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なにかに熱中して打ち込みたい人へ


輝かしい学生時代か、オタクな学生時代か

部活や勉強。熱中して打ち込んだ青春

学生時代は、熱中して打ち込めるものがあった。
部活か勉強か。そもそも強制参加だったり、あるいは同調圧力で、多くの人が早朝や土日にひたすら部活動に打ち込んだり、あるいはひたすら勉強に打ち込んでいた。
学校には、何かに熱心に打ち込むことができる環境があった。

しかし社会人になると、あれほど熱中していた活動が途絶える。
毎日のように部活に励んでいた野球少年は、社会人になって、休みの日に草野球をするかもしれないが、同じ熱量で野球は続けないだろう。
勉強に打ち込んでいた人は、試験や受験が無くなってからも、同じ熱量で勉強し続けるだろうか。

新たな熱中して打ち込めるものに出会う、社会人

そして社会人になって、毎日同じルーティーンをこなすうちに、ふと、ひたすら頑張っていた学生時代を思い出し、あの頃の自分は輝いていたと感じる。

そんな矢先に、魅力的なマルチビジネスの話を持ちかけられる。素晴らしい思想を持った新興宗教と出会う。そして、ズルズルとのめり込んでいってしまうのだ。

ようやく彼らは、新たな熱中して打ち込めるもの=マルチ、宗教等に出会うことができたのだ。

今も昔も変わらないオタク

その一方で、オタク趣味は学生時代から社会人に至るまで、ずっと続けられる。いやむしろ、社会人になって経済的な余裕が生まれれば、より一層夢中になって打ち込めるかもしれない。

既に推しがいる状態で、新たな教祖は必要ない。

熱中して打ち込むことの幸福感

なにかに熱中したいが、なにに熱中すれば良いのかわからない。と思っている人が新興宗教やらマルチの活動と出会い、どんどんその活動にのめり込んでいく。という説に異を唱えたい。

なぜならば、今まで何かに熱中したことがない人は、そもそも何かに熱中して打ち込むことの幸福感や充実感を知らないのだ。

現在進行系で熱中して打ち込んでいるオタクと、人生で一度も熱中して打ち込む経験をしたことがない人と、かつて熱中して打ち込んでいたが今は失ってしまった人。
果たして、怪しい活動にのめり込みやすいのは誰だろうか?

能動的に動くことの幸福感

現代は、リアルでもネットでも好きなだけエンターテインメントがある。無料でアニメも漫画もゲームも映画も楽しめる時代だ。旅行にも行きやすくなったし、美味しいものもいくらでもある。

しかし、ただサービスを消費するだけの、

受動的な人生は、つまらない

素晴らしい作品を鑑賞するのも楽しいが、作品そのものを創り上げる喜びには代えがたい。やっぱり、人は何かを創ったり、学んだり、戦いに勝利することが、楽しいのだ。

余談だが、旅行は受動的なサービスの消費である。しかし、旅をしていると、自ら人生を切り拓いているように感じてしまう。受動的な行動なのに、まるで能動的に動いているかのように錯覚してしまうからこそ、旅行は人気のコンテンツなのだ。

創造的なオタク活動

アニメを見るだけ、電車に乗るだけ、アイドルに会うだけ。

一見するとオタク活動は、受動的にサービスを消費するだけのように見える。しかし、ブログで感想や考察を発信したり、二次創作を創ったり、電車の旅行記を書いたり、創作活動につなげているオタクは多いのだ。

自分はどう生きるのか

ここまで色々と書いてきたが、じゃあ、自分はどう生きるのか。

自分は鉄道オタクである。しかしオタクだったのは中学生の頃がピークで、今はかろうじて細々と続けている状態だ。
部活は文化部、勉強は平均くらいだった。部活や勉強に打ち込む学生時代は送ってこなかった。
しかし、高校生の時にキャンプ合宿の運営活動というものに取り組んでいた。その活動を通して、熱心に打ち込むことの充実感と、能動的に動くことの楽しさを知ってしまった。

オタクでありつつ、オタクを半分やめている。勉強や部活に打ち込むことはなかったが、何かに熱心に打ち込んだ経験のある。
それが私だ。

バランス感覚を持って

自分の特徴は、この二面性にあると思っている。客観的に物事を捉えたり、夢中になるよりも傍観することの方が多い。
迷惑な撮り鉄にならずに、鉄道も楽しむことができる旅人でありたい。

日常生活では、受動的にサービスを消費することが大半だろう。しかし、たまには能動的に動きたい。ささやかながらも、何かを創りたい。例えば、今こうやって文章を書いているように。

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