見出し画像

サラリーマンの傍らカイロ学校に通って見えた景色 Ep 0.3

整体やカイロなど、人の身体、健康にかかわることを仕事に選ぼうか。
そんなことをぼんやりと思い始める前から、私自身も母親の影響でいろいろな治療院に足を運んでいました。
おそらくそれは無意識にしていたことなのですが、いざそれを仕事にするとなると、何を基準にどれを選んだらよいのか見当がつきません。

道半ばでの気づき

カイロプラクティック、オステオパシー、ロルフィングなどの欧米で発祥した手技のほかに、光線療法、温熱療法、◯◯整体と呼ばれる日本古来の手技療法。はたまた瞑想やヨガなどの身体以外の領域を扱うものまで数えれば十指に余る治療法を受けてきました。

料金も数千円のものから1回1万円を超えるものまで。
好奇心の赴くままに、自分の生きる道を求めようと必死でした。

小さい頃に「将来は◯◯になる」と選べる人は、どれくらいいるのでしょうか。なかには親の跡を継ぐ二代目、三代目もいることでしょう。
私の場合、父はサラリーマン、母はパートをしている主婦とごく平凡な家庭で育ったこともあり、自分で何かを選ぶという感覚は薄く、雇用されて言われた通りの仕事をする、という日常を信じて疑いませんでした。
あまた多くの人々は、迷いながらも目の前の仕事をよしとして日々を過ごしているのでしょう。

道標を得るために自分を見つめる

それが、自分で独立したいという欲を持ち始めた時、まずは自分を見つめることから始まります。
過去のこと
・これまでどんなことに興味を持ってきたか
・得意なことは何か
・人付き合いは得意か
現在のこと
・今、何で苦労しているのか
・何をしていると楽しく感じられるか
・まわりにどんな人がいるか
未来のこと
・どんな環境で暮らしたいか
・どんな仲間と一緒に過ごしたいか
・何をもって人様の役に立つことができるか

詰まるところ、自分がどんな人生を送ることができれば納得できるのかというテーマを明らかにしていく作業に向き合います。

画像1

一次呼吸と出逢う

ある日、新聞の記事に「一次呼吸」という文字が並んでいるのを目にします。それは、アメリカ人のセラピストが書いていた記事で、頭蓋仙骨療法と呼ばれるものに関する内容でした。

普段している呼吸は、肺で酸素と二酸化炭素をガス交換するもの。
それは中学校の理科で習います。
しかし、そのガス交換は二次呼吸なのです。
ヒトがこの世に生まれ落ちる前、母親の胎内にいる時から刻んでいるリズム。それが「一次呼吸」と呼ばれる脳脊髄液の流れだと言うのです。

頭蓋仙骨療法(クラニオセイクラルセラピー)というその手技は、一次呼吸の流れを整えることができる。それによりヒトは健康になることができる。
そのような理論に触れて、大きな衝撃を受けます。

それは、独立して自分で生計を立てていきたいということのほかに、『目に見えないものの世界を知りたい』という私の好奇心を満たすには余りある理論でした。
目に見える世界を超えたその先に、知覚できる領域がある。
そう想いを馳せると、心の奥底からワクワクする感覚が生まれてきます。

そうは問屋が卸さない

しかし、当時はクラニオを学ぶ手段を知るすべもなく、その一瞬のひらめきは時間とともに影を潜めていきます。

いずれにせよ、何らかの手技療法を学ばなくては。

そう思い立ち、新聞広告で調べた新宿にあるカイロ学校の門を叩きます。
そこは、土日の週末だけ通えば半年間でカイロプラクティックを身につけることができる、と謳っていました。

初学者は何事も無知から始まります。
1990年代はSNSもなく、その業界に頼るべき知人もいなかった私は、その言葉を鵜呑みにして50万円を指定の口座に振り込みました。

平日は営業マンとして働き、土日はカイロ学校に通います。

画像2

こう記すと用意周到に準備してものごとを進めているように聞こえますが、そこはまだ社会経験も少ない20代。
先々独立するまでの資金計画やロードマップなどはありません。

目の前にあるカイロプラクティックのテキストを読み、初めて聞く専門用語に戸惑います。そして、週1、2回の授業で何かが身につくのだろうかという疑問を抱くようになります。

そのカイロ学校で覚えたことと言えば、ASISという言葉。
それは、骨盤の一部を示す解剖学用語でした。
仙骨、腸骨などという骨がヒトにはあること。うつ伏せで寝ている人に、三角形の枕を差し込んでそのまま寝かせておくと、骨盤の位置が整って腰痛が改善する、という内容でしたが、それが何になるのか、具体的な将来像に結び付くまでには至りませんでした。

そう、自分で道を切り拓いてものごとを成し遂げていくためには、業界に関する情報を得ること、資金を用意することなど、3年、5年のスパンで計画を立てておく必要があります。

当時の私にはそのような知識はなく、行き当たりばったりという言葉の通り、目の前に来た球を打ち返している。そんな状態でした。
いつの間にか、向き合っていることの意義を見失ってしまいます。

カイロ学校に入ったものの、何も得ることはなく足が遠のき、またいつものサラリーマン生活に帰結していました。


physical, mental, spiritual and social well-beingに生きるお手伝いをしています。2020.3に独立開業しました。家族を大切にし、一人ひとりが生き生きと人生を楽しめる社会が訪れるといいなと思いながら綴っています。