違うような、「唐突に世界が変質する瞬間」みたいのを描く文章の凄みがすごい。以下はなんか知らん街に行って道を聞いたんだけど真逆に進んじゃって、だいぶ行ったあとでそのことに気づいた、っていう直後のシーンからの引用。

来た道を戻っていこうと、ヘクターは回れ右した。そして、回ったその瞬間、アルマによれば、彼は無の感覚に襲われた。それはこの上なく深い、激しい疲労感だった。その場に倒れてしまわぬよう、建物の壁に寄りかからねばならぬほどだった。ひどく冷たい風がエリー湖の方から吹いてきていて、その風が顔に叩きつけるのを感じるさなかにも、風が現実なのか、自分が想像したものかもわからなかった。いまが何月か、何年かもわからなかった。自分の名前も思い出せなかった。煉瓦と敷石、目の前の空気中に吹き出ていく自分の息、隅っこでぶざまに跳ねて視界から消えていく三本脚の犬。それが彼自身の死の図柄だったこと、荒れはてた魂の肖像だったことにヘクターはのち思いあたった。気を取り直してふたたび歩き出したずっとあとも、彼のなかのどこか一部がまだそこに、オハイオ州サンダスキーの空っぽの街路に立って、己の生が自分から流れ出ていくなかで何とか息をしようとあがいていた。

幻影の書/柴田元幸訳

・「気を取り直してふたたび歩き出したずっとあとも、彼のなかのどこか一部がまだそこに、オハイオ州サンダスキーの空っぽの街路に立って、己の生が自分から流れ出ていくなかで何とか息をしようとあがいていた。」良いよなあ。確かに自分の一部が流れ出していって、まだそこにいてあがいているような過去の瞬間ってある気がする。

・ここでオースターが書いているような人間の苦悩について、以前から共感を持って読んでいたけれど、鬱的な精神の病を患ってから、よりこういう心情が理解しやすくなった気がする。そういう風に考えると病んだ経験も悪くはなかったというか、自分を見つめなおすのに必要なことだったのだと考えるようにしている。

・ストーリーとしてはけっこうものすごい偶然というか、見ようによってはご都合主義みたいな展開がわりと連続するのだけれど、そのストーリー自体というよりは、それぞれの出来事によって翻弄される登場人物の心の至る先、みたいな部分が最高に面白い。また他のオースター作品も読んでみようと思う。

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