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吉永小百合的「品」を生み出す、日本映画の「家族の絆」と「視線」


1.「まつもtoなかい」なぜ、吉永小百合の「目を見て話を聞く」マナーが「誤解」されるのか?

 「まつもtoなかい」で松本人志が吉永小百合の事を「ちゃんと目を見て、体を向けて、聞いてくれるから、すごい!」「今どき、珍しい!」と、その姿勢を称賛した時、
 YOUが「好きだと思ってるでしょ。違うからね!」と言っていた。
 もちろん松本人志は笑いながら「ちゃうわ!」と否定したが…。
 山田洋次監督の最新作「こんにちは、母さん」の現場でも、YOUの話では、吉永小百合の「目を見て話を聞く」姿勢に「惑わされる男たちが多かった」という話を聞き、なぜ「話す人の目をしっかり見て、体を向けて、話を聞く」という基本的マナーの行為が珍しがられ「誤解」されるのか?
 吉永小百合でも「誤解」されるのだから、学校で私が実践すると「あの先生、やたら目ェを合わせてくる」「気持ち悪ゥ」「怖ッ」になってしまう。
 そこに私たちの「見る」「見られる」の関係、「観察力」と「共感力」低下、人と人のコミュニケーション変化があると思う。
 その変遷を、吉永小百合が女優になった1950年代~現代までの映画「家族」に関する映画と「視線の行方」から考えてみた。

2.「家族の崩壊」と「視線の行方」

①「東京物語」(53) 原節子と吉永小百合に共通する人の話を聞く姿勢

「東京物語」は、小津安二郎監督が台本に「親と子の関係を描きたい」と記した作品。
 内容は、尾道に住む老夫婦、周吉(笠智衆)とみ(東山千恵子)が東京で暮らす長男・幸一(山村聡)長女・志げ(杉村春子)そして戦争で亡くなった次男・昌二嫁・紀子(原節子)を訪ねて行く物語。
 長男は自分の個人医院が、長女は自分の美容院が忙しく休みがとれず、戦争で死んだ次男の嫁・紀子が、老夫婦の相手を頼まれる。
 紀子は仕事を休み、二人を東京観光に連れて行く。その夜の周吉ととみと紀子が小さなテーブルを囲んでのシーン。

引用:映画「東京物語」一人暮らしの紀子の部屋でくつろぐ周吉ととみ

 この場面の前に、周吉ととみは、紀子の部屋に飾られた戦争で死んだ次男・昌二写真を見ている。
 紀子はお隣にお酒と徳利(とっくり)とお猪口(おちょこ)を借りにいく。今では珍しいお隣同士の助け合い。お隣さんはピーマンの煮つけもくれる。
 東京のアパートで一人で働く紀子の貧しい暮らしが垣間見える。
 小津監督は人物は真正面からとらえる。その聞く話す姿勢に、人としての上品な佇まいを感じる。

引用:映画「東京物語」相手見て話す原節子の上品な佇まい

 この紀子(原節子)聞く姿勢を、吉永小百合は人の話を聞くマナーとして身につけているように思う。
 映画では、お酒の話から周吉と昌二のお酒にまつわる母と紀子の苦労話がさりげなく展開され、戦争で愛する人を失った者同士の悲しみの共感が流れる。
 小津監督の言う「映画とは、見ていてしんみりと温かい気持ちになるところに娯楽性がある」を、家族の絆、親と子、老いと死を通し表現した映画。
 次の場面、老夫婦は、忙しくて相手ができない長女・志げ(杉村春子)と長男・幸一(山村聡)の計らいで熱海旅行へ。
 老夫婦が泊った熱海の旅館では、夜中まで両隣で麻雀がされて、外の流しは音楽を奏で、飲めや歌えの大騒ぎ。
 寝不足のまま二人して朝の散歩に出かけ、穏やかな海を眺めている場面。

引用:映画「東京物語」周吉ととみが朝日にきらめく海を見ている

 朝日できらめく熱海の海とは対照的に老夫婦は「東京」に「熱海」に疲れ、尾道に帰りたくなる。東京は期待したほどの輝く場所ではなく、子供たちへの失望が、老夫婦の視線と背中に表現されている。
 老夫婦は、尾道に帰った直後、とみ(東山千恵子)が急に体調を崩したまま、夜には危篤状態になり、夜中に亡くなってしまった場面。 

引用:映画「東京物語」幸一、紀子、志下げ、京子、とみ 

 長男・幸一(山村聡)と長女・志げ(杉村春子)の視線は自分自身を責めるように視線を落としている。夜が明け、奥の光の中で、とみを見つめているのは次男の嫁の紀子(原節子)と尾道で小学校の先生をしている次女・京子(香川京子)。そして姿を消した周吉(笠智衆)
 紀子が探すと、周吉は夜明けの尾道の海を見ていた。そこに紀子はそっと寄り添い海を見る。まるで熱海の海を周吉ととめが見ていたように…。
 とみが亡くなった言葉にならない悲しみを共有する二人の視線。

引用:映画「東京物語」とみの死後、夜明けの海を見る周吉と紀子

 私は長い間、正直「東京物語」の面白さがよくわからなかった。
ただ兵庫の丹波の田舎に住む祖父が亡くなった時、親戚のおじおばが縁側に座り、話すでもなく、縁側から見渡せるただじっと見ていた
 空の雲が流れ、風が吹き、木々が揺れていた。
 私はその光景を見て「あ、小津安二郎だ」と思った。
 ただ祖父が生きた畑や山を一緒に眺める事で言葉にならない悲しみを共有する視線。私は、縁側に座った親戚のおじとおばごしのその日の丹波の山の風景を祖父の死と共に今も覚えている。

②「家族ゲーム」(83)視線の方向と本質を見失う家族

 1978年度共通一次開始から、1970年代末から1980年代は、学歴社会を構成する学歴信仰が過激化した時代。
 「家族ゲーム」監督・脚本:森田芳光、原作:本間洋平。
 内容は、高校受験を控えた問題児・沼田家の次男・茂之(宮川一朗太)の家庭教師に大学七年生の得体の知れない植物図鑑を手にした吉本(松田優作)がやってくる。
 吉本は、教えるのはいじめに対抗する喧嘩のやり方効果的な防御攻めの方法を教える。ようは生きるための知識を…。
 しかし、茂之は吉本に「わからない漢字を書き出せ」と言われたら、
「夕暮れ、夕暮れ、夕暮れ、夕暮れ、夕暮れ、夕暮れ、夕暮れ、夕暮れ、夕暮れ、夕暮れ、夕暮れ、夕暮れ、夕暮れ、夕暮れ、夕暮れ、夕暮れ、‥‥」とノート一杯に書き出し、茂之「夕暮れを完全に把握しました」と言い、吉本にビンタされる。
 私はこの茂之の気持ちが何となく理解できた。黄昏ていた
大澤誉志幸のヒット曲「そして僕は途方にくれる」の気分だった。
 茂之は、第一の志望高校を選択せず、第二志望の高校選択が「(第一志望高の選択に)土屋がいるから」という理由だった。それも理解できた。
 私自身「学校の勉強が面白い」とは思えなかった。ただ徹夜して暗記して試験を受ける。田舎を出るために大学を目指し、大学に入れば忘れていい、そう思っていた。「何を学ぶか?」という本質を見失い、親も子も、ただブランド、就職のための学歴を手に入れるために金と時間を無駄に使った。
 それを覚醒させるための異物であり、怪物である家庭教師・吉本の物語。
 私に吉本(松田優作)みたいな家庭教師はいなかった。 
 場面は、茂之が一流校に合格してその祝いの席。茂之の合格祝いであるにも関わらず、工場を営む父(伊丹十三)は次の長男の大学受験の話を始め、みなが視線を合わせる事なく、それぞれ無口に横一列に並んで食べる。 

出典:映画「家族ゲーム」https://www.fami-geki.com/vod/movie-kazoku-game/

 この後、吉本(松田優作)は、沼田家を破壊するように、サラダを手でつかみ、パイ投げのように人の皿に投げ、マヨネーズを噴出させ、家族の食卓をひっくり返し、手刀やパンチで父、母、兄、茂之は吉本のビンタは止めるが、腹にパンチをくらい倒れる。
 もう大学生だった私はこの映画を観て、吉本に殴られたのは私だ、私の家だ、私の友人全てだ、と思った。
 私は迷走する時、海からボートに乗って現れ、植物図鑑を広げ、私の頬をビンタし、目の前の不条理な出来事を破壊する吉本(松田優作)の事を思い出す。

④「間宮兄弟」(2006) オタク兄弟の不器用で優しい暮らし

「間宮兄弟」は監督・脚本:森田芳光。原作は江國香織。
 30過ぎても女性に縁がなく、多趣味で異様に仲の良い間宮兄弟の兄・明信(佐々木蔵之介)と小学校校務員の徹信(塚地武雅)。
 場面はタイトル前、間宮兄弟の日常を示す場面。野球中継をスコアをつけながら、テレビを見る間宮兄弟。

出典:映画「間宮兄弟」https://vod-halloffame.com/movie/8378.html

 オープニングは、二人で鉄道の列車を眺めていた。視線の方向は「家族ゲーム」と同じだが二人の視線の先には大好きな鉄道や野球があり、二人の視線はあたたかい。
 ここにも私がいた。大学に入るために勉強し、入れば映研に入り、映画ばかり見ていた。年間200本、劇場で見るのがノルマだった。
 サークルの仲間と好きな事をしているとそれだけで楽しかった。大学を卒業し、バイトして夜間の専門学校に行きそのまま映像の仕事についた。
 しかし二人はこの二人だけの生活を脱しようと、好きな女性を誘いカレーパーティーをしたり、様々なアプローチを続けるが…。
 オタク兄弟は私自身でもある。好きな事をして生きようと思った。
間宮兄弟も日々の暮らしを大切に生き、人と人との関係と「変」と思われても「好き」という自分の気持ちを大切に生きようとしている。
 二人が祝う一人暮らしの母・順子(中島みゆき)の誕生日祝いで、母は、兄弟の女性へのアプローチを見抜いているように言う。
「二人共仲良くね。女の人にモテなくたって大したことじゃないからねっ」
 でも女の子にモテないことは、中島みゆきがどういおうと大問題だ。しんみりと切ない情を間宮兄弟にもった。 

⑤「万引き家族」(2018)万引き家族の観察力と共感

 「万引き家族」監督・脚本:是枝裕和。
 内容は、東京の下町で柴田家の万引きを子に教える父・治(リリー・フランキー)、母・信代(安藤サクラ)、不正年金受給の祖母・初枝(樹木希林)、万引きをする息子・祥太(城桧吏)、信代の妹・亜紀(松岡茉優)の5人家族と虐待された少女の物語。
 万引きの帰り道、父と祥太が雪が降りそうな冬の寒い中、いつも家から閉め出され、ベランダに居る5歳の少女(佐々木みゆ)を見て、いたたまれず「コロッケ食べるか?」と家に連れて帰ってしまう…。
 私には、とてもマネできない。せいぜいこっそり警察に通報するくらいだ。その後、安藤サクラ演じる信代は治と共に眠った体は傷だらけの少女を戻しに行くが、少女の母に暴力を振るう男の声、母の「私だって生みたくて生んだわけじゃないの!」の声を聞き、地べたに座り込み、少女を抱く。
 そこから経済的にも苦しいこの家族は少女を守り育てる決断をし「りん」という名前を与える。私にはとてもできそうにない。私は彼らほど大きい器の人間ではない。それを実感しながら、この映画を見続けるのはとてもつらい。
 この映画は私にとって50年代の映画より大きな情愛と残酷な現実を見せつけられた。是枝監督の「誰も知らない」「誰も助けてくれない」映画だったが、「万引き家族」助けた家族が断罪される映画だった。

引用:映画「万引き家族」ポスター

 私がこの映画で一番ほっとして好きな場面は家族で花火を見て、海水浴に行き、母・信代(安藤サクラ)と祖母・初枝(樹木希林)が海を見て、会話をするシーン。 

   信代と初枝は、波打ち際ではしゃぐりんと亜紀を見ている。
   初枝、信代の顔をみてしみじみと
初枝「(唐突に)お姉さん、よく見るときれいだね」
信代「何言ってんの(思わず笑う)」
   初枝、再びしみじみ見て
初枝「顔」
信代「えぇ?」
初枝「へへへっ」
信代「行ってくる、なまっちゃう」
   信代、波打ち際の家族の元へ行く。
初枝「はぁ…。(自分の足を触って)わぁ、すごいシミ…」
   初枝、波打ち際で遊ぶ家族を見て、
   唇が『ありがとうございました』と動く。

出典:映画「万引き家族」海水浴の場面の一部のセリフ抜粋

 初枝が最後に見ていた、家族で手をつないで、波打ち際ではしゃぐ場面。
信代(樹木希林)が見た家族の最後の光景。
 信代は彼らに声にならない『ありがとうございました』の感謝の言葉を伝え、この世を去る。この言葉は樹木希林のアドリブ
 この場面に、私たちが今大切にするべき人と人との関係や共感の温かい情を感じる。

出典:映画「万引き家族」https://gaga.ne.jp/manbiki-kazoku/about.html

 信代(安藤サクラ)、亜紀(松岡茉優)、りん(佐々木みゆ)、祥太(城桧吏)、治(リリー・フランキー)の虐待され放置された少女を中心に手をつなぎ海辺ではしゃぐ、つかの間の家族の幸せなひととき。

 吉永小百合から感じた品と人への情は「東京物語」の老夫婦や紀子から、時代と共に変化しながら「家族ゲーム」「間宮兄弟」「万引き家族」とつながり、時に傷つけ、時に激しく反発し、育み、失い、様々な葛藤を含んだ「身近な人との普遍的な情」ではないか?と思う。
 私は彼らほど大きくも強くもない人間だが、今一度、偏見を捨てて、目の前の現実を見つめ直し、人間関係を大事にする情を持って生きたいと思う。
 最後に忘れられない小津安二郎監督の言葉。

なんでもないものも二度と現れない故に
この世のものは限りなく貴い。

出典:小津安二郎「覚書」一九五五


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