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これだから、他人の好きに触れるのは怖い~趣味~

同じ趣味、雪猫が今回書く記事では絵描きのことを指しますね。

以前、同じ趣味の仲間は要らないかなぁ……という記事を書いたので、それに付随するものみたいですね。
↓↓↓前回の記事はこちら↓↓↓



本日のご挨拶

おはようございます雪猫なえです。
……いや、やっぱり午前10時って挨拶ちょっと困るというか迷うというかそんな感じですね?え、あれ雪猫だけでしょうか?

今日はちょっとおめかし気味で出てきています。デートだとか会合だとかそういうわけではないのですが、ちょっと人との交流があるのできちんとしてみました。

筆が乗らない。

思えば今朝は起きてからずっと頭も回っていないです。モーニングページの捗らなかったこと……。全然言葉が出てこなくって、手を動かすのも結構面倒くさいくらいの生気が抜けていました。
リズムゲームで頭空っぽにしたので尚更今活動停止直前です。

でも、この麻痺って良い効果もあって、人目がどうでも良くなるので、これに便乗して今日は一人色々巡ってこようと思います。
(もちろん一緒に言ってくれる人がいたらめちゃ嬉しい)
(決して一人で回りたいわけではないのです……)
(でも今日は友達が予定埋まっちゃってるので……雪猫は一人で頑張ってきます)

昨晩は、前日の朝イチでnoteの記事を書いていたのになんやかんやしていたら翌晩の日付変わる直前まで寝かせてしまって危なかったです。
なので、外出予定のある今日はまずnoteを書いてしまおうと思ったわけです!!(はいはい)



漫画を描く人と一緒にいる

同じく漫画・イラストを描く人と一緒にいるとざわざわします。まぁ簡単に言ってしまえば焦燥感や嫉妬や落胆を味わうので。

もともと人と競って磨き合うタイプではないのです。なので、自分より上手い人を見て「すげぇえ!うちもこんな風に描けるように頑張ろう!」って向上心まで昇華できないんです……。そういう人を尊敬します、心の底から。

ノウハウの共有なんて、たとえ自分の財産になるとしてもしたくないですし、なんだかんだ言われたくないです。作品の感想なら聞きたいですが、下手なのはわかりきっているので少しのアドバイスも聞きたくないんです。

プライド(?)が高いと本当に嫌な奴ですよね。こういう奴は勝手に堕落していくので放置してやって下さい(苦笑)

自分で心底「上手くなりたい!」と思ったら初めてそこで自力で動くので、求めていないうちは何も言わないで「頑張ったねぇ」だけ欲しいです。
我が儘ですが、それが本心です。



「自分の絵アレルギー」

「自分の作品を見られない」「恥ずかしい」という声を周囲でよく耳にします。これに共感できないんです。

自分の作品はたしかに上手くはないけれど、愛着はあるし自分なりに頑張って描いたものなので貶されたり無下にされたら腹が立ちます、悲しくなります。

ナルシストを自覚した上で言いますが、私は自分の作品が好きです。
誰に何と言われても、自分が読む分には面白いし胸躍ります。それが、全キャラクターのバックグラウンドを全部把握済みだからだとか、自分のエゴを詰め込んでいるからだとか、何とでも言え、と思います。だからどうした。
自分のために書いているんだ、自己満足で終わって悪いことあるか、って感じです。

すみません、売られてもいない喧嘩を買いました……。何か鬱憤溜まっているんでしょうか。(自己把握どこいった)

だから自分の作品は何年経っても見返すし全然読むし、なんならそれで創作意欲が湧いてきます。
……一定数はいらっしゃると思うんですけどね、自分の作品大好きマン。

私の周りは、「結構いるはずの人」が少ないことがしばしばあります。



これだから人の「好き」の領域は怖い

こんな風に、私が「私の領域」に変なプライドが凝り固まっているせいで、他人の「好き」に触れることが怖いんです。

要するに、「地雷」を踏みそうで戦々恐々としてしまいます。

だってきっと、無害と思っているのは自分だけで、私が趣味領域に関しては地雷原だから。



でも解ってほしいという矛盾

でも、それでも「全く触れんな、来んな、触んな、あっち行け」って感じかと言われると別にそういうことでもないんですよね。

仲良い子に趣味を理解されなかった、「あー、まぁ、そっか」と思いつつもちょっとは悲しいかもしれないですし。
(それは、趣味を認めてくれたり肯定してくれたりしたときの嬉しさから逆算して考えれば明らかだなと感じます)

親に趣味を理解されなかったら、(個人差はあれど)それこそ結構な傷になるものだということは、幼少期に学習しました。
ちっちゃい頃は特に、認めて貰えないと道具揃えやできる時間帯・場所に制限がかかっちゃいますしね。白昼堂々とできる環境は、恵まれている証拠だと思います。



大事にしたいから、腫れ物に触るようにしかできない

大切にしたい人、失いたくない人がいます。そういう人とこそ、「好きなもの」の話をするのが怖いです。

無意識のうちに相手を傷つけてしまいそうで。それが取り返しの付かない傷になってしまいそうで。後から修復不可能な代物になってしまいそうで。

そういう風に、ガラスでできた置物を触るように、ティッシュで形成された折り鶴に触れるように、そっと撫でたり丸ごと持ち上げる程度のことしかできなくなります。
反対意見を述べたり自分の意見や感想を介入させる行為は、少なくとも雪猫にとって怖すぎて。疑問の一つもぶつけられず、その人が言うことを丸ごと飲み込んで、肯定して、オウム返しするのがやっとなんです。

何も深まらないっていう代償付きで、その人との仲が壊れることないという利益が返ってきます。
いや、「返還・還元」ではなく「不変・不動」と言った方が正しいかもしれませんが。
それでも失ったり壊れたりするよりはマシだと、そう思ってしまうのも事実なんです。だって、修復できるだけの力量が自分にあるとは到底思えません。それくらい、「好き」って大事なものだと思うんです。



重かったがちゃんと終わります

なんだか久しぶりにすっきり書けた気がします。

ここ最近の記事はなんだかイマイチで。(そんなことを言ったら「スキ」してくれた方々に失礼ですが)
手を抜いたとか嘘をついたとかそういうことではないのですが、その、「上手く言えなかったなぁ」とか「これで伝わるか……?」が多かったんですよね。
なので、「スキ」しいてもらって安堵もしていました。感謝感謝です。


員の「好き」が可能な限り大事にされますように。



それでは今日はこの辺で。また。

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