親は子供に齧り付きで監視しなくても大丈夫

と親になったこともなる気もない人間が言ってみる


今日の話はちょっと私のお気持ち成分が強過ぎるので、人によってはダメかも


最近つぶやきに関連する話で、親が逐一自分の見聞きするコンテンツや飲食物に反応して良し悪しの評価を昔からベタベタつけてくるタイプだったんだけど(親ってひょっとしてみんなそうなのかな?)、殊馬鹿にする時は態度も言葉もめちゃくちゃに尽くす性質だった。

もうそんなコンテンツにハマる人間性そのものが愚かで、そんなコンテンツが好きだから頭が悪くなって品性も落ちる、みたいな物言いをよくされたんですよ。
今思うとそんなことする人間の方がよっぽど品性地に堕ちてねえか?って笑

幼稚園小学生くらいの頃の親、特に専業主婦で幼稚園から大学までエスカレーターの学校でママ友会とかやるタイプの親って共働き親よりもまず物理的に干渉時間長いんですよね。で、こちらとしても悲しいかな「こいつの気に障ったらおしまい」的なところがあって(自分が子供の頃はタッパや機動力の問題もあって暴力行使されたら勝てないところも含んでた、現時点は当然その限りではない)、マイナス意見に関しては結構それなりに敏感でした。
大人になってから聞いた感じ、本人は全く記憶になさそうだったので「被害者は忘れず加害者は忘れる」の法則はちゃんと機能しているみたいです。

で、その時期にもう自分がハマってるジャンルが片っ端から馬鹿にされた。
普通に大手レコードグループからデビューしているJ-POPは私が何を聴いていても「陳腐」「音楽性が低い」「〇〇(←過去デビュー済みのアーティストや音楽ジャンル)の失敗オマージュ」…と、この辺はあくまでも一例です。
中学生頃に電波系に奔った原因はここにもあるかもしれないな…親が全く知らないジャンルだったらそうやって強引に断じられることはないだろう、と安全地帯を求めた結果なのかも。反発心じゃなくて逃避心から異端の道を行くという…私の人生の多く、逃げがベースになりがち。

少女漫画も従姉妹が置いていったものを読んでいたら「デッサンが終わってる」「目がデカ過ぎ」「浅いストーリー」「総じて平面的」…途中からコロコロやジャンプに奔ったのもまた一つの逃避だったかもしれない。
その後も飽きもせず「少年漫画は絵が汚い」「粗野」。
主語がデカいんじゃなくて目的語がデカい、私が知らないだけでコイツが神だった可能性ももしかしたらあったかもしれない。

こんな状況見たら「親の目につかないところで楽しめばよかったじゃん」と言われるかもしれないけど、私の親は「何かにつけて鞄や引き出しの中を漁るのが大好き」なタイプで…こちらの何もかもを把握してないと気が済まないタチでした。お陰でネットが発達してからは色々と助かりました、履歴やCookie削除するだけで証拠隠滅できますから。
ネット発達以前の過干渉毒親持ち、マジでどうサヴァイヴしてきたんだろう。
偉人じゃん。


と、ここまでは単なる前段で、問題はここから後。
その1。育成過程でこういった干渉を含んだまま大人になると、

自ら確信を持った判断を行うことが難しくなる

という弊害が生じる。(これが他責思考だと思った人はもうブロックしてください、私のためにもあなたのためにも)

一人で、下手すれば友達と、何かを見に行ったり食べたりしても親の顔がチラつく。美味しいと思って食べてるものに対し脳内で「風味が〜」「重厚感が〜」「安っぽい」とダメ出しをされてなんかがっかりした気分になることも。
「おかしいな、ちゃんと美味しそうだと思って注文して実際美味しいと思ったはずなのに…」。
映画のチョイスにしてもそう。
自分の人生のはずなのに判断基準から自分が追いやられていく時がある。

まぁこれについては、生死に関わる判断でもないし済んでしまったことだから仕方ない。(あ、そうだ。「済んだことは仕方ない」は、被害者以外(特に加害者は)使わないで!「お客様は神様です」を言っていいのは店側だけ、っていうのと同じなので!)
とりあえず自分の脳内で何が起こってるか自分で認知できた時点で自分に及第点。
だってそれ以降は自動思考で脳内親が干渉してきても「実際あれだけ干渉されたんだから仕方ないよ」と自分で決着つけられるし。クラピカの鎖かよ。

となると本論は次。その2。

親からの干渉が原因と気づかない間は、自分の判断能力のバグに延々苦しむことになる

この時期、めちゃくちゃ辛い説。
最悪気付いたところで「でももう自分の思考の根幹を変えることはできないんだ」という苦しみに苛まれてしまう2段階目がある。私はちょうどこれに対して諦めをつけられそうなところ。もう何度も苦しんで苦しみ飽きて、それからようやく手放せそう。(〜できそう、だからこれからまたぶり返すかもしれない恐怖と闘ってます…)
「人間の脳は嫌なことほど忘れづらい」ようにできているにも関わらず、加害者からよく「嫌なら忘れればいいじゃん」と言われた時は「論理思考を重ねずに済むのってこういう人種か〜」と一周回って羨ましくなったけど。ねぇよ、自省できない人間は歩く厚顔無恥。

一応肉体として乖離した時点で一個人の人生は物理的に開始するのだから、生命維持機能等ミクロの観点からすると独立自体はできているわけです。
なので、生育過程に及ぼされた影響を問わず、いずれ精神的に自立できる可能性がないわけでは勿論ありません。
でもこういった過干渉を受けた人間は、判断能力が著しく欠損した自分を受け入れて新たに再出発するまでに、健全に判断能力を形成していった人間の数km後ろから錘を巻きつけられた状態でスタートしなくてはならないのです。
もしかしたらそのことが何ら堪えない人間もいるかもしれないけど、当然のようにバチクソ辛い人間もいます。人間って画一的でない、一人一人誤差があるのでね、「なにがそんなにツラいのかアタシわかんな〜い」という舐め腐った思考はガソリンかけて燃やし尽くしてもらいたいです。なんならアレ、私が今すぐ燃やしにいくわ(過激派)。


子供の見たがる作品が情操教育上悪いんじゃないかしんぱ〜いというママさん多いと思うけど、止めに行く時はいちいち「未熟だから低脳ジャンルにハマるんだ」って止め方をしなくても、大丈夫なんじゃないかな。
「ちょっと描写が非現実的/野蛮だから、そういうのはもうちょっとお兄ちゃん/お姉ちゃんになってからにしてほしいな〜」とか「ママは〇〇ちゃんにこの作品を見てほしくないの〜」って等身大の自分が感じた理由ごとお話しすれば子供は分かってくれるかもしれないし、仮に分かってくれなかったとしても別に馬鹿にする必要までは無いと思う(これに関しては話した親以外の大人が片っ端からその手の論者だったので、正論はこっちかなと私が思っているため……)。

世の中親だろうが上司だろうが「下位の存在にナメられたら終わり」思考の人が未だ一定数いるの、まだ獣から人間になれていない感じがあって「人類史はまだまだ続きそうだなぁ」(種別としての人間が完成したら人類史が終わると思っているため)と感慨に耽ってしまいました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?