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【幸】幸せの姿かたちを考えてみる

ウバといいます。
訪ねていただきありがとうございます。



時計を見たとき、ゾロ目だったら嬉しい。11時11分とか最高だ。更に秒数まで狙えそうなら狙っていく。11時11分11秒にジャンプとかする。

「おいは11時11分11秒に地球にいなかったんだぜ」とかいってはしゃいだりする。職場でもしてしまうので、見られないようにしている。

こんなことを、わたしは"小さな幸せ"とよんだりする。たまたま時計を見て、たまたま数字が揃ってただけで幸せなのだ。

この小さな幸せってのは、ほかにもたくさんある。お菓子でアタリを引いたり、卵を割ったら黄身が2つだったり。読みたかった本を、ブックオフで安く見つけた時なんかもそうだ。

わたしは、これらを小さな幸せと書いたが、幸せに形があることなんて知らない。大きさがあることも知らないし、もしかしたら重さもあるかもしれない。

そんなことをまったく知らないくせに、わたしは小さな幸せとよんでいる。

小さな幸せがあるのなら、大きな幸せもあるだろう。たとえば子供が生まれたときは、まさに最大の幸せを感じた。嫁さんがプロポーズを受け入れてくれた時なんかも、まさに大きな幸せだったと思う。

宝くじが当たったらどうだろうか。数億円が当選したら、間違いなく大きな幸せだ。と、なるとだ。数億円と子どもの価値が同じってことなのか?嫁さんも?それは違うだろう。

どうやら大きな幸せの中にも、サイズの違いがあるようだ。中くらいの幸せとかもあるのかもしれない。中くらい……風呂上がりのビールとか?

仮に幸せに大きさがあるとしたら、大きな幸せとはそう簡単には出会えない気がする。まいにち子供は産まれないし、まいにちプロポーズもしない。

小さな幸せが、日々の生活を幸せにしているのかもしれない。ゾロ目の時間やお菓子のアタリ。欲しかった本を見つけたり、好きな人と街でばったり会ったり。そんな小さな幸せが日々を支えてるのである。

と、偉そうに書いたが。そもそも幸せに大きさも形もないのである。どんな幸せも、大小なく自分を満たしてくれているのだ。

どんなことにも喜ぶ姿勢で生きていきたいものだ。どんどん感謝していこう……。



いやあね、書き出したのはいいのだがオチが見つからん。なんとなく書きたい事はあったし、伝えたい!と思って書き出したのだが、迷子になったのです。

それでも消したくなかったから出してみた。書けなくても書かなくても、誰からも怒られないのにね。昨日の自分には怒られそうですが。

よし、おわり!


ここまで読んでいただきありがとうございます。
幸せのかたちは、人それぞれですよね

それでは、佐世保の隅っこからウバでした。





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