見出し画像

知識と感性

私は、あまり感性が鋭くない方だと自分で思う。先日投稿したルーヴル美術館展の記事を見てもらえればわかると思うが、基本的に知識を介してものごとを受容している。

知識で把握したうえで、「理由は説明できないけど好きだな」と思うことはもちろんある。近世までの西洋絵画なら、厳密なコードと細かい注文のなかで、その時代時代の事情を反映しつつ、画家の独自性が見える部分に惹かれる。知識でとらえたうえで、その枠からはみ出る所に興味がある。私なりの作品とのコミニュケーションの取り方なのだと思う。有名どころだとエル・グレコとかレンブラントとかはとても好きだし、ターナーとか印象派とか、手で触れないものを描き取ろうと試みていると分かるものも結構好きだ。

こうして知識でとらえる私にとっては、ピカソがギリギリ理解できるラインだ。多面的な光景を一平面に落とし込んだのがあの独特な画風なのだと理解している。キュビズムってやつ。ちなみにセザンヌは理解できるし割と好き。

現代美術は完全にお手上げである。男性用小便器を倒して「泉」とか、大きなキャンバスの真ん中に塗りつぶされた円があって「点」という題名がつけられているとか、四方八方に絵の具が飛び散っていて「無題」とか、「はぁ……🤔」というのが正直な感想だ。キャンバスの真ん中から左に向かって、キャンバスが終わるまでまっすぐな線が引いてある作品の題名が「直線」だった時は、「半直線やろ」と思ったこともある。

これを書いていて思い出したけど、確か中学生の頃、美術専攻で自らも抽象画を描く大学生が教育実習に来た。実習最終日、クラス全員に、一人一人の印象を抽象画で描いたハガキをくれた。全然わからなかった。あの先生は私をどんな生徒だと思ったのだろう。

話を戻す。従来の価値を破壊したことで評価を受けることがあるというのは分かるものの、そもそもそのような形での価値破壊の意味を私はあまり見出せていない。少なくとも現時点では、「変なことやったもん勝ち」と私には見えている。ただ、こちらは「変なことがやりたいんだな」と意図を(勝手に)感じ取ることができるだけ、まだ守備範囲内ではある。
「点」とか「無題」に至っては何を汲み取ればいいのかもわからない。感情のままに、感性のままに制作した!という作品であればあるほどわからない。作品とコミニュケーションが取れない。そもそも作者が鑑賞者とのコミニュケーションを望んでいるのかは知らないが。これもとりあえず、「変なことしたもん勝ち」と思っている。

ところが先日、長年デザイン業界にいる人に上記のような話をして、「私は知識でとらえてしまって、感性があまり鋭くないんです」と言うと、「逆です」と言われた。その人曰く、普段から柔軟に色々な視点で考えていれば、様々な価値を認識できるので、わざわざ人に価値破壊をしてもらう必要がないらしい。価値破壊で感動するのは、従来の価値に凝り固まった「大衆」なんです、と言っていた。だから蕨餅さんは感性かなり鋭いほうですよ、とも言われた。大変な驚きだった。

これはこの人の考え方ではあるので、これをもって私は感性が強いんだ!とはならない。それにもし、本当に私が多様な視点で物事をとらえられるがゆえに、色々な価値を認識できているのだとすれば、それはひとえに歴史学を学ぶなかで得た知識のおかげだと思う。方法論の多様さはもちろん、16世紀のイングランドの人々の生活を探るなかで、21世紀の日本で暮らしているだけでは確実に得られない価値観を少しずつ感取している。

ただ、この考え方はかなり腹落ちしたし、この考え方を私なりに解釈すると、知識を持てば持つほど、視点が増えれば増えるほど、感性が鋭くなるのでは?と思った。であれば、感性で制作されているのだから感性でとらえるものなのだろうと思っていた現代美術を、とりあえず知識でとらえてみればいいんじゃないだろうか。

ということで、現代美術や現代芸術に関する良い本があれば教えてください!おすすめお待ちしてます!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?