家帰ったら誰かいればいいのに
自分は人と一緒に住めると思いますか?
最近心境の変化があったので記事にしようと思います。
朝からもう「帰る」話かーい!……ってね(笑)
本日のご挨拶
おはようございます雪猫なえです。
今日はどういうわけかやけに外界が静かで、「え、今日普通の日だよね?」ってちょっと怖くなりました。
最近飛ばしすぎでガス欠になっている気がします。別記事で書きますが、エンジンが止まりそうなことを自覚していても突っ走ってしまうのが雪猫の悪い癖です。誰か止めてくれる人が側にいれば良いのでしょうか、でも変なところ頑固なので、止まる気がしないんですよね……。(おい)
夜にしっかり活動できないまま寝てしまうと、翌日にやりたいことが山盛りてんこ盛りになってしまうので慌ただしい朝を送ることになります。今日がそうです(苦笑)一気に片付けようとして更にダッシュかます悪循環に陥ります。
自分で詰め込んで自分の首絞めてるんだから本当にどうしうようもない奴ですよね。
理由1は恋愛色、理由2は恋愛:友人(対人)=5:5、理由3は個人話です。
反同棲派
同棲って、憧れますか?
雪猫は、長い間しなくてもいい、むしろしたくない派閥でした。シェアハウスも同様です。誰であっても、多分一緒にいすぎると苦痛かなと。
でもここ最近どういう風の吹き回しかっていう心境の変化がありまして。同棲したいなー、とか思い始めたんですよ。
理由1:今好きな人が結構ドライだから
放置されると悲しいというか雪猫は全然重くてもウェルカムな人間なので、ほっぽかれるとちょっと寂しいんですよね。それは、自分の忙しさに関係なくです。
たしかに忙しいと考える暇が少なくなるので、「耐える」感覚が軽減されますが、「平気」とは微々たる差かもしれませんが別物ですよね。
結果的に「平気」になっているだけであって根本的に「平気」なわけではないですよね。(面倒くさいやっちゃ)
なのですが、例えばイチャラブな二人の状態で同棲したら、密度が高そうでそのうち窮屈になりそうな気もするんです。(あくまで雪猫の感覚・個人のケースですよ)
でも、今好きな人はそういうタイプではないので、一緒に住んでデフォルトで一緒にいるくらいが丁度いうのかもしれない、と思わなくもないって発想です(笑)
理由2:レアリティを下げることによる精神的安定
これが一番大きい理由かもしれません。
恋愛しているときの懸念要素の一つとして、「次いつ会えるかな」とか「いつ話せるかな」とかがあるわけです。
そこには「レア度」があります。なので、限られた「会える時間」「話せる時間」でタスクをこなさなければいけないという「ミッション」が生じてしまいます。
そこで思ったのが同棲でした。帰って(ほとんど)いつでもいてくれる安心感は計り知れないかぁと思ったんですよね。いつでも話せる・切り出せる・会えるって思ったら、焦燥感がないかもしれない。そうしたら心に余裕ができるから安定するかもしれない。ゆとりがあるとメリットが沢山あることは明白ですよね。
「そういうことを考えてしまう恋愛ってそもそもどうなの?」という声はちょっと置いておいて……。大抵こういう思考になるので、相手が誰であっても。なんあら友人でもなったりするので「性分」ということで片付けましょう……。
理由3:自分のキャパと性質の新発見
最近有り難いことに人と一緒にいる時間が増えました。
そこで感じたのは、「たしかにサービス精神旺盛にしてしまいはするけれど、さほど苦痛ではないな」ということでした。もっと一人時間を確保しないとやっていられない体かと思っていました。
でも案外行けそうなんですよ。
なんならここ最近で自分が思ったよりも寂しがり屋だということを痛感しました(苦笑)まーじか。
終わり
いやぁ変化って実際ありますよね。この一年は変化が特にめざましくて、2022年は雪猫にとって変革の年だったと言っています。(まだ終わっていないけど)
来年はこうはいかないでしょうね、と思ってしまうのはねがネガティブだからでしょうか(笑)まぁ、変革続きじゃちょっと刺激多過ぎちゃうでしょうしね。
それでは今日はこの辺で。また。
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