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踏み出す勇気と、踏ん張る勇気


#一歩踏みだした先に

人生を変えるほどの大きな一歩なんて、あまりない。
ほんの少しの0.001歩の積み重ねが、最終的に一歩になっているものだ。
また、一歩踏み出すのと同時に、一歩を何度も踏ん張る、踏み留まる力が必要だと思う。

私には忘れられない景色がある。
あれほどの感動を与えたことも、与えられたこともない。また、これからの人生で、あれほどの「いい時間」を過ごすことはないのではないか。

私は、ラクロスというスポーツで大学の全国大会決勝の舞台に立っていた。
フィールドから観客に手を振り、応援を背に、ただラクロスというスポーツに没頭していた私。
しかし、今の私からは、ただスポーツをしているだけの過去の自分なのに、眩しくて仕方がない。あの瞬間を人生で味わっていた私が羨ましく感じたし、誇りに感じた。
そこで初めて、あの瞬間を味わうに至った、最初のきっかけを考えてみた。

 始まりは、高校生か。人一倍負けず嫌いだった私は、部活動の体験入部の際、既に入部を決めている友達に遅れをとるのが悔しくて、その場で入部を決めた。0.001歩。
 いや、これより前の重要なエピソードがある。私がそもそも高校で運動部を選択できたのは、中学校で運動部に入っていたからだ。厳密には、中学校で運動部に転部したからだ。もともとは文化部だった姉の背中を追って、同じ部活に入っていた。あの日々は苦痛だった。一生懸命やっていても、覇気がなく、面白くなくて、生きている実感のようなものがなかった。その時の私は、「姉に前ならへ」「他と違うことはしない」「一度始めたことはやめない」それが幸せに生きるコツだと教わっていた。でも教室から毎日のように運動部のみんなを見ていた。「私ここじゃないかも」気づいた時には運動部に入っていた。これは我ながら、0.5歩くらいの踏み出しだと認めたい。それからというもの、毎日が楽しくて、生活に色がついた。大人になった今、私が姉と似ているのは「顔」くらいで、すべての性格が真逆だったと気づき、姉と笑った。

◎心躍るほうが、自分の行くべき道。踏み出した先にあなたの人生がある。
これは一歩踏み出した例だったが、話を戻し、ラクロス部に入ってからの話がしたい。
この時の私は、全国大会の舞台を見ていたわけもなく、ただがむしゃらに練習を繰り返し、0.001歩に満たない日々を繰り返した。
 ハプニングはたくさん起こった。怪我をして手術もしたし、先輩と揉めたし、きつくて吐いたし、仲間もたくさんやめた。今は一文で終わるこれらの出来事も、あの時の私には、大きすぎる出来事だったし、苦しんだのを覚えている。そして、何度も他の道への一歩を踏み出しかけた。そこで踏ん張る意味が分からなくて、迷った。学生生活の楽しみなど他に幾つもあると知っていた。でも、今方向転換するための0.001歩は、楽になりたいための一歩だと、その時の私は気づいていた。なぜか踏ん張った。逃げたくなかった。だから数年後、あの舞台が私を待っていた。私はいよいよ逃げの一歩を0.001歩も踏み出すことなく、学生生活最後の瞬間を迎えたのだ。
よくやった自分。

◎踏ん張るべき一歩は、自分で分かるはず。
その踏ん張りの先には、必ず思った以上の景色がある。
 
まだまだ未熟な私の人生ながら、ここまでの人生をかけて学んだことは、
これがすべて。
人には向き不向きがあり、心躍ることは人それぞれ。最初から向いているものが手に入っていたり、目標としているものが正解である可能性は低い。その時は思い切って、一歩を踏み出して欲しい。その正解は意外と自分以外にはわからないことが多いから。
 そして、一歩踏み出して目標に向かい出すと、必ず壁がある。しかし自分の心躍る道からの脱出は慎重にしてほしい。踏ん張った先の景色をどうか味わってみて下さい。
 

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