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令和6年4月25日

この日はお葬式。
前日泊まりだった父親が叔父と交代し帰宅。

そのあと、家族4人で会場へ向かう予定だ。

9時半、少し早めに会場へ向かう。
すっかり忘れていたが、祖母へのメッセージを書いていなかった💦

正直、私は思い出もない。
唯一、祖母が飼っていたプードルの散歩にいったこと。
あとは、下関のアパートで2人でババ抜きなんぞした。

小さい頃、下関に住んでおりよく祖母が来ていた。
狭いアパートによく来ていたものだ。
その記憶しかないのだ。

叔父の息子、長男が1番手でメッセージを書いた。
一緒に住んでいたのだから1番思い出もあるだろう。

長いメッセージ。
いやいや、こんな書けないわ😵

続いて私が書こうとするもなかなけ思い浮かばないため、下の従姉妹が先に書き、続いて妹。そして私。
叔母の娘の次女は日本におらず出席出来なかったため、最後に叔父の次男と長女がメッセージを書いた。

それを最初はお観に入れると言っていたのに、コピーしてコピーを一緒にとっておくと言い出す。

色紙はお葬式のあとお花と一緒にいれた。

初七日も一緒に執り行い、今度は火葬場へ向かう。

父親が長男のため喪主。
そして母親も一緒に霊柩車に乗った。

私は妹と一緒に火葬場へ向かう。

叔父や叔母が先に出て、ほかの親戚が続く。
そして孫がそれぞれ続く。

火葬場につき、最後のお焼香。
そしてお見送り。

その間にお昼ご飯を食べる。

火葬が終わり、お骨をひらう。

最後に喪主である父親がお骨を、母親が写真を、私が札を自宅に持って帰る。

運転手は妹だ🚗³₃

無事に帰宅🏠

そのあと、祖母のひな壇を作りに葬儀の方がくる。

一通りの作業をしてもらい、お葬式は無事に終了した。

和室に祖母のひな壇。

この日は、夜ご飯を食べたあと私はリビングの横に布団を敷き眠ることとなる。

夜中に母親が、ゴソゴソ。
リビングの片付けを夜中にする。

そんな寝れない日がこの日から帰省するまで続くのである。

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