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noteでの習慣の見直し

 先日こんな記事を書きました。

 この記事の中で、noteでの新しい習慣にしたいことの1つとしてこんなことをあげていました。

②自分が「スキ」してもらった方(数が少ないうちは全員)の元を訪問し、必ず1つは記事の全文に目を通した上で「スキ」をする。

 これをやめることにしました。なぜか?

 本当は「スキ」だと思っていないのに、「スキ」してしまうという習慣をつけたくないから。

 noteの「スキ」という機能は”あなたのnoteを目にしましたよ”という足跡的な役割を果たしてくれます。直接そのnoteを訪問しなくても、ホーム画面に表示されたnoteたちの♡マークをクリックするだけで「スキ」という意思表示ができます。全文きちんと読まなくても、目にしたnoteに簡単に「スキ」できるのです。

 その記事の内容をきちんと読む読まないに関わらず、何らかの接点(検索ワードだったり、#タグだったり、たまたまのタイミングだったり)を得て出会ったというその奇跡に対して「スキ」したり、『わたしという存在があなたと同じようにnoteを使っているんですよ、よかったら「スキ」を目印にわたしに会いに来てね。』という足跡として残したり、「スキ」というリアクションの動機は人それぞれで良いと思っています。

 と先日のnoteにも書きましたが、「スキ」する理由や動機は人それぞれ。

 ではわたし自身はどんな時に「スキ」したいか?・・・やっぱり心から「スキ」だなあって感じた時にその気持ちを伝えたい。自分の「スキ」をきちんと大切にしたいなあって思うのです。

 わたしには我ながら良くないなあと思っていた習慣があって。それは、相手によく思われようとして本心とは違う行動をとるということです。わたしの記事に「スキ」してくれたからお返しに「スキ」しないと冷たい人って思われるかな?とかフォローしてもらったらフォロバしないとフォローを外されてしまうかな?とか。

 でも、そんなふうに気を遣ってまで大切にしたいご縁か?というと、たいていの場合そんなことはなくて。むしろ、本当に大切につながっていたい方というのは向こうがわたしをフォローしてくれるくれないに関わらず、自分からフォローします。「スキ」も同様です。

 誰に「スキ」するか、誰を「フォロー」するか。それはわたしにとってわたし自身を表わすもの。なにげなく、ではなくきちんと考えて「スキ」やフォローやコメントを残すといった行動を。自分の行動に対する意識を高めるということを、習慣化するように心がけていきます。

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