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知ってほしい、の先に。


夜22時。京都の繁華街、河原町なのに真っ暗。それを左手に見ながら、私はタクシーに乗っていた。フツーならぼんやり灯が見える路地も、暗すぎて先も見えない。

右腕には、産まれて3ヵ月のわが子。コロナ禍真っ最中に生まれた。この頃、フツーなら首が座り始めたり、手を口に持っていったり、ママーと泣き声で呼んでくれたりするんだっけ。でも、わが子は首も座っていない、手や足の感覚があるのかもわからない、あまり泣かない。



妊娠6か月の中期検診で「先天性水頭症」と診断され、先生があわてて大学病院に紹介状を書いた。はじめて聞く病名。検索して笑顔になれるはずもなく。「産まれてくればなんとかなる」と言い聞かせて出産までのメンタルを保った。

予定帝王切開で生まれたわが子は産声をあげず、またしても先生たちがあわててNICUに連れて行った。診断されたときに、悲しくて泣いた自分は好きになれなかったが、外に出てきてくれた喜びで声を上げて泣けた自分は今でも好きだ。


産まれてくればなんとかなると信じ続けたおかげで、娘は52日間のNICU入院を得て、自宅で過ごせることになった。心配されていたことは何も起きないし、このままゆっくり成長していくはずだと思っていた春の日の夕方、寝ているはずだったバウンサーの中で娘が痙攣(けいれん)していた。


あわてて抱き起しベッドに乗せ、「落ち着け、落ち着け」と心の中で唱えながら時計を見た。主治医から5分以上の痙攣が続けば救急車と教えられていた。5分は簡単に過ぎ、訪問看護ステーションに電話をすると、「すぐに救急車を」予想通りの回答だった。



救急車は大きなサイレンを鳴らし、すぐにやってきた。在宅勤務の夫と急に取り残されることになった4歳の長女に後ろ髪をひかれる私を見て、「大丈夫だからね、お姉ちゃん」と言ってくれた救急隊員さんの顔はずっと忘れない。


夕方の帰宅時間で込み合う道路を救急車がすり抜けていく。娘の痙攣はもう止まっていて、車内には安全確認をする救急隊員さんの声だけがあった。カーテンの隙間から、よく通る道を特別な気持ちで見ていた。


いつもは1時間近くかかる道を救急車は20分くらいで着いたような気がする。ふくよかな看護師さんに出迎えられ、当直の小児科医に状況を説明した。退院後初めての痙攣だったのもあり、慎重に進めているようだった。


病院に到着から3時間ほどたっても、娘は何事もなかったかのように天井を見つめたままだったので、「お母さん、帰りはどうしますか」と帰宅を促された。もう21時。長女はもう寝ただろうか。スマホのアプリでタクシーを呼んだ。運転手は場所と状況に気を使っているのか何も言ってこず、私もやっと疲れを感じ、ただ窓の外を眺めた。


「誰かに知ってほしい」とぼんやり思った。


なぐさめてほしいとか、手伝ってほしいとかじゃない。ただ、伝えたい。こんな風に夜のタクシーに乗って、産まれたばかりの赤ちゃんと家に帰る母親がいることを。大変そうだけど、大丈夫だということを。ただ、知ってほしかった。知ってもらった先になにがあるのか、何を求めているのか、それはわからなかったが「知ってほしい」という確信だけがあった。





わからないまま1年が過ぎ、その間に次女は5度の入退院をした。私たち家族もそれに合わせて生活環境を変えていった。病院に缶詰めになる母子、家に残る父子の思いや葛藤は、SNSで小出しにするくらいしかできなかった。


昨年の夏、障がいを持つ子のママが集まる会で出会った一人のお母さんがいた。家も近く、すぐに意気投合し、ランチに行くことになった。そこで彼女が自分の息子について「知ってほしい」と言った。同じだと思った。さらに彼女は、「息子を産んで見える世界が180度から360度になった」という私の言葉に100%以上の共感を示してくれた。


私は自宅に戻り、今日のことを振り返るうちにすぐに彼女にメッセージをした。「息子さんのことを書かせてほしい」と。彼女は快諾してくれた。それから半年以上がたった今日、やっとこの前書きが完成しつつある。


知ってもらった先に何があるのか、まだわからない。知ってもらうだけじゃダメだと思っている。知ってもらった先に世界が変わらなければいけない。そんな壮大な夢があるのだけれど、それを思い続けていたら、この物語は進んでいかない。


彼女や私と同じように、知ってほしいと思っているお母さんたちがいるのもわかっている。誰のために書くのか、誰に知ってほしいのか、その答えを探すために、まずは彼女と彼女の息子の話から始めていきたいと思う。


情熱ライター/森中あみ


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