徒手療法は選択肢の一つでしかなかったという身も蓋もない話 Ep 0.2
いずれは独立したい。
そう思ってはみたものの、いざ何を仕事に選んだらよいものか。
曖昧として何を基準に生きてゆけばよいのか、
当時の私には明確なビジョンがありませんでした。
さて、どんな仕事を選ぼうか
大学の進路を選んだのも消去法。
就職に際しては、身近なもの、廃れないもの、社会が変わっても継続していく仕事は何かという視点で、食品メーカーを選びました。
少なからず当時の私は食べることに興味があり(=身近なこと)、衣食住という言葉が示すように食べることは人間にとって欠かせないものという認識があったからでした。
一方で、どう見ても営業という職種は私にとっては向いていない。
そう感じていました。
自分にできそうなことを消去法で探していく
それなら何ができるのか。
ここで再び、自らの視点に立ち返ります。
・身近なもの
・廃れないもの
・社会が変わっても継続していく仕事
幼少期を振り返ると、手先が器用だったこと。
大学に入ってから始めた趣味の延長で、身体に関わることにも興味がある。
数字のみで判断されるのではなく、目の前の人に喜んでもらえて仕事のやり甲斐をダイレクトに感じられることを仕事にしたい。
そう考えるようになりました。
そこに「真・善・美」という言葉が加わります。
我ながら欲張りだなぁと思いますが、
これらをすべて叶えられるようなことは、どこかにないものか。
そんな夢みたいなことを思い描いていました。
1990年代はまだ、SNSもない時代。
仕事上の連絡手段は、ポケベルと公衆電話が主流でした。
きっかけは1冊の本から
自分の思いを叶えられるような仕事を見つけるために、書店に足を運び資格の本を手に取ります。
自己分析と就職活動を十分にしてこなかったツケを、今払っているのかな。
そんなことを感じながら本に目を通しました。
そこで目にしたのは、整体、カイロという文字。
『この療法で辛かった症状が一気に改善します』
『週末だけ通学すれば、あなたも開業できます』
そんな文字が飛び込んできます。
…健康にかかわる仕事か。
幼いころを振り返ると、母親が産後の肥立ちが悪く、いつも不定愁訴を訴えていた記憶が蘇ってきます。
ドクターショッピングという言葉すらない時代。
どこの病院に行っても「不定愁訴ですね」「自律神経失調症ですね」として片づけられ、気休めの薬を処方されていました。
そして、母はいくつかの民間療法に足を運んでいる姿を見てきました。
しばらく通って症状が楽になるもの
一度、行ったきりで二度と行かなくなったもの
その業界が玉石混交であることは、今も昔も変わらないのかもしれません。
それでも、当時の自分は「整体、カイロ」という初めて聞いた言葉が少しずつ心のなかを占め始めていました。
physical, mental, spiritual and social well-beingに生きるお手伝いをしています。2020.3に独立開業しました。家族を大切にし、一人ひとりが生き生きと人生を楽しめる社会が訪れるといいなと思いながら綴っています。