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クリエイティブとお仕事

皆さんは、ご自身のご職業をどのように自己決定したのでしょうか。
今日は、そんなお話です。



本日のご挨拶

お久しぶりです、雪猫なえです。長らくこのアカウントを休んでおりました。特段深い事情はありません。
この度、どうしても書き出したい内容が出てきたので、このアカウントで書いてみることにしました。現時点でどのように着地するかも、書ききって公開することができるのかもわかりませんが、とりあえず筆と話を進めます。


クリエイティブ

「クリエイティブ」と聞いて、あなた様はどのような印象を受けるでしょうか。

憧れでしょうか。
全く縁もゆかりもないような分野でしょうか。
違う世界の話でしょうか。
焦燥感でしょうか。
かつての夢でしょうか。
現在の嫉妬でしょうか。
上のいずれでもない方ももちろんいらっしゃることでしょう。

雪猫なえにとって、創作というものは幼い頃から身近なものでした。絵を描くことも、文章を書くことも、工作をすることも、鑑賞して心で感じることも。

「クリエイター」と言う言葉が普及してもうどれくらいなのでしょうか。雪猫は長い月日を生きてきたわけでもないですし、歴史に聡いわけでもないので詳しくはわかりませんが、少し前からこの言葉が強い光を持って世の中に浸透していると感じています。
もちろん、世代にまたは分野によっては「つい最近のこと」と捉えられるかもしれませんが。



創作意欲と幼少期

そんな創作が好きな子供だった雪猫ですが、家族、特に母親はそこに対していい顔をしなかった記憶があります。もちろん全てを否定されたわけではありません。作品を褒めてくれたこともあったでしょうし、頑張れと激励してくれたこともあったでしょう。

でも、雪猫の記憶と心に体感として残っているものは、もっぱら「抑圧」です。

母は、心配性と現実的な性格故に、勉強を重視する親でした。今でもそうでしょう。それが悪いなんて言いませんし、それが普通だとも思います。大抵の親はそうなるでしょう。そしてそれが悪ということでもないでしょう。

漫画を描いているよりも、勉強やお稽古に励んでいた方がいい顔をしてもらえる。母が喜んでくれる。褒めてくれる。
反対に、作品に対しては(子供の作品に対して大人げないとも思うのですが)「うーん」という顔をしたり、批評や批判をしたり、指摘されたり、あまり興味を示してくれなかった気がします。(いい意味で厳しいと言えばいいのでしょうか笑)

鮮明に覚えている思い出があります。英検が近づく秋か冬でした。(英検って例年同じ時期に開催されるはずなので調べれば季節はわかるんですけどちょっと検索をサボります苦笑)

試験が近づく中、雪猫はインフルエンザ(だったはず)にかかってしまったんです。体も怠いし咳も熱もありました。

そして、英検と同時に、漫画の投稿締切も迫っていたんです。
プロでもなんでもないいち小学生です。客観的に見てどうでもいいイベントと言えるでしょう。締め切りが過ぎたら次の締切に応募すればいいだけです。原稿を落とすなんて土俵にそもそもいないのですから。
でも、当の本人からすれば、真剣で重要なイベントです。それに、上の理由で締切を軽んじるマインドそれ自体もう「いけないこと」なわけです。

休むべき中で原稿をいそいそと作っていました。そんな姿を見て、そして雪猫が「原稿が締め切りに間に合わない」という発言を聞いて、母が激しく怒ったんです。

「何言ってんの!あんた馬鹿じゃないの!?」

叫ばれたときのあの声とその調子、母の顔と台詞は今でも鮮明に覚えています。そして当時肩が跳ね上がったときのあのショックもはっきりと。
その一見で、号泣しながら雪猫には刻まれたんです。「母が自分の創作活動を認めてくれることはないし、自分にはきっとそんな道ないんだ。」と。
たかだか小学生、そのくらいの時期に既に閉ざされる道なんてないじゃないですか(経済的理由は話が変わってきますが)。諦めるには早すぎる、と言ったところです。でも、そこで途切れたと思った道を何も考えずに進むことは、雪猫はできなかったんです。

そんな環境で、折々に「才能が全て」「そういう職業は選ばれた人にしかなれない」「ほんの一握りだから自分には無理」「実直に勉強して地に足付けて生きなさい」と擦りこまれ(?)教育されてきた雪猫の将来図には、「仕事=楽しいもの」という図式も「仕事で好きなことをする」という図式もなかったんです。

仕事は辛くて苦しくて、なくて嬉しい学校のような立ち位置で、「クリエイター」として働く未来なんて雪猫には来ないんだ。そう思ってここまで生きてきました。
デザイナーも作家も、専門的な指導を受けて、それでやっとお金を貰えて、クリエイティブな職業なんて、プロ並みの技術じゃないとできなくて、クリエイティブを生かせる機会なんてほぼほぼなくて。
雪猫のそれは全く役に立たない代物だし、今から勉強して仕事にできる次元のものではない。そう思って生きてきたんです。

羨ましいと思いながら。
でも、好きを仕事にするのは苦しいから、と内心で言って。雪猫には華やかな将来も第一希望が叶う人生もないんだってそう思って生きてきたんです。

なのに。「なのに」なんて言っていることが甘いとわかっていてもやっぱり思ってしまうものは思ってしまいますし、「私はこんなに我慢しているのに」なんて傲慢で自分勝手な怒りを感じるんです。
そんな自分がすごく嫌で、人生を降りたくもなります。そんな勇気もないんですけど。

今ここから頑張れば、というのもわかりますが、ここまで来てしまった以上、まずは就職をすることが最優先で、好きなことうんぬんかんぬんは、きっと後生です。もしくはやっぱりそんなもの叶わずに死ぬんです。



周囲の人間

今現在、雪猫の近しい人がクリエイト作業をしています。しかもそれを就職に生かすかもしれません。

正直に言って、雪猫は今現在非常に辛い思いをしています。

今日は、今日の記事は、ただただこれが書きたかったんだと思います。今、自分で思っているより、下手をすると自分で感じているよりも、結構深刻に辛いです。

決して、決して「その人が不幸になればいい」とか「大嫌いだ」とかそういうことではないのに、素直に応援できない自分がいるんです。そんな自分も嫌で嫌で。

そんなことを思って目の前の人を眩しく楽しそうだと思う複雑な気持ちと葛藤して今日も勉強をしています。



仕事が逃げ場になるかもしれない なってくれたら

これから先、就職が待っています。仕事は、その近しい人とは完全に分離した領域で、自分に対する評価が良くも悪くも正直に返ってくると思っています。

そこが、むしろ逃げ場になるかもしれないなんて思った今日です。

雪猫のことを認めてくれる人がいると実感できるかもしれない。
自分のことを卑下しなくて済むようになるかもしれない。
クリエイトにこだわらずに楽になれるかもしれない。
そんな思いがあります。

もちろん上のことは、今後を長い目で見たときの希望です。新卒なんて大抵使い物にならないことくらい、この情報社会では嫌でも見聞きします。自分がそんな大層な人間だとも思いません。最初はきっと人並みに何もできないで凹むことになるんでしょう。その先の話です。



終わります

今日も自分勝手な内心を綴りました。お付き合い頂いた方ありがとうございます。何にがんじがらめになっているのか、自分でもわかりませんし、誰に認めてほしいのかも、どうすれば自分が満足するのかも、もはやわからなくて困っています。どうしてこうなったんでしょうか。

それでは今日はこの辺で。また。

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