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僕がなぜコーチングを学び始めたのか、気持ちを共有します。

それは、現状が続いていることに納得していないことを僕の無意識が知っていたからです。

おやおや、いきなり答えを言ってしまった。しかも「無意識が知っている」とか、ナゾのアヤシイ言い回しまで使ってしまった。これは説明しておかないと。

以下、それなりに整理して書いてみました。

目次というやつですね。

しかし、よく見てみると「目次」ってなんなんだろう??「目の次」と書いてますね。考えようによっては、若干おどろおどろしいモノをイメージしてしまいそうになります。なにしろ、アウストラロピテクスの時代から400万年の間、おそらく「目」は「目」であり続けたところに、これの「次」なんだから、これはもうある意味人類にとって「現状の外」*1ですね。

人工眼球や人工視覚の研究は盛んにおこわれています。そのうち眼球が古くなったので取り替えるということも起こるかもしれませんし、「こんどはちょっと広角気味のやつで」とか、「やっぱりズーム機能付きで」とか、そう遠くない将来言ってるかもしれませんね。

ちなみに眼の誕生は生物の進化にとって、劇的なパラダイムシフトを生み出したそうです。眼を持った生き物は、それ以前の眼を持っていない生命体に対して圧倒的優位に立てる。なんせ、その生き物の様子がこちらからは丸わかりなのに、相手は見えないわけですから。圧倒的な情報の非対称性が生まれたのです。カンブリア爆発*2と呼ばれる化石記録をベースにした進化の歴史上の大発展が起こった要因として、眼の誕生がその要因だとする有力な説があるのです。

あれ?で、それはいいとして、目次です。

want toって何?

want toとは一体何でしょうか?これはコーチング用語で、have toと対の関係にある言葉です。なんとなく、イメージつきますよね。それぞれ「やりたいこと」「やらなければならないこと」ですね。しかしコーチングでwant to という場合、そのやりたいことの解像度をもっと高いものにします。なぜ、もっと高いものにするの??自分のやりたいこと、分かってるよ??上司に認められて早く出世したいとか、お金稼ぎたいとか、色々分かってるよ?と僕も思っていました。

それらは、認知科学に基づくコーチングでいうところのwant toではありません。

むしろ、それらは承認欲求だったり外部から得られる報酬を目当てにした行動です。want toは、そうした「外圧」とは無関係に、その行動そのものが本人にとっての「報酬」であるような行動のことを言います。子供の頃、時間を忘れて夢中になって読んだマンガとか、ありましたよね??その時、マンガを読むことによって知識を得ようとか、そういうことは考えてませんでしたよね。純粋にマンガの世界に没頭したい。以上。これがwant toです。その結果として、勉強しろと言った親の言うことを聞かなかったりしてきたわけじゃないですか。そうです、want to をやっているときは、周囲との関係でなにかおかしなことが起こりそうですね。「行動」そのものが報酬ということは、「結果」は、、、どうなるの??と。そんなことやっていいなら、やってるわ!と。何をやっても結果を求められ、結果を気にかけ続けている私たち現代人なら、なおさらそう感じることでしょう。僕だって今なおそうですから。

結論を言いますと、結果を求めてする行動はすべて「外圧」によるものであり、それらはむしろhave toでやっていることです。want toは結果を気にしません。なんせ、行動そのものが報酬なのですから。お金はあくまでその行動が社会的に価値がある場合に価値交換の対価として支払われるものにすぎません。

で、なんでそんな厳密な定義をするのでしょうか?

それは、人生を変えるほどの大きな決断をするには、自分にとっての最高価値とも言えるwant toの延長線上にあるゴールを現状の外に設定する必要があるのですが、そんな怖すぎて、道すら見えないゴールを設定したって普通は自分ごととして捉えられません。それを目指せるのは、本当に自分が最高の価値を置いていることであり、それなら自分はやりきれると信じること、この一点に頼りきれるからです。誰かに認められたい!という欲望ではそんな怖いけもの道を歩けませんよね。ちょっとくらいならできるかもしれませんが、すぐに疲れてしまいます。そもそもなんでアイツのために??とか、すぐ思っちゃいますよね。

幼少期から現在に至るまで、その時々の(自分にとっての)権威者が禁止または強制したものの、その言うことを聞かずに人生を通底してやりつづけてしまっていることがwant to です。言うことを聞かないことのデメリットは、痛いほどよく分かっています。その時々の権威者が言うことを聞かないと悲しんだり起こったりすることは百も承知です。でも、やらなかった。そういうことは、必ず誰にでもあります。この抽出は統計処理的にやるとうまくいくのですが、やり方にちょっとしたコツが必要です。興味がある方は、この記事の一番下の欄に僕のfacebookアドレス*3を載せてありますので、そちらからご連絡いただけると幸いです(こっそり教えます)。

僕のwant to が要請していたこと

want to の説明が長くなってしまいました。人によってwant toの抽出がしにくい人もいます。現実のhave to が強すぎて、自分が何がしたいのかなかなか分からなくなったとか、他人の期待に応えようとしてきたものの、いざ自分自身の欲求は?と聞かれるとよく分からなくなるとか。

ちなみに、僕のwant to は「ハッキング」「型破り」です。

20代前半に自分が思い描いてきたところには、ある程度到達してしまったような気がしてしまっていたのです。しかし、その思い描いた事そのものが自分の幼少期のコンプレックスから来るhave toだったのです。これまでの僕は、そのhave toの延長線上にいながら、その延長線と自分のwant toが交差する地点を探していたのです。コーチングを受けるまでは、僕はそのことにすら気づいていませんでした。領域が狭くなっているということを絵に描いて説明しながら、自分のやりたいことは、このhave toとwant toが重なる部分です!と、意気揚々に語っていたのです。want toの領域が狭くなってるやん!って言われて初めて気づきました。

え?それでもwant toなんだったらいいんじゃないの?いいえ、自分がやりたいことだけをやっているのではなく、現実が要請してくるものとの折り合いの中という、極めて矮小化されたwant toをしていただけだったのです。仕事でも趣味でもなんでも、もっとたくさん楽しいことがしたい。これは自分のポリシーでもあり、本来それがwant toに生きるというコーチのあるべき姿なのですが、いつの間にか砂場の片隅で小さく遊んでいる状態が「楽しいことをやっているなあ〜」と感じているだけの状態になっていたのです。

これが、人生の「型」だ。人生、そういうもんだ。妥協できるのが大人の証。なんとなく、そういうふうに自分をはめ込もうとしていたのかもしれません。他人に迷惑をかけないように、砂場の端っこでおとなしく遊んでおきなさいと。そこでもある程度は楽しめるでしょ、と。それに、僕の無意識はNOを突きつけた。なぜなら、型を破れと言っているのに型にハマろうとしているわけですから。

自分はこんなものなのか?という疑問

自分を社会が求めていると思われる姿ー「型」にはめようとしているとき、たしかに周りからは称賛されるかもしれません。でも、人生の一瞬でも「これめっちゃ楽しい!」と感じたことを今やっているか?というと、それは違う。本当に、それでいいのか?自分のポリシーは楽しいことをやり続けることだ、というふうに他人に偉そうに喋っていた自分が、いつの間にかそれを言われる側の人間になろうとしているのではないか?
僕はもっと楽しいことができるし、それをやっているときのほうがパフォーマンスは圧倒的に高い。これは間違いなくそう言えるものです。誰だって、最高価値に位置することをしているときは、ハイパフォーマンスを発揮しているはずです。

それがまあ、一通り楽しんだからもういいや〜とか、それなりに仕事でもエラくなったから、まあ、いいんじゃないの?あとは引退するまでこの調子で頑張ればいいや〜。会計士の資格だってあるんだから、最悪食いっぱぐれることはないでしょう〜〜。そんなことを考え出すとしたら、それはもはや自分ではない。しかし、このまま今の状態が続くと、いつかそういうふうに自分を納得させるように持っていくのではないか。現に、片足突っ込みかけてたやん。

自分はこんなものではない。それは信じられます。

自らを変え、その生き様によってコーチになる

僕が選んだのは、今の自分が居心地がいいと感じている場所から外に出て、自らを変えることです。自らがwant toに生きることによって、その生き様が他人に非言語の影響を与え、それによって他人が現状の外に出るお手伝いをし、必ず出られると心底その人を信じ切っている。なんなら、その人よりも信じているし、その姿が明確にイメージできている。厳しい現実に直面し、クライアントが弱音を吐いて以前の自分に引き戻されようとしている時、コーチは一点の曇りもなく「君ならできる」と言い続ける存在です。クライアントが見た現状の外を、そのクライアントの脳の外部メモリーとしてコーチも見続け、信じ続けているのです。そういう存在になろうと決めました。

これは、今の自分に何か機能を「付け足す」ようなものではありません。つまり、積み上げ式に何かスキルを獲得すれば、高みに登れるというような発想ではないのです。実はこれも、当初僕は勘違いしてそう思ってたのですが、、その話はまたどこかで。コーチングは、そういうものではありません。人生のあらゆる局面、オールライフの生き方そのものなのです。

、、、って、言うのは簡単。今の自分は、そうではない現実と戦っている最中なのです。この文章を書いている今現在も、have toなことをたくさんやっています。want to がはっきりとして、現状の外にゴールを置けたとしても、置いたその日から待ち受けているのはそうではない圧倒的現実でした。なんで自分はこんなショボいのか?なんでこんなレベルで仕事をしているのか?なんでこんなことも知らずに生きてきたのか?want toに生ききれていない。実は、コーチングを自己適用した結果待ち受けているのは、そうではない現実との戦いだったのです。

カンブリア爆発が起こった時代、眼をもった生物が誕生しました。そのことによって、生物界の生き残りゲームは根本から変わってしまいました。これまでの緩い捕食ー被捕食の関係から、食うか食われるかの完全な弱肉強食の時代が始まったのです。固い皮膚を作って自分の身を守るようになったのは、この時代からです。当時の生物たちは、眼を持った捕食者に対していかに自分が無防備で、丸腰だったのかと言うことに気がついたのです。

コーチングを受けるということは、自分の中にカンブリア爆発を起こし、新しい自分に進化していく道筋を描くことなのかもしれません。ちょっと例えがデカい話すぎたかもですね。笑。まあ、いいや。

脚注:

*1 現状の外:今の自分では思いもつかず、道筋も見えないのに、それでもやりたいと心から思えるようなゴール。今の自分で思いつくようなゴールは、すべて現状か理想の現状であり、現状の外のゴールではありません。なので、自分ひとりで思いつくことは難しいです。コーチが必要になるのは、このためでもあります。
*2 カンブリア爆発:化石資料から読み解かれる、今から5億4千万年ほど前に突如として今の生物の原型となるラインナップが出揃うという不思議な現象。この時期に生物が爆発的な進化を一斉にしているのはなぜかという疑問を呈した。眼を持った生物がこの時期に登場したことがこの爆発を引き起こしたのだ、とする説についてはこちらの書籍が参考になります。
*3 僕のfacebookアドレスhttps://www.facebook.com/eiji.maeda1/


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