不登校になった長女③~地獄の6年半~


3年前、中1だった長女が
夏休み明けから学校へ行けなくなった。

行けなくなった理由が少しずつ明らかになった。
小学生の頃から、色々ありました。
長女が一番辛かったのは
みんなができることが、長女には
できないことの方が多かった。
全てにおいて...

授業で分からない所を分かる子が
教えるという時間があり、
長女は学習障がいがあるので
理解できず、教える子も段々と
長女を白い目で見るようになりました。

体育も苦手で、チームプレーが主となる
バスケットボールやバレーボール
体育祭の学年全員リレーなどでは
長女がヘマをすると、長女に文句を言ってた
そうです。

中学であったことを、教えてくれたのは
中3の秋頃です。
休憩時間にクラスメイトが
『今日の体育祭の練習で、順位落としたの
誰だった?』とわざと私の近くで話してる。
『私はずっと頑張ってるのに、皆は私に
次は頑張って!!』と言ってくる。
これ以上出せない力を出して頑張ってるのに...

私は小学生から今まで
学校では自分の存在を消すことで
必死だった。
そう話してくれました。

6年半もの間の学校生活は
長女にとっては『地獄』だったと思います。
学校に行ってる6時間を
よく耐えてたなと涙が出ました。

『頑張って』と言う言葉は
長女のトラウマになってしまいました。








この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?